応援コメント

第15話:南光坊天海(秀吉視点)」への応援コメント

  • 寧々どのは光秀にとられちゃったんですか⁉️ほんとうに歴史わからないんです(*´u_U*)ショボーン

    作者からの返信

    秀吉とはいろいろ派手なケンカをしつつもいい夫婦だったようです。

    この作品では、全てをかすめ取ってしまうところをお楽しみ頂けると幸いです。

  • 天海上人は天文5年(1536年)陸奥国大沼郡高田の生まれで、
    彼は11歳の時に黒川稲荷堂の別当を務めていた
    弁誉のもとで出家得度し、随風と号します。
    その後14歳で諸国を遊学し、比叡山で神蔵寺の実全に師事、
    園城寺(三井寺)にも赴き、同寺勧学院僧正尊実の元で学んだそうです。
    その後、奈良の興福寺で法相・三論を学び、
    足利学校でも四年間学んだ後、 天正元年(1573年)には、
    蘆名盛氏の要請で、黒川稲荷堂の別当になり、その後上野国世良田長楽寺で、
    宜海春豪に師事し、葉上流灌頂大阿闍梨位になっています。
    天正18年(1590年)に武蔵国入間郡仙波の星野山無量寿寺で僧正豪海に師事、
    名を天海に改め、 ここに天海上人が誕生する訳です。

    拙著、【明智光秀は天海上人だったのか?】より抜粋。
    天海と名乗るのは1590年ですよ。この頃は随風さんですね。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    あくまでもこの作品は「ライト作品」です。
    実はその事も知っております。
    ですが、この作品のあらすじに書いておきましたように一般のユーザーさまに歴史物に触れていただくことを趣旨としております。

    以下抜粋です。
    ここから
    この作品は戦国物になじみの薄い方に読んでもらえるような脚色をしました。時には「こんな事ね~だろ」という嘘を「わざと」書いています。楽しくするために色々と嘘をちりばめています。資料は一級資料信長公記を使うこともありますが、偽書、軍記物の類も使用しております。
    戦国通の方は「ああ。ここわざと変えているな」「あの資料使っていやがる」という楽しみ方をしていただけると幸いです笑。

    ここまで。

    御理解いただけますでしょうか?

  • いい具合に秀吉が育ちそうですね。いやぁ好敵手(ライバル)は大事大事

    作者からの返信

    黒幕も大事です^^

  • 光秀に勝つためには、悪魔(!?)も迎え入れますかヽ(´o`;

    作者からの返信

    光秀に勝つためには光秀が必要?

  • 南光坊天海 = 明智光秀 の説がありましたね。

    天海 VS 光秀

    より楽しみに成りました。

    作者からの返信

    流石るしあん様。
    よくご存じで^^

    ご都合主義ですが、色々と仕掛けはしてあります♪

  • 坊主キラーが黙ってるかな?

    作者からの返信

    @toratamaさま。
    コメントありがとうございます!

    もちろん、宿敵です^^