第7話 あだ名の由来

 NPC子ちゃんとすれ違いざまに約束したものの具体的な待ち合わせ場所を決めていなかった。そのことに気付いて次の休み時間も同じようにトイレに立ったけど何も言われず、昼休みに自分から話し掛ける勇気もないのでそのまま放課後を迎えていた。


 帰宅の準備はすぐに整ったのに忘れ物がないか何度も確認するふりをして時間を稼いで向こうから声を掛けるのを待っている間にNPC子ちゃんの姿は消えていた。


「やっぱりここに居た。放課後いい? って聞いたら、うんって言ったのに」


「ごめん。教室でえぬ……東雲しののめさんになんて声を掛けたらいいかわからなくて。写真部の部室で待ってればそのうち来るかなって」


 約束をすっぽかして帰宅するのも気が引けるので部活動に精を出すことにしたのが功を奏したようだ。

 部室で待っていればそのうち来るなんて咄嗟の言い訳が出てきたのは我ながらあっぱれだと思う。


「私もちゃんと約束しなかったけどさ、普通いつどこで待ち合わせするか確認しない?」


「いや、誘ってきたのえぬ……東雲しののめさんだし」


 彼女の名前を口に出す時は東雲しののめさんと呼ぶべきだとわかっているはずなのについNPC子ちゃんと口走りそうになる。


「なんだかモテない受け身男子の代表みたいな考え方」


「…………」


 モテないどころかクラスでの言葉数も少ないとコミュニケーション能力が成長しないから受け身の考えになるのは仕方ない。

 NPC子ちゃんに反論できるくらいなら教室で話し掛けるくらい簡単だ。それができないからこそ俺は背景に溶け込むくらいの存在感で学校生活を送っている。


「あ、念のため」


 ガチャリとNPC子ちゃんは鍵を掛けた。モテない男子ゆえに女子の方から部室の鍵を掛けるシチュエーションには期待してしまう。


「これで二人きりだね。他の部員さんは今日も来なさそう?」


「たぶん。俺が熱心に活動してる部類に入るくらいだから」


 気分が乗ってる時は毎日部室に足を運んで撮影に行くこともあるし、新作ゲームが出るとしばらく来なかったりする。

 こんなに写真熱に波があるのにたまに会う部員からは熱心と評されるのが今の写真部だ。


 時間に縛られないゆえに結束力がなく、コミュ障でも安心して活動できるからこそコミュニケーション能力が育たないというジレンマを抱えている。


 今のところは俺が最後の砦みたいになってるけど、もしまともに活動する部員がいなくなって下半身がお盛んな陽キャに目を付けられたらヤリ部屋になるかもしれない。


 そしてその危機が目の前に迫っているかもしれないと考えたら自然と唾を飲み込んでいた。


 小柄なNPC子ちゃんが伏し目がちに距離を詰めてくる。きちんと制服を着こなしているのに透視能力に目覚めたかのように全裸がフラッシュバックする。

 はっきりとは見えなかったものの胸の先端部分の記憶も残っているのでそれらを統合すれば丸裸になったNPC子の完成だ。


 一週間前も同じようなシチュエーションで別件の告白をされたばかりだと言うのにわずかなチャンスがあると期待してしまう。

 露出の協力をしたお礼にとか、ピンチを救ってくれたお礼にとか、前回よりかは心当たりがあるせいだ。


 期待すればするだけ勘違いだった時のダメージが大きくなると頭では理解できているので過度な期待をしないように命令を送っているのに体は言うことを聞いてくれない。

 具体的には妄想と連動するように股間が膨らんでいた。


「実は……この一週間ずっと気になってたんだ」


「え……?」


 頬を赤らめたNPC子ちゃんは幼さを残しつつもどこか大人っぽく見える。子供から大人へ変貌する瞬間がすぐそこまで迫っているような印象を受けた。つまり俺も同時に大人になるということ。


 こっそり人の目を気にして露出するのではなく、鍵を掛けた場所で俺にだけ肌を露わにする。俺と一緒にちょっぴり大人な青春を過ごしていこう!


「私の名前を呼ぶ前にいつも『えぬ』って言うのなに?」


「…………あのですね」


「うん」


「怒らないで聞いてくれますか?」


「内容によるよ」


 やっぱり勘違いだったショックと本人に脳内あだ名がバレかけた焦りで感情がジェットコースターのように急降下した。さっきまで頂点のさらに向こう側まで上っていただけにその落下スピードは人生の中で一、二を争う。


東雲しののめさんって休み時間の度に『神田さん居る?』って聞かれてるよね」


「うん。なんでだろうね。教室の中をチラっと見ればすぐわかるのに」


東雲しののめさんはそれに対してどんな時でも同じように返してるでしょ。それがRPGの村の入り口にいるNPCみたいだなって思って、勝手にNPC子ちゃんってあだ名付けてた」


「あはははは。なにそれ。的確」


「あ……れ? 怒らないの?」


「露出狂の真逆っぽい無害さでむしろ嬉しいかも。私もゲーム結構するよ。確かに『ここはナントカ村です』としか言わない村人みたい」


「そういうわけで深い意味はないから。もちろんクラスで呼ぶ時は……っていうか、常に東雲しののめさんって呼ぶから」


「うん。それはお願い。特別なあだ名で呼んでるとすごく仲が良いみたいに勘違いされそうだから」


「…………はい」


 今の一言で周囲から仲良しだと思われたくないことが伝わった。いくらコミュ障でもそれくらいは読み取ることができる。国語の成績は結構良いんだ。

 文章から問題の意図は組み込めるのに会話に活かせない。それがコミュ障ってものだ。


「それに比べると背景くんってみんなに馴染んでるよね。逆に本名を忘れてるくらい」


「え……?」


 俺の場合は心の中であだ名を呼びすぎてつい間違えてしまうだけでちゃんと東雲しののめさんということは覚えている。

 まさか本名を知らないクラスメイトの前で露出してたってことなのか?


