帰宅。ディアンヌ邸の使用人達
ディアンヌ男爵家の屋敷は王都にある。騎士を目指した俺へのせめてもの餞別として与えられたが、実家の領地は小さく遠方にある。王都に来ることは滅多にない。他の貴族達と比べると屋敷とは呼べず大きい家にしか見えない規模だ。
「お帰りなさいませ」
使用人達の人数も多くはない。女中頭のマリー、彼女の兄で家令のサム、通いの庭師ともう一人女中がいる。マリーとサムは元々俺の乳母の子供達で主従の立場を弁えていても小さいときから慣れ親しんでいる。
「お食事になさいますか? お風呂になさいますか?」
「まずは風呂で良い」
外套と顔を隠す頭巾を受け取ってキビキビと、だけど静々とした動きで準備に入ってくれる。入浴を終えると丁度良いタイミングで夕食を迎えることができた。
「旦那様。今日はなにかありましたか?」
夕食をしているとき、マリーとサムは控えている。口数が多くない主を慮ってか食事中は話しかけることは滅多にない。おや、と珍しくおもいながらポタージュを一口啜る。
「どうしてだ?」
「なにやらいつもと違うご様子でしたので」
咄嗟に尻尾を見るも、普段と変わらず、椅子から飛びだしてペタン、と床で伸びているだけ。クスリと小さく笑うサムがなんだか見透かしているようで憮然としてしまう。
「別になにもないが・・・・・・・・・・・・」
「ではマリーが受け取ったというワインは? 誰かからの貰い物では?」
あ、と。今日一日の出来事、ジャンヌという侍女達のことを脳裏に浮かべた。
「あったといえばあったが。なにもお前達が想像していることじゃない」
「かしこまりました」
能面のマリーと違い、サムのニヤっとしたかんじが強まった。感情の出方が薄いマリーと比べるとサムは愛想が良く表情に出やすい。特に俺に対しては。それに助かるときも多いが、対照的な妹と違って今は小憎らしい。
「それよりも、こちらではなにもなかったか?」
「実は通いの女中が一人来れなくなると」
「なに?」
「それと庭師も」
「・・・・・・本当か?」
「はい。なぁマリー?」
「何故だ?」
「郷里の母が倒れたそうで。そのまま辞めさせていただきたいと。庭師は腰を悪くしているので」
「そうか・・・・・・・・・致し方ないな」
「夕食を終えてから報告したかったのですが。場合によっては二人とも今後来れなくなるかもしれません」
「わかった。すぐに新しく募集してくれ。賃金は前と同じ」
「はい」
「それとニコルとカトリアだったか。二人には少し気持ちを渡してやってくれ」
顔を合せることは少なかったが、呪われ騎士と呼ばれる主の下で働いてくれていた。餞別としていくらかの金銭を渡しても罰は当たらない。
「はい、そのように。すぐに人は来るかどうか不明ですが、旦那様も面談なさいますか?」
「いや。それは二人に任せる」
そんなやりとりをしながら、つつがなく夕食が終わった。部屋に戻ると眠気が来るまで日課の読書に耽る。最早癖といっても過言ではないこの時間は格別だ。幼い頃は本を読むと夜を徹して夢中になった。心が躍った。騎士としての職務に就いてからはそうした時間は満足にとれなくなり、ゆったりとした穏やかな心になる。そうすると気持ちの良い眠りにつける。
楽しみ方が変化しているが、それでも日常の一部だ。なによりも一人で楽しむことができる。本を読んでいる間は騎士としての自分も、呪われている身体のことも忘れることができる。
何日かに分けて読んでいたため、今日はすぐに読み終えてしまった。まだなにか足りなく感じて本棚の前で吟味していると扉が叩かれた。やって来たのはサムだった。
「どうした?」
「新しく雇う使用人の契約書が完成したので」
「早いな」
机に置かれた書類を目線だけで文字を追う。事細かに書かれている就業規約にも不備はないことをたしかめ、サムに手渡した。
「これでいい」
「はい。それと、新しい女中の仕着せですが。新しく購入されたほうがよろしいのではないかと」
「今までのはどうしていた?」
「年齢と体型が近かったのでマリーのお下がりでしたが、次雇う者がどうか・・・・・・・・・マリー自身もそれほど替えがあるというわけではありませんし」
「ん、そうか・・・・・・・・・」
「よろしければこちらの商品目録もありますが」
「それも俺が選ぶのか?」
「値段もかなり差がありますし。今でなくとも大体の物を決めておいていただければ」
