騎士として
顔色が多少ましになった。人目見てそう感じたのは花が咲いたと紛う笑顔を向けられたからだ。一歩一歩足を進めていくと額にうっすらと汗が浮かんでいた。蒼白の顔も若干苦しそうに見える。
俺が収穫祭に誘わなければこんなことには。つくづく良心が苛まれる。
「シャル・・・・・・・・・?」
眠気眼のように、瞼が半分開けられた瞳。感情を窺うことができないくらいぼんやりとしている。いつもよりとろんとしていて、別人みたいだ。
「ああ、エリク様」
まるで譫言だ。顔を寄せなければ聞き漏らしてしまうほど、か細くて弱々しい。胸が痛くて仕方が無い。
「マリーさんとサム、さんは?」
「なんともない。二人とも無事だ。それよりも体は?」
「まだ少し・・・・・・・」
咳をした拍子に、額に載せられていたハンカチが横にずれた。位置を直そうとすると、指先が肌に触れた。体温と汗ばんだ柔らかさが、電流のように刺激してビリッとした衝撃が体内を駆け巡る。
なんだかいけないことをしてしまったようで、手が止まる。
瞬間、背筋に悪寒が走った。
ぞわっとした殺気、物言わぬ静かな殿下の気配を感じとった。
「エリク様?」
「あ、ああ。なんでもない」
天幕は人目を避けられるだけではない。しっかりとした温度と広さ、過ごしやすさというのを確保されているのだが、冷や汗が止まらない。
こっそり背後を見る。シャルに触れてしまったことに気づいたのか、睨み殺さんばかりの殿下がこちらを見ている。ただじっと見ている。
なにも悪いことはしていないのに、若干後ろめたい。
「いつから、悪かったんだ?」
「さっき。たったさっきです。お兄様に気づく、ちょっと前。それまではなんともなかったのですわ。本当です」
「わかった・・・・・・・・・・」
「皆さんには、ご迷惑をかけてしまいました」
「迷惑なことなんて、ない」
「せめて、わたくしにもなにかできることをしたいとおもっていたのですが・・・・・・・」
「?」
「けれど、それも台無しにしてしまいましたわ。いつも、いつもエリク様には・・・・・・・・・・なにもお返しすることができず・・・・・・」
台無し。お返し。何故そんな言葉が出てくるのか。そんなこと気にする必要無いと言ってしまえば簡単だ。
収穫祭に連れだしたことも、彼女の喜ぶ顔に幸福感を味わったことも、本来の役目からは外れている。そしてそもそもが俺の感情から端を発しているのだ。名状しがたい正体のわからない感情に。
ある種の引け目になって、建前として説明することも、適当な理由を挙げることもできず言葉に詰まる。
「けれど、わたくしがいなくてもエリク様は・・・・・・・・・せめて、幸せになれるよう、祈っております。せっかく元に戻れたのですもの。幸せに」
それを最後に、外に出た。尋常ではないほど高まっている殿下の殺意。天幕を中心に散らばっている護衛にもざわざわとした雑踏にも引けをとらない。
「お前の屋敷では随分と楽しそうに過ごしていたのだな」
感情を押し殺しているのだろう。低く冷たさしかない殿下の声。どこを目指しているのかわからないまま追従していると獅子の被り物を再び装着した。
「鶏肉が好きなのだろう? シャルが言っていたぞ。今日の夕食はなにがいいか。ローストかフライか」
「は、殿下」
「まさかシャルロットがお前の家でなぁ。そんなことを。それもシャルロットが縫ったのだろう?」
即座に悟った。
下働きをさせていたことがバレたのだと。
「ちくしょうがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
目立たない場所まで離れて即座。殿下は膝を折り字面に突っ伏した。
「許せん絶対に許せん許せん許せええええええん!!」
「で、殿下」
例え自ら望んでいたと言っても、信じないだろう。いや。信じたところで護衛対象である主家の子女が平民のように働いていたなど許せるわけがない。俺が知っている殿下は、そういう御人だ。
今回の件と合わせて、処罰されても仕方が無い。
いや、俺のみだけじゃない。事情を知らないとはいえサムとマリーまでとばっちりを喰らう。
「殿下。お話を聞いていただきたく」
「聞く耳もたぬ! 許せるわけがないだろう!」
やはり、無駄だ。すまないとサム、マリーに謝罪して覚悟をきめた。
「シャルロットの手料理を味わっていたなどと決してなああああ!!」
「そちらですか?!」
おもわずツッコんでしまった。
「そちらとはなんだ!! それ以外にないだろう!!」
「い、いやしかし、え、え?」
「私も父上も、まだ誰も食べたことがないんだぞ!! それを貴様は!! 妹の初めてを奪ったのだ!!」
「で、殿下。声を抑えて」
大変人聞きが悪いが、取り越し苦労だったと判明した。
殿下の怒りに呑まれ、終始意図が汲むのに苦労した。周囲に怪訝がられないように臣下の礼を取ることもできず責められ続けてやっとだ。
平民の暮らしを体験をするのは悪いことではない。殿下自身も孤児院への寄付や交流を通じて内政、特に税金について参考にしているのだと。だからシャルロットが使用人として実際に働いていたことにも一定の理解がある。
だから、その件についてはどうでもいいと考えている。シャルロットの意志であったということも。怒りの矛先が殿下の個人的なものだと掴めたのは、かなり時間が経ってからのことだ。
いつしかあれだけ多かった人は、まばらになって減っている。太陽は西の方角で傾いていて、もう少しすれば夕暮れに染まるだろう。
「それともなんだ!? 他にもなにかしたのか!? まさか手を出したんじゃないだろうな!」
「出していません! 俺は! 誓って!」
「俺は、とはなんだ! お前以外に出されたということか!」
