第2話 裏頭

 この崖階段は谷底に繋がっているというわけではなかった。もし繋がっていたとしたら階段の傾斜はもっと急で、段数も気が遠くなるほどのものだっただろう。


「――あれ、着いたんですか?」


 突然のゴールに、夕夏は面食らった。


 階段はかなり中途半端なところで終わりを告げたのだった。後ろを振り返ると、これまで下ってきた階段の道のりが目に入り、かなり上の方に事務所の勝手口と思わしきドアが小さく点になっている。大体一キロ以上は歩いたような気がしていた。


「とりあえずこんな吹きさらしのところで喋るのもアレだし、こっち入って入って」


 橙は言うと、崖の中に消えていった。


「崖の真ん中にこんな場所が……」


 階段の終着地点は、崖の土手っ腹に空いた洞穴だった。一行は体を震わせながら逃げ込むように洞穴に入っていく。


 そして洞穴のすぐ奥には、不自然な両開きの扉が一枚あり、上の明らかに劣化した看板に、


【裏頭】


 とただ二文字、そう記されていた。


 つまりここが、紅々町裏頭の入り口なのだった。


「さて、ひとまずここまで来たわけだ」


 息を吐いて両手を温めながら橙が言った。


「みんなももう何度も挑戦しているからわかっていると思うけど、ここからは時間との戦いだ。ミアが言った通り、九十分という制限時間の間にできるだけ進行をしてここに帰ってこなければならない。ワト爺、責任重大だけど、タイムキーパー頼むよ」


「九十分じゃな。任せておけい」


「三丁目に着いてから、残り時間が三十分を切ったら教えてほしい」


「三十分か……のう上谷、そりゃ少々ぎりぎりな気がするんじゃが。ワシとしてはあと十分は余裕を持った方がいいと思うぞ」


「大丈夫だよワト爺。これでもちょっと余裕見てるんだ」


「ならいいんじゃが……」


「ねえ、さっきから制限時間とか九十分だとか言ってるけど、なんのこと?」


 夕夏の疑問に答えたのはヘーゼルだった。


「裏頭は表平とは時間の進みが違うんだよ。違うってのは進みがめちゃくちゃ早いってこと」


「ってことは」


「そう。表平ならきっかり七年間で死んじまう猶予期間のルールが、裏頭では通用しない。体感だと一カ月が十五分くらいで進んでる感じかね」


「十五分!? とお兄が制限時間は九十分って言ってたから、それを普通の時間にすると……」


「九十分の間、裏頭に滞在すると表平で言うところの半年が過ぎることになる」


「ま、帰ってくれば裏頭で進んだ時間はゆっくりとリセットされるんだけどね」


 橙はそう付け加え、今一度気を引き締めた。


「理事長、九十分なんて制限時間は守らなくても」


「ふざけんじゃねえ」


 ミアの言葉を遮り、カメリアは嫌悪感丸出しで反論した。

「お前、それがどういうことかわかってんのか」


「私は別に……」


「九十分のリミットは変えないよ、これは絶対だ」


 一体なぜ九十分という時間にこだわるのだろう。夕夏は多少の疑問を感じたが、橙がここまで頑なだということはそれなりの理由があってのことだろう。そう思いそれ以上考えなかった。


「みんな心してかかってくれ。隊列はこのままで」

 一同の表情にも緊張の色が見られる。これから先は商店街の治安維持でも地域の活性化でもない。言ってしまえば世界を救うことと同義なのである。


「まずは裏頭一丁目――【紺碧こんぺきなぎさ】を速やかに」

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