第3話 紅々町役場表平出張所

「――行った?」


「はい。教えた〝オモテダイラ〟を呪文のように唱えながら。少し足取りが重いように見えますが」


「そりゃそうだよなぁ。見知らぬ街に迷い込んだ次の日に、見知らぬ街に一人で放り出されるなんて」


「理事長が言ったんですからね」


「そうだけどさぁ」


「心配しても仕方ありません。私たちは私たちの業務をこなしましょう」


「そうだね。相変わらず九時になっても誰も来ないけど」


「……ですね」


「誰が一番先に来るか賭けない? 僕はエイヴリィ」


「あっ、ずるいですよ! 私も彼女に賭けます!」


「それじゃ賭けにならないじゃん」


「……仕事しましょう。次の進行日が近いんですから」


「はいはい、つれないなぁ。じゃあミア、前回の進行日誌見せて」


「こちらです」



「次は……明日か」


「何丁目までいけるでしょうか」


「行けるところまで」


「いつもそうじゃないですか」


「これで最後にしような、ミア」


「――はい」





 寒空と呼ぶにふさわしい、薄い青。その中を漂うぺらぺらの雲が、どこか物寂しい。


 手袋越しに両手を口に当てて、息を吐いた。すると聞こえてくるのは、音。味見などそっちのけでミキサーに掛け、そのまま辺りにぶちまけてしまったような、乱暴とも言うべき音の波が、夕夏を貫いた。


 しかし、乱暴だと感じた直後には、むしろ歓迎されているような気分にもなった。


 これが昨晩歩いた同じ道だというのか。人っ子一人歩いていなかったのに、一体どこから湧いてきたのか。理解が出来ず呆気に取られてしまう。


 石畳を歩く小気味良い足音の嵐。


 三百六十度から聞こえる話し声や、店先からは威勢のいい店主の売り文句。


 背後からベルを鳴らされ、通り過ぎていく自転車。


 盛況と呼ぶほかない状況だった。


「っていうか、何あれ!? なんでキツネが服着て歩いてんの!? あっちは……あれは普通のヒトか……あ、すいませ――ってネズミ!?」


 大混乱だった。やっぱりテーマパークか何かなんじゃないだろうかと悪態をついた。


「――いけないいけない」


 商店街の空気に完全に飲まれてしまっていた。夕夏は大きくかぶりを振って手に握っていた地図とメモ用紙に再び目をやる。


【紅々町表平おもてだいら三丁目一番地一号 紅々町役場表平出張所】


「役場、役場……三丁目ってことはこの通りのちょうど中間地点くらいだね。ていうか役場なんて一人で行ったことないんだけど大丈夫なのかな……」


 しかし、夕夏は不思議と不安は感じていなかった。この六年間待ち焦がれ続けていた人間に、形はどうであれ再会することができたのだ。昔と比べれば体の軽さが全然違った。





 そうして歩き出してから、十五分ほどが経過した。夕夏がここに迷い込む前に暮らしていた光城市で売っているようなものは一通りあった。しかしニンゲンでない者が衣服を纏って(中にはそうでないものもいたが)日常生活を送っている商店街だ。当然おかしな店も多く立ち並んでいるわけで。


「異常……異常だよここ……」


 そのような店舗に興味を惹かれないわけもなく、歩みは自然と遅くなってしまった。到着したころには、夕夏の精神は色んな意味で疲弊していた。


「あった。役場」


 時刻は午前九時二十分。夕夏はようやく件の【紅々町役場表平出張所】に辿り着いたのだった。


 紅々町商店街の店舗の外観は、とにかく統一性がなかった。木造の平屋建てもあればコンクリート打ちっ放し、レンガ造りも多く見られた。


 そしてこの紅々町役場表平出張所も多聞に漏れることはなかった。コンクリート造りの外壁の上から白いペンキを塗った直方体のこぢんまりとした建物。扉はなく、そのかわり入り口の奥まったところがすぐカウンターのようになっており、部署ごとにパーテーションで区切られていた。


 といっても、部署は二つしかなかったのだが。


 入り口から見て左に『住民課』、右に『進行課』という配置。


「住民票って言ってたし、住民課だよね」


 夕夏は特に迷うことなく住民課のカウンターに向かった。


「あの、すいません。住民票を取ってくるように言われたのですが」


「こんにちは! 住民票の発行ですね! どうぞこちらにお掛けください!」


 快活な声とともに対応に来たのはきっちりとレディースの黒スーツを着た女性。夕夏は促されるままにカウンターの椅子に腰かける。


「こちらに来たのはいつですか?」


「昨日の夜に――ぎゃっ!?」


 夕夏は世間話をしながらちらりと女性に目をやった。


「わ、びっくりした! どうしたんですか急に!」


「いえ、その……耳が……!」


 茶髪のロングヘアーから、通常生えていないものがあったのだ。夕夏は彼女を指さして言うと、女性は「ああ」と事情を察した様子で、


「これですか。私はリスの先祖を持つハーフなんです。人間しかいない世界から来た方はやっぱりこの町の住民に驚きますよね」


 頭に生える茶色くふさふさとした耳をつまみながら、そう笑った。


「見てください、尻尾もあるんですよ」


 女性は少し体の向きを変えた。すると小さい子供くらいはあろうかという大きなリスの尻尾が現れたのだ。


「うわぁ、やわらかそぉ」


「柔らかいですよ。寝る時は抱き枕代わりにしたりも」


「ちなみに、どうやって生えてるんですか?」


「それは内緒です」


 女性はいたずらっぽい笑みを浮かべながら、人差し指を口に当てていた。


「――話が逸れちゃいましたね。紅々町役場表平出張所住民課の胡桃沢くるみざわです」


「滝口です。よろしくお願いします」


「住民票ですよね。そしたらこちらの紙に必要事項の記入をお願いします」


「はい……あれ、名前と歳と住所だけでいいんですか?」


「普通はもっと色々必要ですよね。というかそもそも未成年の方だけでは発行できませんし。ここは年齢も種族もバラバラですので、かなり簡素なフォーマットになっているんです」


