第三章

第1話 進行日

 進行日の出勤時間は、決まって一時間ほど早かった。

 

 午前七時五十分。まだ通行人のまばらな紅々町商店街進行組合事務所の前には、六人と一匹の影があった。


「うー、さっぶ! ヤバすぎるんですけど!」


「日が差してるだけいいと思わんかい」


「てかエヴィよぉ、おめえがそんな短ぇスカート履いてんのが悪ぃだろ」


「ガキンチョは黙りなさーい! オンナの肌はね、出せる時に出すもんなの!」


「うるさ」


 普段は集まりの悪いメンバーも、進行日の時だけは違った。


「ねえミアさん、昨日見た時から思ってたんだけど、それって雪だるまのコスプレ?」


「だっ……誰が雪だるまですか!」


「いやあだって、その恰好見たら誰だって」


「夕夏さん、しーっ」


「やっぱそうだよね? とお兄もそう思うよね?」


「理事長まで!?」


「そういうこと言うと着なくなっちゃうでしょ。せっかく似合ってるのに」


「んな……ななっ!?」


 橙は真っ赤になった顔を真っ赤なマフラーで隠すミアを見て笑った。そして背後にいる夕夏に、


「――ところで夕夏さんも、やっぱり来るんだね」


「……うん。力になれるかわからないけど、やれることはやろうと思うの」


「そりゃ心強いや」


「あー! いま昔の私を見る目した! やれやれみたいな!」


「気のせい気のせい」


「なあミア、お前ら今から進行に行くんだよな?」


 橙たちの様子をヘーゼルは一歩引いて眺めていた。


「ええ……まあいつものことなので――はいはい、皆さんその辺にしてください」


 ミアは気を取り直して場を仕切った。これを合図に皆の動きが止まり、橙に視線を向ける。


「理事長、一言を」


「それ毎回言うよなぁミア。もうとっくにネタは尽きてるんだけど」


「一言を」


かたくなですなぁ」


 橙は小さくため息をつくと、後頭部をわしわしと掻きながら始めた。


「みんな、早朝にも関わらずしっかり集まってくれてありがとう。ご存知の通り、今日は進行日だ。昨日の鍋パーティーの中でも話したけど、夕夏さんが手がかりを見つけてくれたお陰で今回は進展がありそうだ。できれば進行も今回をもって最後にしたい」


「三丁目で終わるとは思えんがのう」


「それでも、僕たちの使命は重い。この町に住むみんなが元の世界に戻れるように、一刻も早く裏頭を攻略しよう――ミア、今日のタイムキーパーと制限時間は?」


「ワトさんで、九十分です」


「ワト爺、しっかり頼むよ」


「ああ、任せとけい」


 ワトはカメである自分の首を上げ、鼻を鳴らすと言った。


「それでは、これより紅々町商店街進行組合の裏頭進行を始める」


 橙は厳かにそう言うと。


「……って、事務所戻るの!?」


 夕夏は思わずすっ転びそうになった。つい今まで真剣な顔をしていた橙たちが、当然のように事務所に入っていったから。


「ん? どうした娘よ」


 エイヴリィの肩に乗っていたワトが夕夏の様子に気付き、声を掛けた。


「いやいやいや、だってこれからやるぞーって雰囲気だったのに、まさか回れ右するなんて思わないから!」


「何を言っとる。裏頭は事務所から行くじゃろうに」


「へ?」


「ごめんワト爺、夕夏さんには言ってなくて」


 列の最後尾にいたミアが、事務所入り口に『二時間ほど留守にします』と書かれたプレートを掛け、次に鍵をした。そして事務所キッチン横にある、勝手口と思しきドアに向かってぞろぞろと向かっていく。橙はドアノブに手を掛けながら夕夏に、


「裏頭はね、事務所の裏口から行くんだ」


「だから誰もその存在を知らないってこと」


 ヘーゼルが補足した。


 橙は勝手口を開ける。そこには。


「――なにこれ」


 視界に広がる、断崖絶壁。


 対岸まで一キロはあろうか、底が全く視認できないほどに暗く深く、大きな谷。谷底から吹き上げる強風に、体が浮いてしまいそうになる。


「事務所の裏に、こんなところが……!?」


「みんなー、飛ばされないようになー」


 橙は夕夏が驚いているのをお構いなしとばかりに慣れた様子でそのまま左折。この絶壁を削って作った階段を降りていった。躓きでもしたらひとたまりもない傾斜だった。


 一体いつ建築されたのかもわからない崖階段。その脇には錆びついた手すりが頼りなさげに設置されていた。しかしこれを掴まなければ転倒して奈落の底か、はたまた風に飛ばされて奈落の底か。いずれにしろ裏頭に到着するまでに生命の危機が迫っていることは間違いなかった。


「ヤダ~! スカートがめくれちゃう~!」


「バカエヴィ、それもう飽きたっての」


「何よカメリアってば、今こっち振り向けばお姉さんのパンツが丸見えだぞ?」


「誰が見るかそんなん」


「……耳赤いケド?」


「う、うるせえッ!」


 列になって下降していく進行組合の面々。


「君たち~、もう少し真剣に歩いてほしいぞ~。もしここでエイヴリィが転んだら肩のワト爺はもちろん、カメリアと僕も巻き添え食っちゃうんだからね」


「はぁいリジチョー。気を付けまーす」


「おいエヴィ、オレと順番変われ」


「階段細くて入れ替われないしー」


「このオンナは……!」


 全く緊張感のない二人だった。


「なんでみんなこんな普通なの!? コンビニに肉まんでも買いに行くくらい軽くない!?」


 エイヴリィの後ろを歩く夕夏は両手で手すりを掴み、完全に腰が引けた状態で進んでいた。その結果前の四人との距離は結構空いてしまっている。


「なんですかコンビニって……そんなことより滝口さん、もう少し早く歩いてはくれませんか」


「ムリ! 絶対ムリ!」


 その夕夏の後ろにはヘーゼル、そして殿しんがりのミアの順。彼女たちもまた、特に怖がる様子もなく歩いている。


「先が思いやられるなこりゃ」


 苦笑するヘーゼルだった。

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