第10話 鐘

 紅々町商店街進行組合の業務内容は、大きく分けて二つ。


 一つは商店街の治安維持と地域の活性化。日々トラブルはないかを監視し、住民に平和で健全な毎日を提供する。店先で小学生がコロッケを巡り喧嘩が勃発するなどといった些細なトラブルも決して見逃さない。時にはイベント事も主催し、住民たちの満足度の向上にも心がけている。


 表向きにはこれがメインの業務となっている。だから橙を始めとした組合の者は住民から絶大な支持を受けており、この商店街を実質統治しているといっても過言ではない。


 しかし、あくまで表向きは、である。もちろん商店街の治安も大変重要なことではあるが、彼らにとってそれ以上になさねばならないことが――。


「ミア、進行日誌読んだよ、ありがとう」


「いかがでしたか?」


「う~ん、手がかりという手がかりは見当たらないかなぁ。このままじゃまた三丁目で足止め食らっちゃうよ」


「三丁目に到達してからもう次で四度目の進行です。少々時間が掛かりすぎていますね」


「のう上谷よ。これはワシの主観なんじゃが」


「全然いいよ、教えてよワト爺」


 応接のテーブルを囲み、組合のメンバーが真剣に話し合いをしている光景を、夕夏はオレンジジュースを飲みながらソファーの端でぼーっと見ていた。


 その中で夕夏が感心したことがある。


「持て余していますか?」


 呆けた顔をしていたのだろう。そんな夕夏を見てミアが話しかけてきた。ミアはそのまま夕夏の隣に腰かける。


「ううん、午前中動きっぱなしだったからくたびれちゃって」


「無理もないですね。昨日の今日ですから。通りの混雑に酔ってしまったのかもしれませんね」


「ほんと。変な街だよ――そういえばミアさん」


「はい?」


「あのエイヴリィさんって人」


「思いの外真面目だって話ですか?」


「え」


 ミアはくすりと笑うとエイヴリィを見た。先ほどの自己紹介の時のようなふにゃふにゃとした感じはなく、前のめりになって積極的に会議に参加している。


「やっぱり。あの人、不真面目を装ってるけど隠しきれてないんですよ。根っからの真面目人間なんです、エヴィさんは」


「はあ、なんでそんなこと」


「意識が高い自分をダサいとでも思ってるんじゃないですかね。だから不良っぽく振る舞うことによって、そんな自分をかっこいいと思うようにしてるんだと思います。でも彼女、毎朝一番に事務所に来るんですよ。住民の方々に便利な道具も提供したり」


「便利な道具?」


「エヴィボードって言うんですけど」


「ええええええ!?」


 夕夏はソファから転げ落ちそうになった。槙田精肉店で自分では到底運べそうになかった肉の段ボールを運べるようにしてくれた板が、実はエイヴリィが発明してくれたことが判明したから。


