溶けたわだかまり
目覚めてから数日の間、リハビリしかすることがなかった。
トイレにいく。食事をする。風呂に入る。なんでもない日常的な習慣は、衰えた体に酷だったが日に日に改善されつつある。もう暫くすれば剣の素振りといった鍛錬をしてもいいかもしれない。
「こちらにいらっしゃったのですね」
日課となった起床後のストレッチを庭でしていると、背後から近づいていた気配。焦りながらもホッとしているマリーがタオルを差し出している。そのまま受け取り、額の汗を拭う。
「寝室にいらっしゃらないので、驚きました」
「大袈裟な。朝食の用意は?」
「できました」
「ん、わかった」
そのまま二人並んで歩きだそうと足を踏み出す。
「マリー・・・・・・・?」
「なにか?」
なにか? ではない。
まるで体を支えるように、右腕にガッシリとしがみついているマリーを咎めた。だが、当の本人は素知らぬ顔。自分がどれだけおかしいことをしているのか気づいてもいない様子。
「歩きづらいんだが」
「・・・・・・・・・・やはり無理をなさらないほうがよいということですね」
なんでそうなる。
「医師がお墨付きしてたとき、お前も聞いてただろ」
死に体でいつ落命してもおかしくなかったのに、急な快復に驚倒していた。病とは根本から異なる呪いが原因だし、おかしなところはなにもない。リハビリも許された。
「無理のない範囲で少しずつ、と仰っておられましたよ」
「一人で歩くくらい、なんともない」
「せめて誰かと一緒ないと・・・・・・・・・そうでないと・・・・・・」
沈痛な面持ち。なにを想起し、言わんとしているのか否が応でも理解できる。無理にやめろと強いることができなくなった。
自分のせいで俺が危険に陥ったと罪悪感を抱いている。それだけでなく、どれだけこの子が心配していたのかも。
「お前のお兄ちゃんはこれくらいで倒れるほど柔な鍛え方はしていない」
「っ!」
お兄ちゃん。かつての、そしてつい最近また聞くようになった呼び名を口にすると顔が赤くなった。そうなってすぐ、俺は迂闊さを恥じる。冷たい印象の顔立ちに幼いときの面影を見いだして余計後悔が強い。
意地になったのか、それとも恥ずかしさより勝るものがあったのか。戻るまでマリーは一言も喋らなかった。そのまま屋敷に戻ると、これから仕事に行くジャンが、含みがありそうに「うわぁ・・・・・・・・・」と言い足そうな表情で擦れ違う。
「なんだ?」
「いえ、別に。シャルが真心をこめて作った料理がお待ちですよ」
「・・・・・・・・・」
「あ、そうだ。マリーさん。なんでしたらエリク様にあ~~~んをして差し上げてはいかがですか? せっかく呪いが解けたのですからなにも気兼ねをすることはありませんよ」
「お前なぁ・・・・・・!」
ぴゅ~~~~っと駆け足で去っていくジャンを見送ってしまう。
「たく、あいつは・・・・・・シャルが作ったって言ってたな。大丈夫なのか?」
「・・・・・・最近は上達してきていますし、それに簡単なメニューですので」
不安もあるが、マリーが言うなら大丈夫だろう。それよりも、もっとたしかめたいことがある。
「なにか変わったところはないか?」
アランと部下が定期的に屋敷に訪れ、周囲を探ってくれているから安全は確保されている。だが、このところシャルに違和感を覚えてしょうがない。
「強いて挙げるなら、無口になったことでしょうか。それに、食事の量が少し減っています」
「何故だ?」
「さあ、そこまでは・・・・・・・。しかし働きぶりもどことなく丁寧になっています。失敗も殆どなくなっているのですが。それがどうかされましたか?」
「いや」
食時室に到達したことで会話をそこで中断。椅子に腰掛けるとトレーを運んできたシャルが、まるで本当の使用人と大差がない立ち振る舞いでやってきた。
「おはようございます旦那様。今日の朝食でございます」
マリーも感じている違和感が、際だっている。
以前が尻尾を振りながらじゃれたくて飼い主にまとわりつく犬だとするなら、今は物静かで控えめ。借りてきた行儀のよすぎる猫みたいだ。
料理の出来映えも申し分ない。だが今までの彼女を知り尽くしているならば、おかしさしかない。
「?」
食事に手を付けようとしない俺が訝しいのか。小首を傾けると、パン、と両手を打ち鳴らした。
