第26話 幼馴染

「駅から近いんじゃなかったの?」


「近いは近いんだよ。ただ、上り坂がキツくて」


 改札を出てまず目に入ったのがまるで山みたいな坂道だった。舗装はされているし車道と歩道はきちんと別れているので危険な道ではない。ただ、シンプルにキツい。


「はぁ……はぁ……本当に毎日これを登ってるの?」


「うん。行きは楽なんだけどね」


 NPC子ちゃんはそう言うものの雨や雪が降れば滑りやすいから踏ん張らないといけないし、これだけの勾配だと膝への負担もありそうだ。

 いつもみんなの中心に居る陽キャ代表の神田さんもこの坂を歩いているのかと思うと、ちょっとだけ人間味を感じた。


「あのさ、スカート」


「うん? 押さえてるよ。約束したから」


「……普段は見えてるかもってこと?」


「どうだろう。大人はたいてい車を使うから。歩いてる人は少ないかも」


 ヒラヒラと揺れるスカートの内側は無防備は太ももとお尻。チラリとでも見えればもしかしてと勘付く人だって居るはずだ。気付いたところで指摘はできないから、見放題の状態が続く。


「この辺は露出狂の噂は出てないの?」


「全然。私は知らない。もしそんな不審者情報があれば親から言われるだろうし」


「その不審者の正体が自分の娘だと知ったらショックで寝込むかもな」


「そうならないように気を付けてるんだって」


 疲労の色を見せながらも笑顔でNPC子ちゃんは言った。そもそも露出を止めれば親御さんにショックを与えることもないんだけど、今更それを言っても無意味なことは学習した。


 止めるのが無理なら、絶対にバレない場所でその欲望を発散させるしかない。その一つが俺の家だったわけだけど、部室では不満と言われたらもう他にあてはない。


「あ! 見えたよ。あの水色の屋根の家」


「へー。ちょっとお城っぽい」


「その隣の黒い屋根がおんぷちゃんの家だよ」


「本人の派手さとは反対なんだ」


「建てたのはお父さんだからね。ちなみにおんぷちゃんの家を知ってる男子は背景くんだけかも」


「マジ?」


「私が知ってる限りではなね。おんぷちゃん、男子を家に呼んだりしないから」


 神田さんくらい目立つ人の所在をわざわざNPC子ちゃんに聞く理由の一端がわかった気がする。NPC子ちゃんと仲良くなって家に行くことになれば、必然的に神田さんの家もわかる。


 NPC子ちゃん自体もクラスでは地味な方だけど可愛いとくれば、毎日声を掛けておいて損はない。彼女の変態性に目をつむれば、むしろ露出狂なのを良いことに体の関係だけを求める男子が現れてもおかしくない。


 そういう意味では嗅覚が鋭いというか、青春を謳歌するために何でもやるという気概を感じる。自分に自信がなければできないことだ。


「送ってくれてありがとう。本当はお茶でもご馳走したいんだけど」


「いや、いいよ。もう遅いし。東雲しののめ家でも恋人扱いされたら疲れそうだ」


「私の彼氏になるのはイヤ?」


「…………そういう意味じゃないけどさ」


「なんてね。わかるよ。家ではごめんね。彼女ムーブしちゃって」


「いいよ。母さんも舞い上がったおかげで東雲しののめさんの秘密に気付かなかったし」


 息子が彼女を家に連れてきた。そんな一大イベントが突如さらっと発生して母さんも混乱しただろう。本当は彼女じゃないから当然だけど、そんな素振りを今まで全く見せてこなかったわけだし。それに


「男が彼女を連れていくのと、女の子が彼氏を連れてくるのだと重みが違いそう」


「そうかも。それじゃあまた明日」


「うん」


 NPC子ちゃんは小さく手を振る。また明日。同じ教室で過ごすという意味ではなく、一緒に露出する時間を過ごす意味であってほしい。露出を止めさせたい気持ちを矛盾した感情を抱いていることに自分でもおかしくなる。


「あ、景子。それに背景くん。なに? もしかして二人って付き合ってるの?」


 今登ってきたばかりの坂道を下ろうとした時、背後から聞き馴染みのある声がした。いつも教室で大勢の陽キャに囲まれている遠い存在。

 だぼっとした部屋着でもわかるくらいボリュームのある胸はどうしても東雲しののめさんと比べてしまう。


 やはり大きな胸の誘惑には勝てない。しかも坂の下から見上げる形になっているのでいつも以上のサイズに感じる。その圧倒的な大きさに口元が緩んでいるのをNPC子ちゃんに気付かれてしまった。

