第4話 見ないでね

教室までの道のりで二人の間に会話はない。共通の話題がNPC子ちゃんの露出くらいなので誰かに聞かれるかもしれない状況で話すわけにもいかず、二人で一緒に歩いているのかいないのか絶妙な距離を保ちながら放課後の教室へと戻った。


「ほんとだ。誰も居ない」


 俺のイメージでは休み時間の延長で何人かが他人の席だろうとお構いなく使い永遠にデカい声で喋っているイメージだった。

 あるいは人目を忍んでカップルがイチャイチャしているとか……。


 チラリとNPC子ちゃんの方を見ると貼り付けたようないつもの笑顔を浮かべていた。一瞬だけでもカップルみたいだと考えた自分がバカだった。

 あくまでも俺はNPC子ちゃんの露出を背景に溶け込んで見るだけ。NPC子ちゃんが好きなのは俺じゃなくて露出をすることだ。


 俺は男として見られているのではなく、背景の一部に溶け込んだモブ。もはや俺の方がNPCみたいなものだと自覚しなければ。


「どうしたの? 緊張してる?」


「そりゃ、まあ」


「安心して。背景くんは私の指示通りにしてくれればいいから。でも、もし指示を守らなかったら……」


「守らなかったら?」


「こういう時、女子って便利だよ。被害者面したらすぐに信じてもらえるもん。反対に男子は最初から悪者扱いされるから損だよね」


「え……まさか俺が悪いって話になるの?」


「背景くん……内山田くんに無理矢理脱がされましたって先生に説明したらたぶんそういうことになると思う」


「そんな……俺だけリスク背負うってこと」


「大丈夫大丈夫。背景くんが背景らしくしてくれれば何もしないし、背景くんは間近で私の露出を見られる。みんなハッピーだよ」


 NPC子ちゃんの笑顔は少しずつ輝いていく。教室の隅で振りまく笑顔もそれなりに可愛いけど、露出のことを話すNPC子ちゃんは俺だけが知ってる楽しそうな姿だ。

 恋愛的な意味で意識しているわけではない。ただ、俺だけが知ってる彼女の本当の姿みたいなシチュエーションにドキドキしていた。


「ほらほら。背景くんは自分の席に着いて本でも読んでて。ちょっとでも目線を上にしたら絶叫しちゃうから」


「は、はい」


 西日に照らされた自分の席はぽかぽかと暖かく、それでいて眩しい日差しは読書には不向きだ。それでも俺は言われた通りに机から文庫本を取り出した。

 休み時間にちょっとずつ読み進める用の文庫本をうっかり家に置き忘れるわけにはいかない。テスト中でもない限りは最低一冊は確保している。


 NPC子ちゃんは今何をしているんだろう。取り出した文庫本を見つめながら教壇にいる彼女の姿が気になって仕方がない。目線を上げたら絶叫はたぶんすでに適用されているので興味本位で見るわけにもいかずモヤモヤする。


「へえ、教壇から一番後ろの席ってよく見えるんだね。注意しないと」


「…………」


 今の発言で授業中も露出していた可能性が脳裏をよぎり唾を飲んだ。授業中は当然みんな着席しているので窓側の席から廊下側の席を観察することは難しい。

 NPC子ちゃんの隣の席に座る明石くんはもしかしたら露出の瞬間を目撃しているのかも。でも、明石くんはよく先生から居眠りを注意されてるから可能性は低いのかな。


 そうだとしたらNPC子ちゃんの露出を教壇に立つ先生が目撃しているかもしれないわけで……。


 変化が少ないと思っていた学校生活の中にとんでもない変態が紛れ込んでいたという事実に興奮が止まらない。

 今もNPC子ちゃんは教壇で露出している。それがどの程度のものか目視はできないものの、普段見ている姿よりかは布が少ないのは確定している。


 視線では文字を追っているもののその内容が全く頭に入ってこない。誰も居ない教室は想像以上に静かで、わずかな衣擦れの音すらも鼓膜を揺らす。

 ページをめくらないと不自然な気がして、頭の中で秒数をカウントして一定のところでわざとらしく音を立てながら紙をめくった。


 俺の頭は休み時間に見たNPC子ちゃんの下半身と部室で見せてもらったわずかな谷間でいっぱいだ。全裸に比べればまだいろいろな部分が隠れているのに人生で一番エロい体験。


 この記憶だけでご飯が何杯でもいけそうなのに、まだいくことを許されずお預けをくらっている。


「…………ふぅ」


 一旦深呼吸をして心を落ち着けようと試みた。

 だけど息を大きくすったことで普段はあまり感じることのない心地の良い甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 NPC子ちゃんの匂い……視覚情報に嗅覚情報が足されて脳内でよりリアルな女体として組み上がる。

 その妄想がもしかしたらすぐ近くで生まれたままの姿を晒しているのかもしれない。


 見たい! だけど見たら人生が終わる。一時の欲望と人生を天秤に掛けて、どうにか人生の重みが勝利した。

 その勝利に酔いしれるように瞳を閉じて時が過ぎるのを待つ。俺は背景なんだ。本を読んでたら寝落ちした高校生というのも教室あるあるだ。何も不自然なことはない。


 こうして目を閉じていれば露出したNPC子ちゃんの姿を捉えることはない。若干露出のスリルは減るかもしれないけど、俺は背景としての役割を果たしているし、視線を上げないという約束も守っている。このまま時間が経てば家に帰るし、帰ったら……。


 ほんの少し先の未来に想いを馳せていると、ひたひたと素足で歩いているような足音が耳に入った。

 その足音はゆっくりと一歩一歩こちらに近付ている。


 まさかNPC子ちゃんは靴まで脱いだのだろうか。視線を上げるなとは言われているけど下を見るなとは言われていない。下半身については休み時間に見ているわけだし、ルールを守った上でチラリと俺の視界に入ってしまうのはNPC子ちゃんの落ち度だ。


