第一章
第1話 入電
――皆さんこんばんは。夕方六時になりました。平成三十三年一月八日、ニュースの時間です。
テレビの中の女性ニュースキャスターは一礼すると、淡々と原稿を読み上げ始めた。
――――。
キャスターの声と、石油ストーブに置いてあるヤカンがふつふつと沸く音だけが響く事務所内。そこには男が一人と、女が一人いた。男は革靴を履いたまま三人掛けのソファーに横になり、新聞紙を顔に被せて静かにしている。女はデスクに向かって書類を眺め、かわいげに小さく唸っていた。床に届かない両足をぷらぷらとさせながら。
「……わわっ!」
電話が鳴ったのはそんな時。けたたましく鳴り響くベル音に、書類を眺めていた女はびくりと肩を震わせた。
「――はい。
女、というよりは少女と言ったほうが正しいだろう。彼女はその幼い声音とは対照的な、落ち着いた口調で電話に応対する。
「はい、お世話になっております……はい……ええ、理事長ですね。恐れ入りますが、ご用件を伺っても宜しいでしょうか……はい……はい…………なるほど……」
理事長。少女の言葉に男の体が反応した。
少女はメモを取りながら相手の言葉に耳を傾けた。口調はあくまで事務的なのだがなぜだろうか、表情にどこか困惑の色が見えている。
必要以上に強い暖房が、余計に眠気を誘う空間。
一通り話を聞き終え少女はふう、とため息のようなものを漏らすと、受話器を手で押さえながら男に声を掛けた。
「理事長、槙田精肉店さんからお電話です」
男は新聞紙で顔を隠したまま、
「肉の売り上げが悪いから買いに来てとかだったら断ってくれる?」
「いえ、そういった内容ではないのですが」
「ですが?」
少女は少し間を置いてから、言いずらそうに口を開いた。
「それが……店の前で小学生が喧嘩をしているから、仲裁に入ってほしいと」
男の顔に乗っていた新聞紙が「ぶっ」という声と一緒に宙に浮いた。
「なんだよそれ……」
男はようやく体を起こすと、目を擦りつつ言った。重たげな瞼は常に眠そうな雰囲気。少々面長で鼻筋が綺麗に通った青年だった。
「いかがしましょうか。それか、理事長が直接話をされたほうが」
「いや、いい」
少々癖のある黒髪をわしわしと搔きながら、男は嘆息する。
「行くよ。行く行く。全く……まだ売り上げに貢献したほうが楽じゃないか」
「わかりました。そのように伝えます」
少女は言うと電話の向こうにいる槙田精肉店と二、三言葉を交わして受話器を置いた。
チン、という音と共に少女は気を取り直して書類とにらめっこを再開しようとしたのだが。
「ミア、君も一緒に行くんだぞ」
いつのまにか男はソファから立ち上がり、ポールハンガーからダークグレーのチェスターコートを取ると当然のように言った。
「え。私も、ですか?」
「時計を見なさい。もう六時も過ぎてるし、今日のお仕事はおしまい。ほら、早く留守電にして」
「は、はい」
「槙田の肉屋さんは……三丁目か。商店街の様子でも見ながら、ついでに夕飯の買出しもしよう」
「――はいっ。理事長は晩御飯何が食べたいですか?」
男にミアと呼ばれた少女は、明らかに声のキーを上げながら返答。そして鼻歌交じりに、大急ぎで帰り支度を始めたのだった。薄緑がかった銀髪ショートヘア。その頭部両側面から生えている小さな鳥の羽を嬉しそうに揺らしながら。
「それとミア、君がどうしてもって言うから勤務中は理事長呼びを許してるけど、もう勤務外でしょ」
「う……」
「十六歳の僕に理事長なんて、むず痒くて仕方ないよ。いい加減、仕事が終わった時くらい普通に呼んでほしいな」
「うう……」
ぱたぱたと動いていた羽が今度はしおらしくなる。
「ね?」
にっこりと念を押す男。その顔を直視できず、ミアは頬を紅潮させながら、
「……はい、
大変幸せそうな顔で、男の名前を口にしたのだった。
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