 神田さんが現れた驚きの表情から俺に対する軽蔑の眼差しへと変わる。


「おんぷちゃん、どうしたの?」


「コンビニ行こうと思って。そしたら景子と背景くんじゃん? 意外……じゃないかも。どういう繋がり?」


「えーっと……」


 教室でスカートをめくり上げているのを目撃したのがきっかけです。とは口が裂けても言えない。さすがに拷問されたら簡単に口を割るけど、神田さんに問い詰められたくらいでは共犯者を売るなんてことはしない。


「たまたま写真部の前を通りかかった時に背景くんが撮った写真を見せてもらって、それで」


「マジか! 景子から男子に声を掛けるなんて超レアじゃん。いや~、可愛いのに奥手だから心配してたんだよね」


「そういうおんぷちゃんこそモテるのに彼氏いないじゃん」


「うちはいいんだよ。体目当ての男なんてろくなもんじゃない」


「私と背景くんなら良いって言うの?」


「背景くんが景子を襲うところとか想像できないし。でも、まさかうちより先に彼氏ができるとはね~。今度みんなで恋バナしようぜ」


「やだよ。おんぷちゃん以外の人は騒がしいもん」


「うちだって騒がしいけど?」


「おんぷちゃんはいいの! とにかく、私達は付き合ってるわけじゃないから」


「家にまで呼んでおいて? 照れ隠しならうちが外堀埋めてあげるから。既成事実既成事実」


 神田さんはスマホを取り出し、何やら操作している。二人が幼馴染だとは聞かされていたけど、こんな風に名前で呼び合って会話しているのを見るとウソではなかったと実感する。

 そしてこの二人の空気に割って入れるようなコミュ力を持ち合わせていない俺は黙って立ち去ることも弁明することもできず、ただ初めての坂道で茫然と立ち尽くしかなった。


「背景くん、景子をよろしくね。っていうか、この機会にもっとうちらと絡もうよ。同じクラスなんだしさ」


「え、あ、いや」


 クラスの中心人物でありながら、神田さんは誰にでも分け隔てなく接する。周りに集まる人間が神田さん狙いの陽キャが多いから普段絡むことがないだけで、クラス替えの時に全員をグループに入れたのは神田さんの強引さと人望があってこそだ。


「うちの仲良い友達には言っておいたからさ、これからは教室でもイチャイチャしなよ」


「ちょっ! おんぷちゃん」


「照れるな照れるな。いつも教室の隅で読書してて寂しいんじゃないかって心配だったんだ」


「私は……」


 神田さんの陽気さとは反対にNPC子ちゃんの表情はどんどん暗くなる。好きでもない男と勝手に付き合っていることにされたらそりゃあ気分も悪くなる。

 それにNPC子ちゃんは別に一人で寂しいとは感じていない。むしろ一人だからこそ露出に興じることができた。


「神田さん誤解なんだ。別に俺と東雲しののめさんは」


「えー? 付き合ってもない女子の家に来る? 小学生でもないのに」


「…………」


 当然の正論にぐうの音も出ない。高校生、しかも最寄り駅は一駅だけとは言え違う駅。親同士の交流もなければ幼馴染というわけでもない。

 俺の母さんが勝手に勘違いしたように、家に招かれる異性のクラスメイトはそういう目で見られるのが普通なんだ。


「別に背景くんに彼女ができたからって誰もバカにしないし、もしそんなやつが居たらうちがガツンと言ってあげる。景子も。困ったことがあったらすぐうちに言うんだよ?」


 今この状況こそが困っていることだと言いたげな苦い表情を浮かべてNPC子ちゃんは頷いた。

 幼馴染である彼女がそう判断した。これ以上の弁明は無意味と。


 だから俺もそれに従う。


「俺はもう帰るね。あんまり遅くなると親が心配するから」


「そうしなそうしな。景子の親だって娘がいつまでも帰ってこないと彼氏に何かされてるのかもって思うから」


 神田さんの中で俺達は完全にカップル認定されてしまった。しかもすでに友達に報告したというおまけ付きだ。俺もNPC子ちゃんも、神田さんの友達とは交流がないというのに。

 

 やっぱり陽キャは苦手だ。自分のペースで話を進めるし、自分達のルールで世界を動かしてしまう。俺達はそれに抗う力を持っていない。

 

 悔しさで唇を噛みながら一人で坂を下った。誰ともすれ違わないこの道でチャックを下ろしたら少しは開放的な気分になれるだろうか。

 NPC子ちゃんが露出をしたがる気持ちをほんの少しだけ理解できた気がした。

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