第12話 組合について

 事務所に戻ると時刻は夕方の五時を回っていた。


「もういい時間だし、今日はこれくらいにしておきますか」

橙は事務所に入り、明かりをつけると言う。


「うん、アタシ疲れちゃった」


「じゃあオレは失礼する。ったく、何度やっても慣れねえ」


「エイヴリィ、ワシを肩に乗せて行ってくれい」


「お疲れ様。みんな、明日はよろしくな」


 その言葉に皆は歯切れ悪く相槌を打つと、ソファーに腰かけることなく事務所を後にしていった。


 事務所に残ったのは橙、ミア、夕夏、ヘーゼルの四人だった。


「ミア、おばさんの〝七年時計〟廃棄しといてくれる?」


「わかりました」


 橙はエイヴリィから預かっていたものをミアに渡した。


「理事長、あの」


「ん?」


「明日の進行、延期したほうがいいのではと思いまして。まだ次の方向性も決まっていない中で皆さんが帰ってしまっては決まるものも決まりません。このままではただの徒労に終わってしまいます。宣告後で疲れていたから仕方がないとは思いますが……」


「行くよ。延期はしない」


「理事長……」


「時間がないんだ」


 橙はソファーにもたれ、天井を仰ぎながら言った。


「とお兄」


 と、ここで夕夏は橙に訊いた。今までとは違う、怒りのこもった口調だった。


「あれは何」


「あれって、宣告のこと?」


「なんで教えてくれなかったの」


「……」


「槙田さんへの説明も、嘘なんでしょ」


「……」


「何が素晴らしい日なの!? 何が門出なの!? みんなしてあんな作り笑い浮かべちゃって! それを信じる槙田さんも槙田さんだよ!」


「滝口さん、それくらいに……」


「あんなの祝福でもなんでもない! みんなが槙田さんにしたことは……死んじゃった人にすることだよ!」


「滝口さんッ!」


 ミアは小さい声を思い切り張り上げた。


「あっ――」


「そんなことは私たちが一番わかっています! 六年間で数えきれない方たちの宣告をこの目で見てきたんです! ……理事長が、きっと一番辛いんですよ」


「ミア、やめなさい」


「でも……理事長!」


「はいはい、皆さんちょっと落ち着きなって」


 さすがにこの状況を見かねたのか、ヘーゼルは手を叩くとミアと夕夏をソファーに座らせた。


「ふいー。ま、こうなるだろうとは思ってたけどね――上谷、話すぞ」


「……夕飯の買出しに行ってくるよ。ヘーゼルも食べていくでしょ?」


「ん。それじゃお構いなく」


「理事長、私も行きます」


「あんたは残りな」


「なっ……」


「女だけで積もる話もあるでしょうよ」


「なんですかそれ……」


「じゃ、行ってくるよ」


 橙は小さく微笑むと、事務所を出て行った。


「――滝口さん、先ほどはすいませんでした。大きな声を出してしまって」


「いや、私の方こそごめんなさい。なにか意味があってやってること、なんだよね……?」


「さて、じゃあ手短にいくからな。その前に」


 ヘーゼルは対面に座る夕夏に、テーブルを大きく乗り出して、


「ウチがこれから話すことを聞いたら、進行組合に入ったも同然だ。あんたにその覚悟はあるか?」


 脅しをかけるような、凄みのあるトーンだった。


「……はい」


「滝口さん、私はそれでもあなたが事実を知るべきではないと思っています。今ならまだ」


「私も、少しでもとお兄の力になってあげたい。聞いたところでどうなるって話でもないけど。もう後悔はしたくないの」


「――決まりか。まず滝口、進行組合の仕事内容は知ってっか?」


「昨日ここに来たばかりなのでほんの少しだけですけど、商店街の住民をサポートしてるとは聞きました」


「そうだ。商店街の治安維持と地域の活性化。これらを怠ることなく行動に移していることで上谷たちは住民からの信頼も厚い。だからさっき、槙田親子もアイツの言葉を何一つ疑うことなく信じたのかもな。だが、これはあくまで表向きのものだ」


「表向き?」


「進行」


 ミアが呟いた。


「そう。紅々町商店街進行組合の本業は、その名の通り進行にある」


「シンコウシンコウって、さっきからずっと言ってますが何なんですか」


「その説明をする前に、先程の宣告について知っておいたほうがいいな。滝口の考えている通り、槙田精肉店で消えた渡辺登美子という住民は記憶を取り戻して元の世界に帰ったんじゃない。正式に失踪が確定して、この世から消えたんだ」


「それってつまり」


「ああ、死んだんだ」


 夕夏はヘーゼルの言葉に、手足が急激に冷たくなるのを感じた。粗方予想はついていたが、いざ事実として突きつけられると思考が停止してしまう。


「おっとそうだ。今日は会議に参加するのと一緒に、これを届けに来たんだ」


 ヘーゼルはズボンのポケットをまさぐると、エイヴリィが奥の部屋から持ってきた同じものを夕夏の前に置いた。それは金色の懐中時計だった。しかし盤面が時計のそれとは違う。数字の類が見られず、白い半円の中に目印となる黒い線が八つ記されており、赤い秒針のようなものが見られる。


