胸の痛み

 ディアンヌ邸に戻ってきてから数時間は経っている。過ごしやすかった秋の風は熱を帯びたこの体に心地よいほど冷たくなっている。慌ただしい一日はもう終わりかけていて、自分以外は皆眠りに落ちているだろう。


 本来なら、一心不乱に素振りをしているような時間ではない。しかし、こうでもしなければ冷静な思考を取り戻すことができない。予期せぬ再会は、それほど俺にとって衝撃を与えた出来事だった。


 ふと手を止め、息を整えるだけでかつての恋人が脳裏に蘇る。どこからどう見ても一般的な修道女になっていたエレオノーラ。しばしの間見つめ合い、アランの指摘を受けるまでシャルを連れ帰ることすら頭からすっぽ抜けて動くこともできなかった。


 馬車の中で体調を崩したシャルを気遣っているときも、改めてサムとマリーに事情をすべて説明し、慌てふためく二人をとりなし納得させる間も、心はどこか置き去りのまま。会話も右から左へと通り抜けていた。

 

 リハビリと称し剣を振ってもひとたび気を抜いてしまえば集中力は散漫に、体の動きは煩雑になっていく。そして別のこと、かつて愛しあい、語り合ったときの思い出でいっぱいになってしまう。


「くそ」


 これほどまでに心をかき乱されたことは、かつてなかった。今の俺には、やらなければいけないことが山積みしている。優先すべきことははっきりとしているのに、ぼんやりとすればしっかりとエレオノーラの表情を思い浮かべてしまうのだ。


 愛を深め合っていたときの笑いあった日々、交した言葉の一つ一つまで。


 すると郷愁に似た懐かしさと哀しさ、そしてどうしてだか罪悪感。それらが伴ってくる。心の内側から溶かしつくされるというほどの熱い情熱とも、胸をズタズタに引き裂かれる苦しみとも違う。


 憤然としたぶつけようのない衝動は、いつしか何故だ何故という疑問へと変わっていく。何故、また出会ってしまったのか。何故エレオノーラは修道院に入っていたのか。


 そして、何故刺客と同じ香水をどうして作っていたのか。


 香水の匂いに、間違いはない。俺のみならずアランまで認めている。市販されておらず、この国のどこにも出回っていないのだ。刺客がエレオノーラの作った香水をただ購入しただけとも考えられるが、別の理由も挙げられてしまう。


 もしも、エレオノーラが大臣の仲間だったとするなら。彼女自身が刺客だったとするなら。

 

 ありえないことではない。それならば附に落ちる。修道院は男子禁制だが、そこに大臣が匿われていればこれまで発見されなかったことも頷けるし、修道女が王女を狙う線なんてなかった。


「ええい・・・・・・・」


 まだ決まったわけではない。しかし、類挙すればキリがないのだ。エレオノーラがなんらかの形で関わっているという疑惑が。


「旦那様。まだ寝ていなかったのですか?」


 意識が散漫になっていたために、寝間着にカーディガンを羽織ったマリーが呆れた様子でタオルを差し出してくる。乾いたタオルの感触が心地よいが、同時に体温も吸い取られていくように冷えていく。


「どうした?」

「いえ。シャルの容態が落ち着きました」


 ギクリと、心臓が飛び跳ねた。


「明日にはピンピンしているでしょう。本人も不思議がっていましたが、どうしたのでしょうか」

「さ、さぁな・・・・・・・」


 今あの子の話題を出されて後ろめたくなってしまったのが不思議だった。気取られないようにしたが逆に焦りが出てしまい、ドギマギとしたぎこちのない動きとも反応ともなってしまう。


 そんな俺に対し、マリーはジッと見つめてきて更に謎の後ろめたさが倍増する。


「シャルロット王女、とお呼びしたほうがいいのでしょうか?」

「なんだそっちか・・・・・・・」


 そっち? と小首を傾げる、なんとも真面目なマリーについ安心すると同時に、吹き出しかけてしまう。


「黙っていてすまなかったな」

「いえ、事情が事情ですもの。旦那様らしいとおもいます。それに王女であるならば納得がいきます」


 世間知らずで仕事ができなかったことが、附に落ちていても、どこか現実味が薄いのだろう。あの子が・・・・・・・とブツブツ呟いている。


 俺の知らないところで色々失敗して、マリーとサムに迷惑をかけていたんだな~と今更ながら申し訳なさでいっぱいになってしまう。


「では、旦那様とあの子の間でなにかあるわけではないのですね?」

「なにかって、なんだ?」

「惚れられていた、ということです」

「あるわけないだろそんなこと!!」

「!?」

「あの子は王族! そして俺は一介の騎士! 身分違いにもほどがある! なのに俺がシャルに惚れているなんて!」

「い、いえ。旦那様がではなく」

「俺はただ護衛のために一緒にいただけだ! それに あの子は遠からずここを離れるんだ! そんなことあるわけがないだろう!」

「か、かしこまりました」


 まったく。一体なにを突然変なことをいうのかとおもえば。


「では、新しい使用人を募集しなければなりませんね」

「ああ。そうなるな。どうした?」

「いえ。あの子もようやく仕事を覚えてきて、これからだとおもっていたので」 


 一陣の風が吹き抜けた。汗で濡れていた体が一瞬で身震いするほど強い。どちらからともなく歩きだす。


「あの子には驚かされっぱなしでした」

「俺もだ」

「何故こんなにもできないのかと。どうしてクビにしないのかと旦那様を恨んだこともありました」

「すまない」


 この際だとばかりに、一つ一つ例に挙げシャルへの愚痴を言い募っていく。よっぽど溜まっていたのか節々に感情が込められていて語気が強くなっている。


「けど、残念です」

「どうしてだ?」

「あの子がいなければ旦那様と・・・・・・お兄ちゃんと元通りになれませんでしたから」

「・・・・・・・」

「こんなことは不敬かもしれませんが、あの子がいてくれてよかったと今ではおもっています。そしてこれからもいてほしいと最近では」

「・・・・・・・そうか」


 マリーは、彼女なりに認めていたのだろう。シャルのことを。


 収穫祭に行く前日の準備をしているときも、二人の距離は縮まっているようにも見えた。それはどこか姉が妹を窘めているようで、微笑ましさも覚えた。笑っているサムも、


 こんな時間がずっと続くとおもっていたのかもしれない。だとすれば、マリーはいなくなるシャルをおもい、寂しがっているのか。


 そんなあてのない話をして屋敷内に戻るうち、段々と迷いが払拭されていることに気づいた。自分がなすべきことが定まり、はっきりとした決意として固まった。


 自分のためだけではない。シャルロット王女と、サムとマリーもいる。彼女、彼達を守るためにもなすべきことをすればよいのだ。これまでと同じように。


「シャルだったら、お兄ちゃんの奥様になってほしいともおもっていました」

「ぶ! お前なぁ~~~!」

「あの子もそれらしい気配があったのですが。兄さんもそう言っていましたし」

「お前なぁ・・・・・・・・・う!?」

「お兄ちゃん!?」 


 膝から崩れ落ちそうになる俺を庇うように、マリーが支えに入った。

 

「無理をするからですよ」


 サムを呼びに行こうとするマリーをとめる。適当に誤魔化し、そのまま別れた。


(今のはなんだったんだろう)


 手摺りに体重を預けるようにして階段を上がりながら、さっき体に生じた違和感を思い出す。まるで呪いを受けたときのような痛みが刹那的におこったのだ。


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