終わる任務、新たな事件
「以前から持ち上がっていた話がある」
すぐには聞こえなかった。歓声と爆発音は既に消え失せている。耳をすませばきちんと聞き取れる距離なのに、俄には信じられなかった。
「なにかと物騒な王都にいさせるよりも、いっそのこと別の場所に移動させたほうが安心だ。離宮にいる影武者を移動させて囮にすれば移動を撹乱できる。少し様子を見ようと」
移動はどうするのか。目立たないのか。返って危険だとおもい、話半分で頭の中に留め置いておいていた。多忙な政務と調査にも時間を割いていたのも理由にあるが、再びそんな考えが現実味を帯びてきた。
皮肉にも俺が倒れたときにもう一度持ち上がったのだ。いざというとき、一人しかいない護衛が倒れたらシャルがどうなるか。
「それに、シャルロットのあの様子だ。まだ決まったわけではないが、母を思い出す」
「王妃様がなにか?」
「母の死因は肺の病だ」
皮肉にも、シャルのあの様子が決定的となってしまったのだ。
まだ彼女が王妃と同じく病と決まったわけではない。だが、どうしても重なってしまうのだろう。俺の眼から見ても疲労が積み重なったにしては不自然すぎる
医者に診せるにしても、情報が漏れる。万が一、呪われ騎士だった俺の元に、人の出入りが増えるのは不自然でもある。必ず常に医師と護衛達を側に置ける環境でなければいけない。
幸いなことに、今ならば大臣も派手に動く余裕はない。
「心配のしすぎだとおもうか?」
「いえ。シャルロット様は、たった一人の妹君ですから」
「迎えを寄越すまでは貴様の元にいさせる」
わかっていたことだ。
いずれ来る終わりが、今決まったのだと。
そう納得させようとしても、痛みを伴った胸にぽっかりと穴が空いたような空虚感が増していく。
「シャルロット王女がどこかへお移りあそばされたら、自分は騎士隊に戻るのでしょうか?」
「それは、団長に任せている」
話をしながら天幕まで戻ると、付き従っていた護衛達が出迎えた。意味深げにこちらをチラッと伺われる。複雑そうな殿下は、そのまま天幕へと消えていった。
殿下に言われたことが次々に頭の中で谺する。例えようのないもやもやとした処理しきれていない感情が溢れそうだ。
シャルに会ったらどうなるか、自信がない。
「ねー、おじさん買って!」
「誰がおじさんだ! まだ俺は二十代だぞ!」
立ち尽くすしか術がなくなっていると、子供達に纏われつかれているアランが逃げるようにこちらへと近づいてきた。そして、今初めて気づいたという驚きを見せる。
「お、お帰りエリック。なんの話していたんだ?」
「ちょっと・・・・・・・・・な」
複雑そうなアランは、しかしあえて見ないふりをしてくれたのか。サムとマリー、そしてシャルのことを教えてくれた。そのまま二人にも説明をしてくれたと。
「シャルは・・・・・・・王女の容態は?」
「落ち着いている。けど、まだ一人で歩くのは無理そうだ」
そして、帰り支度をしている子供達に絡まれたそうだ。売れ残った商品を買ってくれとせがまれて、困り果てながら。
鬱陶しさを覚えたが、無碍にできなかったのだろう。孤児達の服装を見て豊かな暮らしをしていないのがわかる。中には裸足の子どもも居たし、着ている服も体型と季節感が合っていなくてぼろっちい。
ただ眺めているだけの俺も、いたたまれなくなり、買うことを決めた。
商品は既に木箱に入れられている。持って帰っても処理に困るだろう。余っているとはいえ、一人で購入するのは数が多い。
商品はクッキー、そして薬だ。孤児院と併設されている修道院内に、小さいながらの畑があり、そして鶏と山羊も飼っているため材料に困らないらしい。そうして少しでも生活の足しにしようとしているのだと、無邪気に子供達は教えてくれた。
「これは?」
目を奪われたのは、香水だ。梱包された袋と比べて容器が剥き出しになっていたのが場違いに感じたのだ。クッキーと薬草と違って香水は簡単に作れるものではない。少なくとも専用の容器や器財、難儀な工程が必要、修道院と孤児院が作るにしては不釣り合いだ。