「温度計……ですか?」


「これは〝七年時計〟。数字は書いてないが左からゼロ、そして最後の七に向かって右に進むようになっている。簡単に言えばこの町での寿命が可視化された時計だ」


「……寿命が?」


 ミアは思わず顔を伏せていた。


「これは滝口の〝七年時計〟だ。赤い針がまだほぼゼロのほうにあるだろ」


「これが七まで進むと……」


「その通り。内蔵されている鐘が鳴り、この世から消えてなくなっちまう」


「一体なんの意味があってこんなものがあるんですか」


「寿命というよりは、猶予期間のようなものです」


 か細い声でミアが呟いた。


「猶予……?」


「この街は……理由は不明ですが、国、時代はもちろん、時空さえも超越した不特定多数の行方不明者の行き着く先となっているようです。滝口さん、あなたも元いた世界では今頃行方不明者として騒ぎになっているはずですよ」


「行方不明……」


「ここでの七年間は、選択の期間です。元の世界に戻る為に足掻くのか、それとも自分が消えるその日まで平穏に暮らし続けるのか」


「上谷が紅々にやってくるまでは、ウチら進行課がその説明を住民にして、〝七年時計〟を渡していたんだ」


「今は渡していないってことですか?」


「そこの部屋に全住民の〝七年時計〟を保管している」


「とお兄はなんでそんなことを? 自分がこの世界にいられる時間がわかれば、槙田のおばさんも家族との残りの時間の過ごし方を考えられたのに」


「住民の対立があったんです。理事長が来るまでの紅々は、なんとしてでもこの街を脱出したい者とそうでない者の意見が対立していて、今のような活気はありませんでした。理事長はどちらの方が住民の精神衛生上安定するかを考えた結果、〝七年時計〟を新規住民に渡さない決断をしました。それから六年が経ち、時計を持っている住民はほとんどが宣告を受け消えてしまい、この事実を知っている者はほんの一握りなります。渡辺登美子さんはそれを知っている数少ない一人でした」


「え……」


 夕夏はいま自分が言ったことを思い出し、


「ってことは、おばさんはこのことを知っていて、それでも家族に言わずに死んじゃったってことじゃん!」


 じわりと、瞳に涙が溜まってきた。


「できる限り配った時計の回収はしていて、登美子さんは快く渡してくれました。本当に元気で、明るい方でした」


 言い終えるとミアはコーヒー淹れるの途中でしたね、とソファーを立ち、キッチンの方へと歩いて行った。


「ミアの言った通りだ。滝口、お前にこの商店街はどう見える」


「……キャット飯店のソラさんや、槙田さんたち、ほかにも色々なお店を歩いて見てきましたが、皆さん笑っていて。とても、幸せそうで……」


「全部、上谷が六年間で成したことだ。ウチも最初は反対したんだがね、今では間違いではなかったように思うんだ。事実、この六年で事件という事件は発生していない。おーいミア、ミルクと砂糖も頼むぞー」


「あ、さっきミアさんは選択って言ってましたけど、それはつまり、元の世界に戻る方法はあるってことなんですよね!?」


「橙が槙田に言っていたことはすべてが嘘じゃあない。記憶を取り戻せば元の世界に帰れる。これは本当だ」


「一体どうすれば!?」


「進行だよ」


 ヘーゼルは大きくため息をつくと、ソファーからずり落ちながら言った。


「この街のどこかに、全住民の記憶を吸い取っている〝何か〟が隠されている。それを見つけて解放すれば全員助かるんだ。それをサポートするのが、公務員としてのウチの仕事。極端な話、一人でもその〝何か〟を見つけ出せば万事が解決しちまうって話さ。だから上谷は組合の連中だけにその事実を伝えて、住民には平和に暮らしてもらおうって考えてるわけ」


 あいつは底なしのお人よしだから、とヘーゼルは八重歯を見せて笑った。


「……昔からそうでした。この歳になって初めて気づいたんです。勉強だったり、きっと友達と遊びたかったんだろうに、とお兄は私の面倒をいつも見てくれて」


「好きなんだね、上谷が」


「頼ってばかりじゃいられません。もう子供じゃないんです。私もとお兄の力になる!」


「子供ですよ、こ・ど・も」


「うわっ!?」


 ミアは夕夏の背後からコーヒーを差し出してそう茶化した。


「昨日来たばかりの新人が調子に乗らないでください」


「調子になんて乗ってない!」


「ふふっ、冗談ですよ。今更ですがもう一度訊きます――覚悟はいいですか?」


 にっこりとした直後、ミアは真剣な眼差しで夕夏に問う。


「やる。やるよ。明日のそのシンコウってやつにも一緒に行く」


「よろしい。理事長が戻ってきたら二人で言いましょう。ですが理事長、本当に決行するつもりなのでしょうか」


「お前のことを思ってだろ。私も含め、全員がそう考えてる」


「ミアさんを?」


 ヘーゼルは何を今更、とコーヒーをスプーンで混ぜながら嘆息した。夕夏は二人の会話の意味がわからず、きょとんと首を傾げる。


「それにしたって前回から何の進展もなく向かったところで、結果は見えています。何か手がかりでもあればいいのですが」


「おうそうだ滝口、商店街散歩しててなにかおかしなことはなかったか?」


「全部おかしかったんですが……あ」


 一昨日は普通の暮らしを送っていた夕夏である。ここで見るものはすべてが異常と言う他なかったのだが一つだけ、特に奇妙な出来事があったことを思い出した。


「そういえば特に変だなあって思ったことが」


「ほう? なんだなんだ」


 夕夏はポケットに入れていた紙切れを取り出し、その時のことを話し始めたのだった。

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