 本来は誰にも見られないように露出するわけだし、俺は背景として認識されてると考えれば理屈は通っているけどちょっと涙が出そうになる。


「ウソウソ。さすがに同じクラスなら覚えてるよ。内山くんでしょ」


「…………違う」


「…………え?」


「内山田。惜しかったけど」


「知ってた知ってた。冗談よ冗談。あはは……」


 NPC子ちゃんと脳内で呼んでいただけに俺の苗字をちゃんと覚えていなかったことを責めづらい。仮に変なあだ名を付けていなくても女子をイジるなんてとてもじゃないけどできない。


「背景くんでいいよ。みんなそう呼んでるし」


「うん……そうする」


 正しく苗字呼ぶ方がむしろ関係を疑われるのが俺という男だ。背景の一部なのに背景くんと人間扱いされているだけでもマシな方。

 ゴミとかクズとか呼ばれるよりかは親しみが込められていると思っている。


「だけどそっか。私ってNPCか」


 名前もなく定型文を返すだけのNPC扱いされてNPC子ちゃん……東雲しののめさんは恍惚な笑みを浮かべた。


「今まで人目を盗んで絶対に安全って時だけ露出してたんだけど、NPCなら決まった場所とか決まった時間に同じ行動をするものだよね」


東雲しののめさんまさか……!」


「ドキドキしちゃうなあ。どんなに人目があっても必ず露出するの。人生終わっちゃうかも」


「さすがにそれはマズいって! TPOをわきまえて……って言うのもなんかおかしいな。そもそも露出ってしちゃいけないことなわけだし」


「そのいけないことをするから気持ち良いんじゃん。NPCにはNPCなりの人生があるんだよ? 背景もそうだと思わない? いつも同じじゃなくて毎日ちょっとずつ変化がある。ずっと同じものなんてないんだよ」


「哲学っぽく良いことを言ってる風だけど犯罪だからね?」


「バレた? でも、こんな風に秘密の共犯者と小難しい話をできるの楽しいかも。背景くんだって私が露出してるところ見たいでしょ?」


 その問いに俺は無言で深く頷いた。こんなところでウソをついても意味がない。NPC子ちゃんが先生に涙で訴えれば悪者は俺になる。

 実際、生で裸を見られるのは嬉しいんだからここは全力で肯定しておくのが吉だ。


「背景くんって素直だよね。ちょっとひねくれてそうな雰囲気なのに」


「ウソをついたって仕方ないし」


「そうと決まれば早速外に行こう! お気に入りの露出スポットがあるんだ」


東雲しののめさん、あんまり大きい声でそういうこと言わない方が……!」


「大丈夫大丈夫。この辺の部室はあんまり使われてないから。私、人が少ない場所を探すのが趣味なんだ」


「露出できる場所を探すの間違いじゃ」


「まあまあ細かいことは気にしない。ほら、私って露出するタイプのNPCだから」


 嬉々として部室の鍵を開けるとそのまま廊下へ飛び出してしまった。外へ行くついでに風景の写真も撮れるかもしれない。うっかり露出したNPC子ちゃんが写り込んでしまってもそれは事故だ。

 きちんとカメラの視線を避けない露出狂に非があると思う。


 部室にあるカメラは学校の備品なので家に持ち帰ることはできない。とは言うもののまともに活動してるのは俺くらいなので翌日の朝に戻したってバレはしない。


「カバンは置いていこう。ちゃんと戻ってくるために」


 撮影する時に荷物が邪魔になるという理由と、ちゃんと部室にカメラを戻すという決意をカバンに込めて机に置いた。

 こうして部室に戻る理由を作っておけばNPC子ちゃんがあまりにも危ない橋を渡ろうとした時に逃げる口実ができる。


 俺はあくまでも学校の外に部活の一環として出るだけで、撮影するのは美しい夕方の景色だ。

 断じて屋外で肌を晒す女子高生の姿を収めるのではない。


「よし! 俺は真っ当な高校生だ」


 NPC子ちゃんの隠された肌をまたこの目に焼き付けられる期待感とバレたら人生が終わる緊迫感をうまく処理して部室の鍵を閉める。

 体調は悪くないのに指先が冷たい。部活に慣れていない頃はこんな風に外に撮影しに行く度に緊張してたっけ。

 忘れていたあの頃の気持ちをこんな形で思い出すなんて……。


「NPCなのは俺の方じゃん」


 授業の内容は毎日違うし撮影する場所も毎回違う。家に帰ってするゲームだって少しずつ進んでいるから同じことを繰り返しているわけじゃない。

 だけどこんな風に似たような日々を繰り返しているのならNPCみたいなものだ。


 俺は東雲しののめさんの毎日繰り返される言動を下に見て心のどこかでマウントを取っていた。自分だって背景のくせに。


東雲しののめさん。しのろめさん。しのののめさん」


 間違ってもNPC子ちゃんと口走らないように東雲しののめさん呼びを練習する。普段あまり喋らないせいで口が回らない。


「NPC子ちゃん」


 このふざけたあだ名だって普段は口にしないのに妙に言いやすい。俺の方がよっぽどNPCだけど、いつか東雲しののめさんをこのあだ名で呼んでみたい。

 露出なんて非常識で非日常なことをしない、地味で目立たないクラスメイトに戻って普通の友達になれた日に。

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