これも作ったのかと聞くと、数年前に修道女になった人が作り方を教えてくれた。香水を扱うお店で働いていた経験があったので、ここでも作れるのではないかと提案をしたのだ。
作り方も道具もいくつか持ち込んできていた。力仕事が多いので大変だが、案外面白いのだと子供達は教えてくれた。
「そうか。ならいい」
男が香水など使わない。だから断ろうとしたが、子供達はしつこく買わせようとしてくる。一番値段が高いからだろう。幼いながら、なんとも商魂たくましい。
少し前までの俺ならば、こんな風に子供達に纏われることもなかった。だが、感慨に耽る暇もない。女の人に贈っても喜ばれる。だから男の人でも買った人はいた。そこまで言われて、ある考えが過ぎった。
「これを買おう」
子供達は一斉に喜びの声を挙げた。いざ購入しようとしてもどれがいいかわからない。すると蓋を開けて匂いを嗅いでもいいと笑いながら催促された。
ただ生活のためだけではない。自分達が作ったのを使われるのが嬉しいのだと子供らしい純粋さが可愛らしく、あどけなく、余計自嘲と罪悪感に塗れていく。
「・・・・・・・・・この香水を作った修道女は、ここにいるのか?」
「え? うん。あっちに」
「少し話がしたい。オススメはどれか、ということについて」
子供達は、特段怪しむこともせず修道女を呼びに離れていく。
「あいつら、お前が呪われ騎士だと知ったらどんな反応するかな」
わざとらしくおどけた調子のアランに、まともな返事ができない。そして、もう一度そして、握った瓶の蓋を開けて、もう一度匂いを嗅ぐ。
途端に緊張感が滲み、汗をかいてしまいそうになる。深呼吸を繰り返して平静さを取り戻そうとする。
(やはり、間違いない)
大臣はまだ見つかっていない。それどころか所在さえ不明。目撃証言さえ皆無なのだ。唯一の手がかりは襲撃犯の落としたものだが、それも入手先は不明。誰がどこで作ったのかもわからない。
だが、それら全てに理由があるのだとしたら。
「エリク?」
いきなり目の前に差し出された瓶を受け取りながら、頭を捻る。詰るような視線が、なにかを察したものへと変貌、頻りに匂いを嗅ぎ出す。
アランも察したのだろう。この香水は襲撃犯が落とした物と同じだと。
考えてみれば盲点だった。修道院は男子禁制。しかし、言い換えれば匿う場所としては最適なのだ。人目を凌ぐには充分。更には王族と近しい関係にある。
知らず知らずのうちに、杖をいつでも抜けれる握り方でかまえる。
「お待たせいたしました。私になにかご用でしょうか?」
「ああ。いくつか尋ねたいことがある」
いずれにしろ、この香水を作った修道女が糸口になる。
ゆったりした袖のついた、暗色のくるぶし丈のトゥニカ、裾が大きいウィンプルの上に黒いベールを被っていてロザリオを提げている。作業で邪魔だったのだろうか。袖を紐で縛っているが、なんの変哲もないどこにでもる修道服だ。
「これは、ここで作られたのか?」
開こうとしたが、そのままうんともすんとも言わない。囀る小鳥のように半開きのまま口の形を固定し、そしてまじまじとこちらを見つめている。
何故そんなことを聞くのか? と不思議がっているわけでなく。疚しいことを尋ねられた者の反応でもない。信じられないことを目の当たりにしている驚きを示している。
「エリク?」
「え?」
「エリク・ディアンヌ?」
何故俺の名前を、と警戒心を抱いたが、ベールに隠れていた瞳に、既視感を覚えた。小さくて赤みがかった小さい、兎を連想させる瞳。
そしてウィンプルから飛びだした、乱れながらも艶々しい茶色い髪の毛。見れば見るほど顔立ちに面影を感じずにはいられない。きっと、今俺は彼女と同じ表情になっている途上なのだろう。頭の中が真っ白に染められていく。
不安と恐怖が心臓を激しく蠕動する。血管という血管の巡りが逆転しているようだ。どうして、なんで、嘘だと声なき葛藤が渦巻く。
「エレオノーラ・・・・・・・・・・」
かつての恋人、その人はようやく自分を取り戻した。
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