「違います!」
また話が変な方向へと進んでしまった。シャルロットの貞操がどうだとかなにかあったのではないかと。ない、と断言しようとした。
そのたび、ある光景を思い出した。まだ屋敷に来たばかりのとき。尻尾に夢中だったとき。隙さえあれば接触しようとしたとき。触れられたとき。
つられて、俺自身がおかしな気持ちになったときも。シャルと二人きりで過ごしたときも。脳裏に浮かんで大変なことになった。
「ありません! 絶対に! 誓います!」
「誓いなどなんの役にもたたん! 破ろうとおもえば破れるのだ!」
身も蓋もないことを捲したててきた。いい加減誰かに怪しまれないか、というか今俺達はどう見られているんだろうかということが気になった。
「そ、そもそも王女殿下のお気持ちとて、そうでしょう!」
「ああ!?」
「王女殿下は、私のことをなんともおもっていません! 私は呪われ騎士だったのですから! それで興味を持たれただけでしょう!」
ここで核心的なことを。王女殿下が自分の元に来た理由を語った。
見た目が動物と同じようだったから、可愛らしさを見いだした。つまりは愛玩動物と同じ扱いでしかなかったということ。
呪いがとけたから興味を失い、シャル自身が行動の恥ずかしさを自覚した。それによって漸く普通の人と同じ態度で接することを心がけたのだということ。
恩返し、幸せにというのは護衛をしてくれたことへの感謝であるということ。
「と、いうわけであります。ご納得いただけたでしょうか?」
シャルと自分になにかあるというのは杞憂に過ぎない。そう説明し納得してもらいたかった。
「貴様はなにを言っている?」
「え?」
しかし、どういうことだろう。殿下はどうしようもない馬鹿を見るような目を向けているではないか。
「で、ですから。殿下が不安視されているようなことは万に一つもないのです」
「・・・・・・・・・・エリク・ディアンヌ」
心底嘲るような態度を露骨に示されるまでに至った。
「では何故シャルロットがこんな物を作っている?」
懐から取りだしたのは、いつか見た手書きの手配書。しかも一枚どころではない。十枚以上はあるだろうか。
「シャルはな。これをジャンヌと手分けして人に渡そうとしていたのだ」
「え、」
「どうおもうのだ?」
記されている金額は王族からすれば決して高い金額ではない。しかし、一介の護衛に対しては過分すぎる。手作りのクッキーを上手に焼いて渡すくらいが席の山だし、シャルらしい。
ただ恩返しと片づけるには、釣り合いが取れない行為だ。それも自分が愉しみにしていた収穫祭の合間を縫ってまで。興味を失い、普通の人間と同じ感覚になったにしては不自然、いや矛盾していると示しているのだ。
「それ、は・・・・・・・・・・」
いや、それだけではない。預けられたお守りだってそうなのだ。殿下は知っていなくとも、わざわざ母親の形見を預けるだなんて、誰にでもしない。例えどんな形であっても。
緊張が、羞恥へと変わっていく。喉が急激に引き攣る。シャルがそんなことをした意味を想像してしまった。心臓が高鳴ってやまない。
後方でとてつもない炸裂音が響く。空中で打ち上げられた花火が咲き乱れている。
「ここの花火は、祭の終わりを告げる合図になっている」
彩られた火薬の花弁が散り、残響を掻き消すように次々と打ち上げられていく。心を奪われているのか、見上げたまま動かない。
「この花火が上がる前に、早々に撤収するつもりだった」
少しだけ憎々しげに、だけどどこか悪くないという口ぶりだった。殿下につられて、少し理解できた気がする。
この花火を見逃すのは、もったいなさすぎる。きっと後悔していただろう。それほどに美しかった。
「お前は、花火を見たことがあるか?」
「故郷にいたときには似たようなものを。入団したてのとき、王宮の夜会で上がったのを見たことがあります。それ以降は一度も」
「そうか。俺も久しぶりだ。こうして静かに花火を愛でる暇も、ついぞなかった」
王都でも王宮でも祝い事のたびに花火は上がるが、数と豪華さは比べるべくもない。しかし、控えめというのだろうか。質朴さの中に味わい深い趣がある。何故お前と・・・・・・・・・という恨みが一瞬だけ向けられたのが証明している。
最愛の妹君と見たかった。それほどまでに心を揺り動かされたのだ。だけどここまで二人きりで来たのは殿下自身。逆恨みだと指摘するのも憚られる。
「撤収する」
花火が終わったのと時を同じくして、帰り支度をし始める客足。それに合わせてこちらへ向き直り、見据える殿下。その瞳の奥の感情は、最早何者も伺い知れない。
「貴様には言いたいこともしたいことも山ほどあったが、興が冷めたわ」
「は、」
「貴様には言いたいことが山ほどある。してやりたいこともな。だが、時が惜しいから最後に言おうエリク・ディアンヌ」
なんと答えてよいものか。少し困りながら身構えていると、唐突に頭を下げられた。意表を突かれ、周囲をおもわず見回してしまった。
「父と妹に代わり、礼を言おう」
「お、おやめください殿下。自分は当たり前のことをしたまでです」
「今はこの国の王族としてではない。兄として礼を告げている」
試されている。そうおもった。
肩書きや身分ではなく、純粋にシャルロットの兄として喋っている。だからお前も一人の男としてシャルロットのことを考えろと。
騎士として守ったのか。それ以外の理由はないのか。シャルへの気持ちについて揺れ動いている心に否応なく響いた。
「そして、今度は王族として命じよう」
「貴様の任務を、解く」
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