 本を読んでいるふりをしながらゆっくりと目を開けると、ノーガードの太ももから下の部分をしっかり視界に捉えてしまった。

 さっきまでスカートに隠れていたので少なくとも下半身は確実に脱いでいる。


 ここまで思いっきり脱いでいるんだからきっと上半身だって……NPC子ちゃんが上を見るなと念を押したことからもそうである可能性が非常に高い。


 もし興味本位で顔を上げれば人生が終わる。でも、そこには布で隠されていない小さな山が存在している。

 自分の高校生活を考えればここが最初で最後のチャンスかもしれない。


 さっきはギリギリで競り負けたすぐそこにある欲望の重みがどんどん増して人生を超えようとしている。

 あの時、通報覚悟でNPC子ちゃんのおっぱいを見ておけば……そんな後悔を抱えたまま人生を終えたくない。

 いやいや、まだ人生は長い。高校生で生のおっぱいを見る方が珍しいんだ。


 長期的な視点で考えてお互いに合意の上でそういう関係になった健全だし人生が終了する心配もない。


 今日は太ももの日だ! 太ももだけ見たら満足する日。そういうことにして自分の中で折り合いを付けて、どうにか人生の重みを守ることに成功した。


「ちゃんと約束を守ってくれてありがと。これからよろしくね背景くん」


 NPC子ちゃんがしゃがみながら言った。体を丸めているので大事な部分はちゃんと隠れてはいる。だけど制服も下着も身に着けてない女の子の生肌を見るのは初めての経験だ。この興奮をどうにか理性で押さえて、本を読んでいる途中で寝落ちしたかのように目を閉じた。


「私がちょっとでもバランスを崩したら背景くんに全部見られちゃう。すっごくドキドキして楽しい。背景くんも私の裸を見られて嬉しい?」


 うたた寝をして舟をこいでいるように首を縦に振った。明らかな意思表示をするのは恥ずかしいし、否定をするのはウソをつくことになる。

 俺にできることは起きているのか寝ているのか断定できない感じでふんわりと肯定することだけ。


 ここで大きな一歩を踏み出したら残りの高校生活が甘酸っぱい青春になるかもしれないのに、人生最大のチャンスを活かせないのが背景くんと呼ばれる所以ゆえんだと自嘲した。


 寝たふりをしたままうっすらと右目を開けるとNPC子ちゃんはまだその場にしゃがみ込んでいた。羞恥と興奮で肌がうっすらと赤く染まっている。薄目で見ているのが覗いているみたいでこちらとしても背徳感が半端じゃない。


 もしこんな姿を誰かに見られたらNPC子ちゃんがどう証言しても処分は免れない。その緊張感が鼓動をより一層早くした。


「教室で全裸になるのは初めてなんだ。共犯者になってくれてありがと」


 共犯者という言葉に体がぴくりと反応してしまった。俺は一切脱いでいないくても、第三者からすれば俺がNPC子ちゃんに強要しているように見える。実際、薄目とは言えクラスメイトの生の裸体を脳裏に焼き付けれた。

 報酬を得ているという意味では共犯者と呼ばれても仕方のない部分もある。


 心臓がバクバクと音を立てて、俺という存在が背景から飛び出て自己主張を始めている。

 校内での不埒な行為によって存在を証明するなんて出来の悪い陽キャのすることであって、平穏で地味な高校生活を送ってきた俺とは無縁なはずだ。


 俺はこれからも地味な背景として過ごして卒業していくつもりだった。それなのに、全裸のNPC子ちゃんがすぐそばに居ると考えるだけで今までの学校生活を凌駕するくらいの濃厚な時間を過ごしていると実感できる。


 NPC子ちゃんと付き合うとかじゃない。ただ背景としての役割を果たして露出する姿を見るだけ。

 まだ高校生の段階で万が一にも妊娠させてしまったら大問題に発展してしまうけど、あられもない姿を見るだけならお互いに欲求を満たせる関係だ。


 公共の場での露出は確かに罪に問われる行為だけど、誰かに通報されなければ誰にも迷惑を掛けていないということ。

 NPC子ちゃんは露出に慣れているみたいだし、あとは俺が背景に溶け込んでこっそりとその姿を堪能すればいい。


 自分に都合の良い解釈を発見できたことでバクバクと音を立てていた心臓は落ち着きを取り戻し、性的な興奮によって加速した血流だけが残った。


「そろそろ危ないかな。さすがに立つ時には隠せないから、背景くん、窓の外を見てもらえると助かるかも」


 寝落ちしているはずなのになぜかNPC子ちゃんの言葉をしっかりと聞き取り、その内容を理解した俺は目を閉じたまま顔を窓の方に向けた。


「んしょ」


「っ!?」


 外を見ていれば目を閉じている必要もないと油断したのがマズかった。ガラスに反射したNPC子ちゃんの裸体がうっすらと映り込んでいる。

 モザイクが掛かるような部分が幸いにも俺の頭と被っていて完全にガードされていたけど、男子的には興味を抱かずにはいられない上半身はガードが甘かった。


 NPC子ちゃんもそれに気付いたのか一瞬で胸を手で覆い隠し教壇に向かって駆けていく。


「い、今のはサービスだから。背景くんはそのまま背景になってて」


「…………」


 背景に溶け込んだ俺は言葉を発さない。教室の隅にいる生徒の一人としてただ存在しているだけ。何も見てないし聞いてないし喋らない。

 その役割を全うすることだけを考えて、窓に映ったあの光景を脳内で何度も再生しながら解像度を高めていった。


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