第4話 槙田のお肉屋さん

「なあ、ミア」


「はい」


「君はこう言ったよな。小学生の喧嘩だと」


「はい……」


「この状況は何なんだろう」


「私もビックリ、というか……」


 目線を上げ、二人はあんぐりと口を半開きにしていた。先ほどのように美しい夜空を見上げるロマンチックさなど微塵もない。


 視線の先には二つの山があった。いや、山とは例え話で、実際にはそうではないのだが。山とでも言ってしまいたくなるほどの大きな物体が、橙とミアの前に立ちはだかっていたのである。


「圧迫感。圧迫感がすごい。ミアなんてほら、こいつら(・・・・)からしたらアリみたいなもんじゃん」


「否定はしませんけどね! 失礼だと思います!」


「ああ、来た来た上谷君! 遅いじゃないか!」


 そう言って飛び付いてきたのは槙田精肉店の店主、槙田。此度の依頼主である。ゴム製の白いロングエプロンに白い長靴。これからが働き盛りの初老の男は、その恰幅の良さからなぜか精肉店にふさわしい容姿だと思えてしまう。少々気の弱そうな一面は見受けられるが。


「こらそこ! 上谷君ではなく、ちゃんと理事長と呼びなさい!」


 そんな槙田をミアは一蹴した。


「はいぃ! り、理事長!」


 やはり小心者の槙田だった。情けなく両膝をついて橙のコートにしがみつく。


「槙田さん、これは一体」


 呼び方などどうでもいいと橙は嘆息した。


 ひとまず槙田に落ち着くよう諭し、事情を聞き取る。片膝をついて優しく彼の肩に手を置くその光景は、一体どちらが年長者なのかわからない。


「電話で言った通りだよぉ! 俺の店の前で小学生が喧嘩しだして、それで」


「いやでもね槙田さん、これを小学生と呼ぶには――」


 ちょっと、と苦笑いが漏れてしまう。そして槙田が『小学生』だと言って聞かない二人の方をもう一度見た。


 先に言うと、それは人間ではなかった。


 一体はトカゲのような顔つきだった……というか、トカゲの顔そのものだった。全身は臙脂色の、爬虫類特有の艶やかな皮膚で覆われ、ぎょろりとした黄色の目玉、しきりに口から出たり入ったりする細長い舌。だがしかし、そのトカゲはあろうことか衣服を身にまとい、しかも二本の後ろ足で立ち上がっていると来た。


 リザードマン。それがこのトカゲ人間の正体である。


「……ま、まあ紅々は色んな種族がいるし? 大して驚くことではないもんな!」


「軽く腰抜かしてたじゃないですか」


「ミア、武者震いという言葉を知っているか。強大な敵を前にして、恐れるどころか体が疼いてな――」


「御託はいいです。あと敵じゃないです」


「く~っ!」


「しかし、ヒューマンの私達とはやはり違いますね。小学生で二メートルくらいあるような」


「こいつだけだったらまだよかったんだけどな」


「まあ、一人? で喧嘩はできませんしね」


 数の数え方に疑問を覚えながら、ミアはもう一人? の方を見た。


 それはクマだった。潔いまでのクマだったのだ。


 隣にいるリザードマンのように服は着ていないし、二足歩行もしていない。ふさふさとした毛並みの、そして四足歩行で全裸のクマがうろついていたのである。


「ミア、鈴!」


「なんで鈴なんですか! ないですよ!」


「死んだふりした方がいいんだっけ! あれ、そういうのってむしろ逆効果なんだっけ!?」


「知らないですよ! どこの情報ですか!」


 槙田精肉店の店先で勃発した小学生の喧嘩の真相とは、リザードマンとクマの喧嘩だったのである。


「縄張り争いに僕らが口を出すのも野暮ってもんだろうし。よし、水炊きに使う鶏肉を買ってずらかるとしようか」


「ポン酢ってあったほうが良いでしょうか」


「採用」


「毎度ごひいきにありがたいけどね!? 普通は人様の店を縄張り認定なんてしないよね!?」


 懇願する槙田とは対照的に、この青年と少女の頭の中は水炊きのことで一杯。涎が垂れるのを裾で拭うのがやっとであった。


「鶏肉だけの水炊きとかどうかな」


「だめです。橙さんは私がしっかり管理しないとお肉だけの食生活になっちゃいますから」


「理事長ぉ~~!」


「ああ槙田さん、鶏モモ肉いいかな。一キロくらい」


「……タダだ!」


「え」


 槙田の返答に橙の耳と、ミアの羽が明らかに動いた。


「――この喧嘩を解決してくれたら、今日ウチの店で買うものは……全部タダにしよう! これでどうだっ!」


 槙田誠司、四十一歳。一世一代の大博打である。


「……橙さん」


 珍しく、先に口を開いたのはミアだった。


「縄張り争いにしろ、喧嘩にしろ、槙田さんがお困りなことには変わりません。現にほら、こんなに困り果てています」


「そうだな」


「この紅々町商店街のトラブルを解決することも、私たち進行組合の大切なお仕事だ

と私は思うんです」


「ああ、まっっったくの同感だ」


「槙田さん、すぐに解決させますのでお待ちください」


「あ、ああ……」


 槙田は思った。なんて良い顔をするのだこの二人は、と。本厄を迎えた良い大人が、自分より一回り以上も歳の離れた少年少女たちに、恥を承知で頼み事をしている。いや、恥というのには少々語弊がある。この商店街の住人たちは理事長の上谷橙をはじめとした組合の者に全幅の信頼を置いているのだ。恥ではなく、申し訳なさの気持ちの方が強い。


