第6話 昂ぶり

 NPC子ちゃんが教室で全裸になってから一週間が経過した。俺の中にはまだまだ鮮明な記憶として残っていて毎晩お世話になっている。

 

 またよろしくね。


 あの日、確かにそう言われた。俺の方からまた露出しないのかと声を掛けるのはおかしい気がして、あれだけの非日常体験をしておきながらすっかり背景として溶け込む日々を過ごしている。


 今までは窓の外を見ることが多かった休み時間は全て読書タイムに変わった。ただ、肝心の本の内容は全く頭に入っていない。

 文字を目で追いながらも意識は完全にNPC子ちゃんへ向けられている。


「音風いる?」


「うん、いるよ」


「よっ! 音風は?」


「うん、いるよ」


東雲しののめちゃん、音風ちゃんいるかな?」


「うん、いるよ」


 問われ方にはバリエーションがあるのにNPC子ちゃんは同じ笑顔とトーンで同じ言葉を返す。


 一度教室で全裸になったのをきっかけにスカートの丈が短くなったりリボンをゆるめて胸元をはだけさせるようなこともなく、一週間前と全く同じ彼女が教室の一番後ろの席に居る。


 厳密には髪が伸びたり前髪を自分で切ったりメイクのノリが違うとか細かい点があるのかもしれない。だけどそれに気付くほど僕はNPC子ちゃんの顔をまじまじとは見ていないし、そんな小さな変化がわかるような女性経験も積んでいない。


 ただ遠くからNPCを観察して背景に溶け込みながら日々を過ごし、放課後は誰も居ない。風景写真を撮っていた。


「ねえねえ音風……あ、いる!」


「うん、いるよ」


 特に問われているわけでもないのに定型文を返すNPC子ちゃんは、間違えてNPCの前でAボタンを押してしまったような感覚に似ていた。

 神田さんほどの存在感と取り巻きの騒がしさながら目をつむっていても教室に居るとわかる。


 それなのにわざわざNPC子ちゃんに確認を取るのは一体どんな心理なんだろう。他所のクラスどころか自分のクラスですらまともに声を掛けられない俺には想像も付かない領域だ。


 あえてNPC子ちゃんに話しかけることで地味な子とも交流できるアピールをしているのだろうか。それなら俺にだって……なんて思わなくもないけど、いざ話し掛けられても気まずい沈黙の時間が流れるに違いない。


 それを思うと背景くんとして付かず離れず、交流もないけどイジりもない今のポジションはとても平和だ。クラスメイトの裸をこの教室で目玉に焼き付けたなんて誰も考えもしない。


東雲しののめさん、神田さんいるかな?」


「うん、いるよ」


 異性を気軽に下の名前で呼べる陽キャだけじゃなく、メガネを掛けたどちらかと言えば俺側の人間すらもNPC子ちゃん経由で神田さんに近付く。俺はそのことがすごく意外なのに、NPC子ちゃんはどんな相手でも同じ返事をする。

少し前までのNPC子ちゃんと変わらない言動はあの日の出来事を幻だったように錯覚させた。


 でも、間違いなく俺の脳内にはあの生々しい肉感が焼き付いている。触らなくても伝わってくる柔らかさと艶めかしさはこれまでの人生で経験したことのないものだ。NPC子ちゃんは絶対に肌を晒している。


 俺はNPCではなく背景の一部なのでトイレに立つことだってある。休み時間に男子生徒がトイレに行く。そんな風景は日常茶飯事だ。何の違和感もない。

 床とイスの脚に付いたゴムがギュウッと鈍い音を立てても誰も気にしない。男子は神田さんの体に、女子のその人気のおこぼれにしか興味がない。


 背景の一部が少し変わったところでそれに気付くのはよほど周囲に敏感な人だけ。例えば他人の目を盗んで露出している人だ。


「背景くん、また放課後にいいかな?」


「うん」


 危ない取引でもしているかのように短い言葉のやり取りをして俺は廊下へ出てそのままトイレへと向かった。

 会話とも呼べないくらいの一言のやり取り。それこそNPCが次の目的地を教えてくれたような短い言葉だ。

 

 普段女子どころかクラスメイトとも交流が薄い俺にとっては貴重な体験で、そしてまた放課後にあの背徳的な経験をするのかと考えると不安以上に期待もあった。

 その二つの感情が明らかに俺の鼓動を加速させている。


 直接触れることができないという点では動画や画像と同じだし、そういうのも出演している女性に比べればNPC子ちゃんの体は幼く艶めかしさが足りない。

 それでも生の迫力と熱感には勝てないことを俺は知ってしまった。


 誰かに見つかったら人生が終わるかもしれないというスリルを時間が経つにつれて求めている自分がいる。

 連絡先も知らないただのクラスメイトなのに俺だけがNPC子ちゃんの秘密を知っているという優越感もまた感情をたからせた。


 そのたかぶりが生理現象として如実に表れてしまっていたので、俺は個室に入ってゆっくりとパンツを下ろした。

 学校で合法的に丸出しになれるのはここくらいだ。


 

「俺以外、知らないんだよな」


 個室のドアはどれも開いていたのでトイレには誰もいない。そんな油断からつい独り言が漏れてしまった。

 仮に教室で着替えることがあったとしても下着までは脱がない。もっともNPC子ちゃんは下は履いてなかったけど、さすがにブラは付けていた。


 たかぶりが全然収まらない。トイレで深呼吸をするのも憚られて、結局昂たかったまま教室へと戻った。

 前までなら神田さんを中心としたグループの会話がまず耳に入ってきたのに、今の俺はまずNPC子ちゃんの様子が気になる。


 本に意識を集中しているのか俺が戻ってきたことに気付かず、かと言って俺から声を掛ける勇気もなく何も起こらなかった。


 もし彼女が露出していたらその瞬間を完全に捉えることができたのに……。

 さっきまでのたかぶりは一気に冷めて、俺は再び教室の背景へと溶け込んだ。

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