第10話

「……ん。」


仄かに匂う煙草の香りで、佐保子は目覚める。


気怠い体を翻して横を見ると、そこには1人タバコを蒸す藤次がいて、佐保子は目を丸くする。


「藤次さん…煙草なんて、吸ってたんですね…」


「あぁ…ホンマは絢音との2人だけの秘密やってんけど、お前になら、教えてもええかなて。…俺、こういうことした後だけ、無性に煙草、吸いたなるねん。」


そう言って、吸い殻をサイドボードの灰皿に捨てると、仰向けに寝そべり、佐保子を抱き寄せる。


「…ホンマに、絢音もやけど、美知子と言いお前と言い、こんなどうしょうもない男にこないに尽くして、なんにも欲しがらん。ただそばにいて欲しい。二言目には金や宝飾品強請る商売女の方が、よっぽどわかりやすいのに、何故か惹かれてまう…ホンマに、なんでやろな。」


「美知子…?」


聞いたことのない女の言葉に瞬いていると、藤次は汗で張り付いた佐保子の頬の髪を掬いながら、言葉をつづける。


「お前、髪型と化粧すると似とるんや。初めて赴任した福岡で付き合うてて、処女をくれた事務官の女に。名前は美知子。結婚の約束までしたんやけど、俺が踏み切れんで、逃げた相手や。」


「そんな人…いたんですね。藤次さんにも…」


「ん、まあな。それからは、赴任決まる度に、事務官が女と決まる度に、そいつのこと思い出して、辛かってん。せやから、お前と出会った時も、ホンマは嫌やった。また好き言われて、好きになってもうたらどうしようて…まあ、結局また、こういう関係になってもうたけど。」


苦笑する藤次に、佐保子はつられて笑っていると、身体を引かれ、藤次が上に覆いかぶさってきたので瞬く。


「と、藤次」


「精力剤のおかげで、もう一回…いや、朝までできそうや。せやから、しよ?」


「で、でも…約束は…」


その言葉に藤次は薄く笑う。


「どうせ最後や。悔いのないよう激しゅうしたる。せやから、ホテル出たら、俺のことはもう、キレイに忘れや…」


「藤次さん…」


そんなの無理と言いたかったが、切なげな彼の顔を見ていると言えなくて、結局…朝日が昇るまで2人は情を交わし、佐保子が目覚めた時には、既に藤次の姿はなく、仄かに体温の残る誰もいないシーツに指を滑らし、佐保子は涙を流した。



「藤次さん?!」


「おう。どうや調子。差し入れ持って来たで。カナベル名物日曜日限定トリプルベリーショコラケーキ。朝5時から並んだわ。」


面会時間が始まった朝の9時。


何事もなかったかのような表情で自分の元にやってきた夫に、絢音は瞬く。


「なんで…こんな早く…チェックアウト10時でしょ?!それに日曜日じゃない。デートくらい…」


その言葉に、藤次は困ったように笑う。


「ズルズル思い出作りするのは、かえって傷拡げるだけや。せやから、寝とる内に黙って出てきた。と言うか、旦那が朝帰りした言うのに、何も咎めんのかいお前…」


「だって…元々けしかけたのはワタシだし…」


その割には、眼を腫らしている絢音に、藤次はフッと嗤って、彼女の頭を撫でる。


「ヤキモチ…妬いてくれたんやな。嬉し。」


「こ、これはッ…赤ちゃんのせいで寝れないからで…ッ!!」


チュッと唇にキスをされた瞬間、ポロポロと絢音の瞳に涙が伝い、背中に手を回す。


「もう、絶対3人でしようなんて言わなし、誰にも…渡さないから…」


「うん。俺も、もう他の女とはこれっきりや。…ただいま。」


「お帰りなさい…」


そうして2人でケーキを食べて、絢音は暫くして3つ子の女の子を産み、産後の肥立ちも良く、秋の紅葉が一斉に舞い散る大安吉日。


笹井稔と京極佐保子の結婚式が、藤次と絢音が挙式した同じチャペルで、執り行われた。


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