 そしてこうも思った。だったら初めからやれと。


 槙田はなんとも形容のし難い気持ちを抱きながら、背中で語る二人を見つめるのだった。


「そうしたらミア、どっちが行く?」


「喧嘩の仲裁ですか……〝チカラ〟の相性としてはどちらでも問題はないように感じますので、私に任せてください」


「ん。頼んだぞ」


「はい」


 ミアは表情を変えずに頷き、橙より前に一歩出た。その先には今も鈍い雄叫びを上げている二頭の動物。槙田のように、普通の神経ならば恐れおののくところなのだが、彼女は一歩も引くことなかった。


「そこの、ボクたち」


 静かに尋ねる。しかし聞こえるわけもない。


「そりゃ聞こえませんよね」


 ミアは声を張ることが少しばかり苦手だった。二頭の様子を確認した後、背後の橙に一つ目くばせをして、小さく頷いた。


「こんな小学生? の子たちに使うのは少々気が引けますが……!」


 そんなことを呟きながら目を閉じ、息を吐く。そして数秒間だけ動きを止めると、カッと目を見開いて、こう言った。


「〝たくましいチカラ――」


 瞬間、ミアの両肩辺りから、薄水色の何かが伸びた。


 それは彼女の体から直接生えているわけではないようだった。体と触れるか触れないかの微妙な位置、そこから伸びるは大樹のように逞しい四本の剛腕。おおよそ、あのちんまりとした少女とは似ても似つかない、筋骨隆々の四腕しわんが戦闘態勢とでも言わんばかりに発現し、構えたのだ。


 腕はどことなく透けて見えた。言うならばフィクションの世界で見る『幽霊』のイメージ。しかし見えていないわけではない。この喧嘩に思わず立ち止まった通行人の全員が、ミアのこのチカラを目にし、感嘆の声を漏らす。


「ああ、ミアさんの〝チカラ〟、久しぶりに見たような気がする」


「いつみても綺麗な水色よねぇ」


 そんな言葉たちに耳を貸すこともなく、ミアは行動に出た。


「――拘束〟」


 そう言い終えると腕は勢いをつけ、一気に二頭に向かって伸びていった。


「……んんっ? なになに?」


「おわっ?」


 一頭につき二本の腕が、それぞれを羽交い絞めにして動きを封じることに成功した。


 とは言っても完全に締め上げる態勢には入っていない。あくまで争っている二頭の動きを止め、こちらの存在に気づいてもらいたいというのがミアの考えだった。


「なに、この腕? あ、ベア介にも」


「うごけなーい! サラマン、これ取ってよ!」


 少しばかり狼狽える様子を見せたリザードマンとクマだったが、しばらくするとこの状況にも慣れはじめ、周囲を観察するようになった。


「あ、ミアちゃん!」


 クマのベア介はこの腕がミアから伸びていることに気が付き駆け寄ろうとしたが、やっぱり動くことは出来なかった。


「ミアちゃん、じゃなくってミアさん、でしょ!? 私はあなたたちのお友だちじゃないんだから!」


「でもミアちゃんはミアちゃんだし……」


「そうそう、ミアちゃん」


「ぐぬぬぬ……」


「仲良さそうじゃないか、ミアちゃん」


「橙さんまで!」


 心外だとばかりにミアは羽を動かす。


 しかしそれがミア・マイヤーという少女。その幼げな容姿とは不釣り合いの大人びた態度は不思議と不快にはならない。実際にこのサラマンとベア介の言葉にも皮肉のようなものは込められておらず、彼女には周りを笑顔にする力がある。ミアもまた、この街の住人に信頼されている一人なのだ。それに彼女本人が気づいているのかはわからないが。