「――確かにお爺の推測はわからないでもないよ。でもそれを実際にやろうとすると今のメンツじゃ足りな」


「エイヴリィさん!」


「うわっ! ゆうちゃん、急になにさ!」


 夕夏はエイヴリィの手を握り、詰め寄った。


「その節は本当にお世話になりました!」


「どの節だし!」


「エヴィってどこかで聞いたことあるなあと思ったんですけど、エイヴリィさんの名前を取ってエヴィボードだったんですね! 本当に助かりました!」


「んな……そんな面と向かって言わなくてもいいじゃんか……」


 エイヴリィは白い肌を真っ赤にさせて照れていた。


「おうおう照れとる照れとる」


「お爺うっさい!」


「おーっす、進行課だー。やってるかー?」


 エイヴリィとワトの小競り合いの真っ最中に、事務所のドアが景気よく開いた。紅々町役場表平出張所進行課のヘーゼルである。


「ああヘーゼル、ご苦労様。適当に座ってくれ。ミア……いや今日は夕夏さんに淹れてもらおうかな、コーヒー」


「ワシも手伝っちゃろうか?」


「自分よりおっきいミルなんて使えるわけないし! てか四足歩行だし!」


「ジョークじゃジョーク」


 そう言って威勢の良い笑い声を上げるワト。


「それじゃ滝口さん、一緒にやりましょうか」


「いつもミアさんやってるんでしょ? 今日は私が」


「淹れ方わからないでしょう?」


「うぐ……」


「皆さん、おかわりは要りますかー?」


 ミアの言葉に、全員が頷いていたり手を挙げたりしていた。


「はいはい」


 お言葉に甘えるしかない夕夏だった。


「じゃあ滝口さん、食器棚からあのコーヒーカップを取ってください」


「あの紺色のやつね。よっと」


「正確には藍色ですけどね。普段は脚立を使わないと取れないので助かります」


 夕夏は言われた通り、食器棚から藍色のコーヒーカップとソーサーを手に取る。


「次はヤカンに火を掛けてください。水は少しでいいです」


「なんで少し?」


「カップを温める為ですよ。冷えたカップに淹れても美味しくないでしょう」


「ふーん、そういうものなんだ」


 居住部屋とは別に、事務所にも簡単なキッチンが設けられていた。夕夏は少量の水をヤカンに入れ、ガスコンロを点火させた。

応接スペースの方では橙、エイヴリィ、ワトにヘーゼルを加えた四人が何やら話し込んでいるのが見える。


「賑やかでしょう?」


 ふと、ミアは訊いた。


「組合っていうくらいだからもっと堅苦しいものだと思ってたんだけど……」


「始めはそうでしたよ」


「始め?」


「私、今いるメンバーの中では最古参なんです。その次が理事長、ワトさん、エヴィさんにカメリアっていう順番です」


「ミアさんより先輩はどうしたの?」


「三人いました。その先輩方がいた頃は本当に厳しくて。毎日息が詰まるようでした」


「うわあ……」


「でも先輩方は急遽……というわけでもないですが引退してしまって。それとほぼ入れ替わる形で来たのが今の理事長です」


「そう、なんだ」


「当時は衝撃的という他ありませんでした。これまで事務的な関りしかなかった私たち組合と住民が、私より年下の人間の手によってみるみるうちに仲良くなっていくんです。彼にはそんな不思議なチカラがありました。全員、上谷橙という人間の虜になっていたんです――私も」


 ここでヤカンが沸騰する音がした。ミアは直前に言った言葉を誤魔化すように一つ咳込むと、


「カップにお湯を注いでください。今度は六杯分の水を温めましょう」


 言って壁に身を預けると、更に続けた。


「私、この組合が好きです。こんな日がいつまでも続けばいいのにって、本気で考えてしまうんです」


「ミアさん若いんだし、まだしばらくは続くと思うよ?」


「――だからこそ、あなたは知るべきではない。そう思うんです」


「え?」




 ごーん ごーん ごーん ごーん ごーん ごーん ごーん




 その時だった。事務所のどこかで、鐘を突いたような音が何度か鳴り響いたのだ。


「アタシ見てくるッ!」


 次の瞬間にはエイヴリィが駆け出していた。向かった先は事務所の入り口から見て正面の部屋。


「みんな、準備だ」

 エイヴリィが奥の部屋に消えている間に、橙の一声で夕夏以外の全員は上着を羽織りだした。


「滝口さん、ガスを止めて下さい」


「え? あ、うん。みんなしてどこか行くの?」


「……理事長、滝口さんはどうしましょうか」


「いい」


 橙はきっぱりと言った。


「夕夏さんごめんね、ちょっと出てくるから、留守番頼んでもいい?」


「う……うん。どうしたのみんな、なんだかさっきと様子が違う気がするんだけど」


「待て上谷」


 割って入ったのはヘーゼルだった。


「どうして滝口を連れて行かない」


「必要がないと思ったから」


「今見せなくてもな、遅かれ早かれ彼女は目にするんだ。いつまでも隠しておけるものでもないだろう」


「それは……」


「上谷」


 ヘーゼルはもう一度、諭すように橙の名前を呼んだ。橙はしばらく葛藤する仕草を見せると、溜息に近い吐息を漏らして、口を開いた。


「……わかった。夕夏さんも上着を着て」


「理事長!」


「ミア、君も準備しなさい」


 橙のたしなめるような声に、ミアはぐっと唇を噛みつつも、何も言うことはなかった。先ほどとは明らかに違う事務所の空気に、夕夏は焦燥感を覚える。どこからともなく聞こえてきたあの鐘の音を引き金としてから。


 訊いてはいけない。そんな気はしたが夕夏は訊かずにはいられなかった。


「何か、あったの?」


 ここで、ようやくエイヴリィが奥の部屋から出てきた。やはり彼女も先ほどとは打って変わり、俯いたままで何も言わない。その手には金色の何かが握られていた。


「宣告があったんだ」


 口を開こうとしない組合のメンバーに代わってヘーゼルが答える。


「せんこく……?」


「エイヴリィ、被宣告者は」


 橙は静かに訊いた。


「槙田さんとこの、おばちゃん」


「……ッ」


 ほんの一瞬だったが、橙はくしゃりと顔を歪めた。


「……とにかく向かおう」


 橙は窓の外を見た。日の短い一月の冬空は、眩しい西日の太陽と共に早くも朱色に滲みかけていた。

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