第13話 光明

 空気を悪くしたな、と反省していた。


 濃紺に染まりつつある空を見上げながら、橙は思った。通りは街灯がちらほらと明かりを灯しだし、夕飯時の活気で溢れている。


 歩くたびに誰かしらに声を掛けられた。橙は嫌がる様子も見せずに、いつものように気さくに会話をした。優しく、優しく。それが彼のモットーだ。


 なるべく彼女を組合が抱えている問題に巻き込むことは避けたかった。単なる一般市民として、何不自由なく七年間を過ごしてほしいというのが橙の願いだ。


 ――いや、そうではない。七年では遅すぎるのだ。その七年の間に、またどれだけの住民がこの街から出られず死んでしまうのか。橙は考えるだけで胸が締め付けられた。だが、組合に人が足りていないことも事実。初めて会ったあの日、彼女の中に感じた〝チカラ〟の気配が橙を悩ませる。


 事務所ではきっと、ヘーゼル辺りがすべてを話してしまっている。それを聞いて彼女は参加を決意するのか、それともしないのか。


 明らかに前者だな、と橙は笑った。


「そろそろ頃合いだろう」


 夕飯の買出しに出ていくと言ってから一時間が経過していた。買出しに出たといえばそうなのだが、道行く通行人からとにかくいろいろなものをおすそ分けされ、終わってみれば何も買っていないのに両手に紙袋を抱えているという状況。


「鍋って言ったらミアのやつ怒るかな」


 と言いつつも、足取りが軽くなる橙だった。





「ただいま。戻ったよ」

「バカもん! 遅いぞ上谷ァ!」


 両手が塞がった状態で器用に事務所の扉を開けた橙に待ち受けていたものは、理不尽な罵倒だった。


「りじ……橙さん!? なんですかその買出しの量は!? ……じゃなくって! 早く座ってください!」


「わかったから待って! 袋が破けるから――」


 橙はミアにぐいぐいと腕を引かれ、ソファーに腰かけた。するとテーブルの上に何やら紙切れが置いてあることに気が付く。


 それを目にした瞬間、なぜヘーゼルとミアが血相を変えているのかが理解できた。


「――これを、一体どこで」


 くすんだ紙切れには、住所が記されていた。




【紅々町裏頭三丁目■番地□号】




「ごめんねとお兄! すぐ言えばよかったんだけど、忘れちゃってて」


「夕夏さんが?」


「歩いてたら知らねえ婆ちゃんに呼び止められて渡されたんだとさ」


「しかも路地裏からだそうです」


 ヘーゼルとミアは橙を挟み込むように座り、代わる代わる夕夏から得た情報を興奮気味に話した。


「――路地裏? この街にそんなものはないはずだけど……というか近いぞ二人とも。意味もなく近い」


「……ずるい! 私が見つけた情報を横取りして!」


「別に競争じゃないんだから――でも」


 これは手がかりとしては大きすぎる。とんでもないお手柄だ。橙は口がにやけてしまうのをなんとか抑えた。しかし、存在しないはずの路地裏に老婆。なぜ老婆は夕夏に紙切れを渡したのかが疑問に残る。


「ありがとう。これでなんとかなるかもしれない」


「とお兄、この住所って」


「うん、裏頭うらこうべは表平とは当然別の場所にある」


「ウラコウベ……」


「そして僕たち進行組合は、この裏頭を進行しているんだ」


「ええ!?」


「いかんせん三丁目の後ろの数字が潰れちゃっててわからないけど、それでも活路が開けたのは確かだ。これで三丁目に何かがあることだけはわかったよ」


 ――正直、もう無理なんじゃないかって。橙は吐いてしまいそうになった言葉を、慌てて飲み込んだ。弱音なんて、誰にも見せるべきではない。

 




 裏頭は、進行者の墓場である。


 橙が紅々町に来る前の進行組合の仕事は、毎日のように裏頭に挑戦をし、元の世界に帰る為に足掻く者たちの管理をすることだった。いつしかそういった者たちのことを住民たちは敬意か、それとも皮肉を込めてか『進行者』と呼ぶようになった。


 進行課は進行組合を、進行組合は進行者を、といった具合にサポートをする仕組みができており、進行課が「裏頭に元の世界に帰ることができる鍵がある」と言い出したのが町歴三年のこと。それからおよそ二百年。平成三十三年――町歴にして百九十七年となるこの日まで、未だに裏頭は攻略されていない。





「明日で進行は最後にしたい。二丁目の進行が完了してからおよそ百年。三丁目へ膨大な数の進行者たちが挑み続けても、これまで何の手掛かりも掴めていないのが現状だ。突拍子もないことを言っているのは百も承知。でも僕たちはやらなければいけない」


「……そうだな。ほぼ闇雲みたいなもんだけど、滝口の持ってきたこの手がかりがあるだけで心強い」


「やるぞ、ミア!」


「――はい」


 橙は珍しく興奮気味に言った。その時のミアの表情は、どこか儚げというか、何とも言えない笑みを浮かべていた。


「それじゃ今日は鍋にしよう! 帰っちゃった他の奴らももう一回呼んでさ!」


「またですかぁ!?」


「おー鍋かー。久しく食ってなかったから良いじゃんか」


「私たちはほぼ毎日なんですっ!」


 明日は進行日。


 人知れず住民たちを救うために奮闘する、英雄たちの日である。

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