「はあ」


 胡桃沢のごもっともな説明に頷きながら夕夏は空白を埋めていく。名前、年齢――。


「――あ、胡桃沢さん。私まだ住むところが決まってないんですけど」


「あらそうなんですか。それは困りましたね。さすがに住所不定の方だとちょっと……」


 胡桃沢は困った様子で頬に手を当てていた。


「とお兄め……物件が決まってから来るんだったじゃん……あ」


「どうかしました?」


「住むところならあります。そこでもいいですか?」


「そうなんですか? 近いうち賃貸契約でも?」


「いえ、一緒に住まわせてもらうつもりで」


「許可はもらってます?」


「もちろんです」


 嘘をついた。


「でしたら問題ないですね! 記入をお願いします!」


「場所はわかっているんですが、住所がわからなくて。商店街の事務所っぽいところなんですけど」


「――事務所だと?」


 夕夏のこの言葉に、隣から即座に反応した声があった。


「あら、そしたら理事長くんのお知り合いですか?」


「……あ、はい。そんな感じです」


 胡桃沢はその喧嘩腰の言葉に耳を傾けることなく、夕夏との会話を続行する。夕夏は隣から感じる殺意にも似た視線が気になって仕方がなかった。


 隣とは、『進行課』の方からである。


「くるみ! そいつ組合の新入りか!?」


「進行課には関係ないです~」


「ありそうだから聞いてんでしょうがっ!」


「滝口さん、うるさいのは放っておいて手続きしましょうね」


「でもあの人、めちゃめちゃこっち見てますけど」


「進行課は基本ヒマですからね。話し相手が欲しいんだと思います」


 胡桃沢は意外と毒を吐くタイプだった。


「おいそこの! 進行組合事務所に住むってことは、上谷の知り合いか?」


 進行課の職員もまた、女性だった。彼女も胡桃沢と同じく体にリスの血が流れているようで、グレーの丸みのあるショートヘアーに同じ色の耳と尻尾が生えていた。


「ええ、そうですけど」


「組合に入るのか!? だとしたら〝チカラ〟は!? 〝七年時計〟はどうする!?」


「ちょっと待ってください! とお兄からそんな話は聞いていませんし、そのチカラだとかナントカ時計っていうのも知らないですよ!」


 夕夏は矢継ぎ早に質問をされて、わけもわからず否定した。


「……すまん、取り乱した。ウチはヘーゼル。上谷のいる進行組合の世話をしている。最近新入りが入らないからどうしたもんかと頭を抱えててな。忘れてくれ」


「要はヒマで仕方がないってこと」


「ヒマなもんか! 明日は待ちに待った〝進行日〟だぞ! 少しでも多くの戦力をと思ってだな!」


「でも滝口さんはもう関係ないんでしょう?」


「……ああ、そうだ。何も聞かされていないってことは、上谷も入れるつもりはないんだろう」


「ならこの話はおしまい。はい滝口さん、事務所の住所だけどね、六丁目の――」





 夕夏は無事、住民票の発行を終え役場を後にした。もっとスムーズにいくものかと思っていたが、胡桃沢とヘーゼルにつかまってしまい気が付けば時刻は九時四十分。足早に次の目的地に向かうのだった。


 役場のある三丁目から目的の【キャット飯店は】、役場が商店街の中間地点ということもありそこまで距離はない。左右に所狭しと並ぶヘンテコな店に気を取られながらも、夕夏は歩いた。


 やがて太い筆で殴るように看板に墨で書かれた【キャット飯店】の看板が見えた。肉球をイメージした赤い四つの丸も目立つ。


「見るからにヤバそう」


 率直な感想が口から漏れていた。


 アルミサッシのガラス戸には吸盤で貼り付けられた『閉店ガラガラ』のプレート。ガラスの向こうは大きなレモン色のカーテンで隠れていた。暖簾も出ていない辺り、開店時間ではないようだ。


「でもとお兄はここに行くようにって言ってたし」


 神妙な面持ちで、引き戸に手を掛けた。


「……やっぱり閉まってる」


 次に三回ガラスをノックした。反応はない。


「うーん」


 早くもトラブル発生。夕夏は腕を組んで、さてこれからどうしようかと唸った。


 その後、二分ほど待ってみたが特に何も起きそうになかったので、他のところでもふらつこうと踵を返した。その時だった。カーテンがめくれたのだ。夕夏はどきりとして、ぎこちなく後ろを振り返る。


「あ、その……こんにちは……ははは」


「……」


 何か言わなくてはと、夕夏はたどたどしく挨拶をした。ガラス越しなので聞こえているのかどうかはわからない。でも夕夏は一目で悟った。この相手は自分の訪問を歓迎していない。


「ええと……」


「……」


 ガラス戸の向こうから現れたのは白髪ショートヘアーの女性。訝し気に夕夏を見つめる三白眼が、嫌でも印象的だった。

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