「マリーさん。旦那様はお一人で食べるのが難しいのではないでしょうか?」
いや、おかしい。今までのシャルだったら自分から率先して食べさせたがるはず。こうして別の人に譲り渡すような真似はしない。
「いかがですか?」
「・・・・・・・ああ、美味しい」
チラリとシャルを盗み見ると、仄かにはにかんでいた。あからさますぎる喜びでなく、ゆっくり噛み締め、己の内側で消化しているように穏やかさ。それが何故か寂しく儚げに見えて。
「ゴホゴホ!?」
そうじゃないだろ。そんなツッコみをすると同時に咽せてしまった。
「ああ、やっぱり」
半ば無理やり、マリーに介助されながら食事をするしかなくなった。一人でできるという説得力を消してしまった不甲斐なさ。
食事を終え、本格的にすることがなくなった。リハビリしようにもあまり動き回ると心配されたり止められてしまう。書斎に赴き、休日しかできない読書に取りかかる。
昼食の二時間ほど前に、お菓子とお茶を持ってきたマリーがやってきた。ちょうど小腹が空いていたが、用意を終えてもマリーは部屋を出て行こうとしない。
「どうした?」
「シャルがこちらは大丈夫だから、旦那様の元にいるように。目を離すとこっそり鍛錬をするかもしれないと」
「・・・・・・他に仕事は?」
「ありません」
「そうか・・・・・・・・・・座るか?」
一つ断りをいれると、躊躇いがちにマリーが腰をかけた。
「本は、よろしいのですか?」
「ちょうど休もうとおもっていた」
「・・・・・・・読み聞かせましょうか?」
「いや、いい。本を置け。そのために座らせたんじゃない」
「・・・・・・」
「俺は、元に戻った。だけど、まだ戻っていないことがある」
「?」
「お前とのことだ」
「・・・・・・」
「すまなかったな」
ずっと言いたかった。言わなければいけないことを。
「お前にもサムにも、面倒をかけた」
「そんな、そもそも私のせいで・・・・・・」
「今回のことだけじゃない。もうおマリーにはお兄ちゃんと呼ばれるときはないと、諦めていた」
そして、一歩を踏み出した。
礼を言いたかったのではない。詫びたいのだ。
こうして触れあうほどに近くで過ごすなんで何年ぶりだろう。ずっとマリーとはただの使用人と主以上の距離を保っていた。知らず知らずのうちに、二人を遠ざけていた。なんのためにと問われれば、伝染するかもしれないからだ。
だが、それは間違いだった。
二人とも喜んでいた。呪いが解けたことをではなく、無事だったことを。
それからも甲斐甲斐しく世話をされるとき。気にかける言葉を投げられたとき。何気ないやりとりで気づいた。どれだけ二人が俺を大切に想ってくれていたか。
「悪いのは私です。あのとき、酷いことを言ってしまったと後悔していたんです」
「ああ」
「どう接すればよいかわからないまま月日が流れていきました。また一緒に暮らして、精一杯お世話をすることが贖罪になると・・・・・・・ですが後悔したんです。こんなことになるのなら・・・・・・」
「・・・・・・ああ」
「ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃない」
自分自身が情けない。
避けていたのは、俺のほうだったのだ。
呪いを理由にして、守ろうとしていたのは俺自身。二人の本心など考えようともせず言い訳に使っていた。他の者達と同じように、マリーとサムも俺を忌み嫌っている。そうおもいこんでいたにすぎない。
頑なな態度が、マリーを避けさせていた。実の兄のように慕ってくれていた彼女を苦しめていた。呪いのせいでなく、俺自身のせいで。
「ずっと助けられていた。それが当たり前だとおもっていた。当たり前なことなんて一つもないのにな」
「はい・・・・・・」
「できることなら・・・・・・・・・・また昔のようになりたい」
「いいんですか・・・・・・・?」
「ダメな理由なんてどこにもない」
頭に載せた手が、払い除けられることはなかった。強張ったまま震えている顔が、ほぐれていく。目に浮かんでいた涙が瞬きのたびに流れ落ち、形成された一筋の線がえくぼで歪み。
「お兄ちゃん・・・・・・・」
久しぶりに、俺達は微笑みあった。
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