第23話 くうちゃん

 自宅の居心地は良いはずなのにこんなにも帰りたくないと思ったのは小学校の時以来だ。ゲームのし過ぎを怒られて勢いで家出して、寒さと空腹に耐えられずに渋々戻った。


 今でも他の人よりはゲームに興じる時間が長い自覚はある。それは友達と遊びに行くことがないからだ。部活もそこそこ、授業だってちゃんと受けてテスト対策も怠らない。成績と生活態度を良好に保っているからこそ何も言われない。


 もし両親がクラスメイトの露出写真を撮っているなんて知ったらどんな反応をするだろう。適度な距離を保って良い子のイメージを崩さない反面、本気でぶつかったことはないので想像ができない。


「はぁ……」


「どうしたの? ため息なんてついて」


東雲しののめさん、今は履いてるの?」


「もちろん履いてないよ」


 パンツを履いているかどうかを確認しないといけないクラスメイトを家に招く。友達を連れてくる機会が多いなら別に緊張しないんだろうけど、人生で初めてに近いイベントな上に女子と来たら大騒ぎになるのは間違いない。


 さすがにノーパンなのを一目で見抜かれることはないだろうけど、どのタイミングで露出し出すか俺にもわからないので気が抜けない。


「お願いだから露出は俺の部屋だけにして」


「うん!」


 貼り付けた笑顔の下に隠された本音を見抜けるほど付き合いは長くない。俺が部屋以外での露出を禁止したことでいきなり玄関でスカートをめぐる可能性すら生まれた。


 念を押したつもりが逆に墓穴を掘ってしまったことに後悔しながらドアノブを回す。


「ただいま」


「おかえり……って、その子は?」


 いつもこの時間はリビングかキッチンに居て顔を合わせることなく部屋に行けるのに、今日に限ってたまたま玄関を入ってすぐの廊下に居た。

 どうやらハンディモップで掃除をしていたらしい。家を綺麗にしてくれるのは大変にありがたいけど、今日だけはやめてほしかった。


 母さんは掃除の手を止め、すっかり東雲しののめさんに意識を持っていかれている。


「同じクラスの東雲しののめさん。もうすぐテストだからうちで勉強することになって」


 神田さんの幼馴染と言っても基本はNPC。変なことは言わないだろうけど万が一の事態に備えて自分から積極的に紹介した。同じクラスの人と部屋で勉強する。十分な情報を母さんには与えたはずだ。お願いだからこれ以上は詮索しないでほしい。


「まあまあ! いらっしゃい! くうちゃんがこんな可愛い子を連れて来るなんて、大丈夫? 何か弱みを握られてない?」


「握られてないです。強いて言えば、ハートを掴まれちゃってます」


「ぶっ!」


 思わず吹き出してしまった。NPC子ちゃんはそんなキャラじゃないはずだ。なんだよハートを掴まれてるって。俺はキミのハートを掴んだ覚えはないし、掴まれているような素振りだって見たことがない。


 どちらかと言えば俺がNPC子ちゃんの露出の虜になってるわけで……なんてことを本人と母親の前では口が裂けても言えない。NPC子ちゃんの意外な攻撃に俺は何も反論できなかった。


「あらあ!! 彼女なの? ねえ、彼女なの?」


「いいから。勉強の邪魔になるから部屋に来ないで」


「あとでお菓子持っていくわね」


 俺の言葉が耳に入っていないのか、部屋に来るなと言った直後にお菓子を持ってくる宣言をかまされてしまった。

 NPC子ちゃんを連れてきたことで異常なテンションになっているのはウザい反面、母親が確実に部屋に来るという情報を得られたのはありがたい。

 さすがに全裸になるみたいな激しい露出はけん制できたはずだ。


「おじゃまします。くうちゃんの部屋は二階?」


「その呼び方やめて」


「じゃあ背景くんって呼んでいいの?」


 階段をぴょんと駆け上がり俺との距離を詰めると耳元でささやいた。家で学校の話をほとんどしないので俺が背景くんと呼ばれていることを両親は知らない。本名を略すと背景になるとかならともかく、絶妙な存在感で背景に溶け込んでいるのが由来のあだ名なんて親としては心配になるだろう。


 くうちゃん呼びは煽っているようにしか聞こえないけど、背景くんと呼ばれて親を心配させるよりはマシ。部屋に辿り着くまでの数十秒間さえ耐えれば地獄みたいな空気化から解放される。


「…………今だけだよ。その」


「うん。くうちゃん」


 中学生に上がった時くらいから外で呼ばれることが恥ずかしくなった愛称なのに、こうしてNPC子ちゃんにささやかれると気恥ずかしさと一緒に幸福感も湧いてきた。もし本当に彼女ができたら、こんな風にくうちゃんと親しみを込めて呼ばれるのかもしれない。


「まさかくうちゃんに彼女がねえ」


「彼女じゃないから!」


「あら、そんなこと言ったら東雲しののめさん泣いちゃうわよ」


「景子。東雲しののめ景子って言います。お母さん」


「けいちゃんね。くうちゃんにイジワルされたらすぐに言うのよ。せっかくできた彼女を泣かせるなんて教育し直しちゃうから」


 母さんは鼻を鳴らしてガッツポーズした。階段の下からNPC子ちゃんを見上げる体勢で。


 そして当の本人はスカートを押さえていない。そこまで丈が短くないのでたぶん大丈夫。だって母さんは笑顔なんだから。

 息子の彼女だと思しき女の子がノーパンだったら、たぶん怪訝な顔をする。


 彼女だと勘違いして妙にテンションが高いのはちょっとウザいけど、このテンションが続いている間はNPC子ちゃんが露出狂だとバレていないとも言える。

 心の底からではないものの、物事の優先順位を考えると今の状態はまだ安堵できるものであることに胸を撫で下ろした。

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