第11話
「おう理事長、おせえぞ」
橙たちが槙田精肉店に向かうと、外に出ていたカメリアが既に到着していた。
「カメリア。よくわかったな」
「街の雰囲気を見ていればわかる。静けさがちげえんだよ」
カメリアは相変わらず感じ悪げに吐き捨てると行くぞ、と促した。
店内に入ると、店主の槙田と息子が呆然とした様子でこちらを見てきた。
「あ、ああ上谷くんか……丁度いま電話をしようと思ってたところなんだ」
「母ちゃん……母ちゃんが……ッ!」
息子は顔面蒼白になり、橙に詰め寄った。
「母ちゃんが……いなくなっちまったんだよ!」
「えっ……」
夕夏は思わず声を上げた。
「本当に前触れもなくだよ。ついさっきまでせがれと一緒にコロッケの仕込みをしてたらしいんだが」
槙田の顔にも狼狽の色が見えた。
「ねえとお兄、なんで急にこんなことが」
「槙田さん」
橙は夕夏の言葉に耳を傾けず、槙田の肩に手を置いた。昨日店先で起きたトラブルの時と同じく、優しく。
「上谷くん……?」
「槙田さん。僕たちはこの商店街に来てしまった理由を覚えていない。来る前に自分がどんな生活を送っていたのか、最初の頃は覚えていても徐々に記憶がなくなってしまう。それはわかりますか?」
「あ、ああ。でもなんで今そんな話を」
「おばさんはね、思い出したんです。昔の記憶を」
橙は続ける。
「昔の記憶が完全になくなっても、ふとしたときに思い出すことがある。そのタイミングで僕たち紅々町商店街の住民は、元にいた世界に帰ることができるんです」
店内を静寂が覆った。
「そしておばさんに、その日が訪れました」
静かに、なおも優しく、橙は言った。
橙の後ろに立つ組合員たちも頷き、微笑んでいた。あのカメリアでさえも。しかし夕夏だけはそうではなかった。まるで無理やりにでも信じ込ませようとするこの空気に、背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。
「そう、だったのか」
数秒の後、静寂を裂いたのは息子だった。
「そうなら言ってくれよ……何もしてあげられなかったじゃんかよ……」
橙たちに背を向け、そう絞り出した。
「……良かったな、母ちゃん! 父ちゃん、こんなにめでたい日なんだ、今日は俺たちだけでも祝ってやろうぜ、な!」
「――ああ」
槙田は涙を流しながら、天を仰いだ。
「そうだよ槙田さん。息子さんの言う通り、今日はおばさんの門出を祝う素晴らしい日なんです。だから僕たちも一言言うために、こうしてここに来ました」
橙は言うと組合員たちを横一列に並べた。そして一つ息を吐き、こう始めた。
「――国を越え、時代を越え、時空を越え。
一期一会という言葉ですら矮小に思える巡り合わせで、私たちは出会った。
彼女――渡辺登美子は先刻、あるべき未来へ還った。
今日は祝福の日である。
何があっても泣いてはならない。
涙は決して足元を照らすことはないのだ。
だから私たちは彼女を笑って送り出そう。
道に迷わないように。
こちらを振り向かないように。
――いってらっしゃい。道中お気をつけて」
空に広がる夕焼けは、一面に苺ジャムでも撒いたかのような、重い紅色。
一礼して、一同は槙田精肉店を後にした。
全員が自分の拳を、砕いてしまいそうなほど強く握って。
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