「とにかく二人とも! こんな道の真ん中で喧嘩したら他の皆さんに迷惑でしょう?」


 ミアは腰に手を当てながら気を取り直して言った。


「なんで喧嘩なんてしてたの?」


「だってそりゃあ、なあ」


「うん」


 サラマンとベア介はお互いの顔を見合わせて頷いた。


「コロッケがあと一つしかないって言うから、どっちが買うかって話になって」


「僕が買うって決まったんだよ」


「ベア介! まだそんなこと言ってんのかよ! 俺だっただろ!?」


 ぐるる、と鈍い唸り声を上げだした二頭。喧嘩が再燃しそうなところで、


「だーめ!」


 ミアの『腕』が二頭の間に入り、済んでのところで押さえたのだった。


「そのコロッケっていうのは?」


「そこ。前のお店」


 二頭は同時に指を指した。ミアは指のその先へ視線を移すと当然そこには、


「槙田さんの、お肉屋さん」


 槙田精肉店。今回のトラブルを通報した張本人である。


「……橙さん、私はこの子たちの相手をしますので、あとはお願いしてもよろしいでしょうか」


「いいよ。ありがとうね、ミア」


「……あ! 兄ちゃんだっ!」


「マジ!? ほんとだ! 兄ちゃん何してんの何してんの!」


「ちょっ……!」


 橙の存在に気が付いた二頭は、目を輝かせながら彼に向かってきた。そのあまりの力にミアの拘束が通用せず、さながら大型犬に振り回される散歩中の飼い主のような状態になってしまっている。


「はっはっはっ。こらこら少年たち、そんなドタドタと走ったら揺れるでしょう。僕とかこの周辺とかが」


「兄ちゃんもコロッケ買いに来たん?」


「いやそれがさ、この辺で誰かが喧嘩をしてるって電話をもらってさ。聞いたところによるとあと一個で売り切れになるコロッケをどっちが買うかで大騒ぎらしい」


「それって……」


「僕たち……のこと?」


「確かに、槙田さんちのコロッケはうまい。ものすごくうまい。うまいってことは、よく売れるってことだ。特にこの時間は晩御飯のおかずを何にしようかなとたくさんの人が歩いている。コロッケがなくなる日だってあるんだよ」


「まあ、そりゃ……」


「僕も槙田さんにたくさん作っておくように言うからさ、また喧嘩になりそうなことがあったら買わないか、半分こにでもすればいいんじゃない?」


「うう、兄ちゃんが言うなら……そうする! ベア介も、な!」


「うん」


「それと、こんな時間に子供だけで歩いてたら、お母さんはどう思うかな?」


「え? 今の時間って……やっべ! ベア介! 帰んないと!」


「ママに怒られる……!」


「ミアちゃん! これもう取ってよ! 早く!」


「え? あ、ああそうね!」


 ミアは急かすサラマンに言われ、慌てて拘束を解いた。四本の腕は、彼女の体内に戻っていくようにするすると引っ込んでいった。


「まっすぐ帰るんだぞ~」


「はーい! 兄ちゃんまたね~!」


 サラマンとベア介は手を振ると、大きなストライドで走り去っていった。揺れる。商店街が揺れている。


「終わった……のか?」


 唖然とする槙田はぽつりと呟いた。


「ええ。これでいいですかね、槙田さん」


「あ、ああ……」


「コロッケ一つでこんな……はぁ、なんだかどっと疲れたような気がします……」


 ミアは大きくため息をついた。それと同時に、


 ぐうううう。


「……!」


「ミア、今お腹鳴ったでしょ」


「んな……ななな鳴ってません! きっと獣の唸り声か何かです!」


「なるほど。ミアのお腹は獣の唸り声みたいに鳴ると」


「いやあああああああ!」


「そうだ槙田さん」


「ん?」


 橙はうなだれるミアにしてやったりとほくそ笑み、次に槙田に、


「子供が喧嘩して取り合いになるほどのコロッケ。さぞおいしいんでしょうね」


「そ……そうだとも!」


「でも取り合いになってしまったら悲しいです。明日からはもう少し多めに揚げて頂けないでしょうか」


「……確かに、俺のコロッケが原因でこんなことになっちまったんだ。そうするよ」


「あの、橙さん」


「んん?」


「もう少し、というわけにはいかなそうですよ」


 ミアは苦笑しながら背後に目をやるように言った。


「なんで――」


 気づけば槙田精肉店の前は多くの人だかりでごった返しており、軽く収拾がつかない状態になっていたのだ。皆が口々にコロッケのことについて話をしているのが聞こえる。子供が喧嘩をするほどおいしいコロッケとはどれぐらいおいしいのか、一度食べてみたい、といったような。


「あ……あはは」


 サラマンとベア介がコロッケの取り合いを始めてから帰るまで。その全てが槙田精肉店のコロッケを宣伝するための街頭販売になってしまっていたらしい。これでは揚げるコロッケの量も少しというわけにはいかないだろう。


「こりゃ明日は大忙しだぞ……!」


 既に槙田の口からは嬉しい悲鳴が聞こえていた。


「んじゃ一件落着ってことで槙田さん、買い物していいかな?」


「橙さん! なんでも買っていいんですよね!? この霜のフリフリなやつとかも!」


「ああ。なんてったって槙田さんの公認があるからな! だがミアよ、それだと水炊きがすき焼きになっちゃうぞ」


「お手柔らかに頼むよ……」


「いいじゃないですか、明日にはコロッケ特需でチャラどころの騒ぎではなくなります」


「ほらほら橙さん! どれにしますどれにします!?」


 らんらんと目を輝かせるミアに、背筋が寒くなる槙田だった。


 ここは紅々町商店街。どこかの時代のどこかの国の、そしてこの冬の寒さに反して、とても温かい商店街である。

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