何気なくページを捲っていくと、その量に圧倒される。デザインや素材は勿論のこと、流行や古いタイプのものまで。付属のエプロンの色や装飾、丈の長さと膨大すぎる情報に圧倒される。
「こんなにあるのか・・・・・・・・・」
「はい」
正直、どれを選んでいいのかさえわからない。自分のならまだしも女性の、それも使用人までの服装となれば判断に迷う。
「マリーやお前はどういう風に決めて購入した?」
「私と妹は母から送られたのと、それから自身の給金で購入した物は値段と好みと差し支えない物を」
とりあえず予算と
「そういえば・・・・・・・・・・・・マリーは今何歳だったか」
「今年で十七歳ですが。それがなにか?」
シャルロット王女と近しい年齢だ。それと朝のジャンヌという侍女とも。貴族によっては見栄や立場を考慮して使用人には豪華な服装をさせる者も多いが、エリクはそうでない。基本的にサムやマリー達の自由にさせていた。
カタログを眺めているうちに、どこにでもいる女中の格好のマリーとジャンヌの服装を想起せずにはいられない。飾り気のない三つ編みにした髪を後頭部で纏め、足首までも覆う長いワンピース。決して高価なものでなく、どちらかというと野暮ったくて地味だ。
(マリーくらいの年頃なら、もっと着飾りたいんじゃないか?)
それか、そろそろ結婚相手を探しても良い年齢だ。貴族でなくて平民であっても、それは同じこと。仕送りや貯金をしているならいざ知らず、そういう話を聞いたことがない。
「なるほど・・・・・・・・・ではマリーに直接聞いてみては?」
「いや、聞きたいわけじゃない」
「旦那様が聞けば、あの子も本音を話すでしょう。最近は兄である私がなにを尋ねても不機嫌になりますし」
「俺ならそうならないと?」
「ええ。私が聞けば八つ裂きにされるでしょう。ついこの間も・・・・・・・・・いえ。なんでもありません」
「なにがあったんだよ本当に・・・・・・・・・」
「遠慮されることはないとおもいますが。主と使用人の何気ないやりとりですし、幼い頃は私と同じで実の兄妹のように仲が良かったではありませんか」
「・・・・・・・・・・・・」
実の兄妹。その言葉が懐かしい記憶を刺激し、苦い気持ちが伴う。サムがどういうつもりで言っているのかも、理解できている。
「それに、主を差し置いて私達が先に結婚などできませんよ」
「・・・・・・・・・」
こんな俺のところに嫁ぎたい女性などいないだろう。それを口に出すには情けないかんじがして、わざとおどけている風で気遣っているサムに苛立ちをぶつけてしまいそうになる。
「兄上が実家を継いでいるし、義姉上とも仲は良いだろう?」
「ええ」
「子供もいる。男爵家はなにも困らない」
「旦那様ご自身のことですよ」
また扉を叩かれた。お茶とお菓子を銀盆に載せたマリーだ。
銀紅茶の入ったポットにカップ、ソーサー、砂糖とミルクの壺、クッキーの載った皿。それらの茶器を手際よく並べる。カップに紅茶を、そしてミルク二杯、砂糖を三杯壺からスプーンで掬っているが、先程までのやりとりから目を逸らしてしまう。
「旦那様、なにか?」
「・・・・・・いや別に」
「ちょうどお前の話をしていたからじゃないか」
「おい」
「私の?」
「旦那様はお前の嫁入りについて心配しているんだ。好きな相手はいるのかとか」
「おいっ」
「それから若い娘らしくないということもな。優しい旦那様だろう」
「おいっサム!」
「そのような予定はございません」
素っ気ないを通り越す冷たさに塗れた断絶。ピシャリとこちらからの一切を封じられる。
「後でまた取りに参ります。兄さん。無駄話をしているのでしたらさっさと終わらせて明日の朝食の支度を手伝ってください」
「お、おう・・・・・・・・・」
「ご主人様も明日は早いのですから。早く寝たほうがよいのでは?」
「あ、ああ・・・・・・・・・」
準備を終えると、マリーは荒々しく扉を閉めて去っていった。
残された俺とサムは、なんともいえない気まずさで、どちらからともなく焼きたてのビスケットをサクサクと食べ進める。
「こわいでしょう?」
「・・・・・・お前も苦労してるんだな」
小気味よいサクサク具合だが、塩の味が際だって感じられた。
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