第9話
「…ほら、これで完成や。キツくないか?」
件の病院訪問から1週間後の土曜日。
引っ越しの準備でごちゃごちゃした長屋の居間に積まれたダンボールの群から、絢音が言っていた衣服④の箱を開けた藤次は、和柄の牡丹のワンピースを佐保子に着せてやり、後ろのチャックを閉めて問う。
「あ、はい…大丈夫です。検事…」
その言葉に、藤次は苦笑し、佐保子の額をピンと指で弾く。
「えっ!あの…」
「だから、ワシはもう検事やないし、今は、お前の旦那やろ?藤次と呼び。それ以外は、聞く耳もたんえ?」
「は、はい…」
「ん。ほんならそこ、鏡台座って化粧し。絢音が何使ってもええて言うとったさかい。好きにし。色はみんな、ワシ好みのもんばあやから。ワシ、洗面所で髭剃って着替えてくるわ。」
「はい…」
そう言って水場に向かって行く藤次を見送り、佐保子は朝一で以前絢音に連れて行ってもらった美容院で纏めてもらった髪を手櫛で軽く整えて、自前のファンデーションを塗った後、引き出しを開け、あの時のメイクサロンでされた記憶を頼りに、アイシャドウやチークや口紅等を選んで並べて、丁寧に色を顔に乗せて行く。
「最後は…口紅…」
そうして、絢音が魔法のリップと言って付けてくれた、「ayane」と金字でケースに刻印されたリップを繰り出し、唇にのせると、コンタクトレンズを装着する。
「出来た…」
髪の毛の長さこそ違えど、あの時と同じ自分が鏡に映っていて、佐保子はニコッと笑う。
「なんや。えろう別嬪になったやん。さすがワシの、恋女房や…」
「藤次さん…」
振り返ると、優しい顔で自分を見つめる藤次がいて、佐保子の心臓はドキドキと高鳴る。
「ほんなら、行くか?チェックインの時間まで、行きたいとこぎょうさん、連れてったる。」
「は、はい!なら、嵐山!花月のみたらし団子…また、一緒に食べたい…です。」
そうして頬を染める佐保子に優しく手を差し伸べ立ち上がらせ、藤次は彼女を抱き締める。
「ええで。今日の俺は、お前のもんや。なんでもワガママ言え。叶えたる。」
−お前のもん−
嘘だと分かってても、その言葉が嬉しくて、瞳に薄く涙を浮かべながら、藤次に連れられ、2人は嵐山に向かった。
*
それからは、2人で嵐山の甘味を満喫した後、車で様々な神社仏閣を回った末、市内に戻り、とある百貨店に来ていた。
どこに行くんだろうと戸惑いながら藤次に手を引かれやってきたのは、宝飾品コーナー。
「と、藤次さん?!」
瞬く佐保子に、藤次は寂しく笑う。
「夫婦なら、証…必要やろ?流石に指輪はあかんから、揃いでネックレス…買お。」
「で、でも…」
「大丈夫や。笹井には、ご祝儀や言うて買うたったって言う。絢音にもや。絶対、ペアやとは言わん。これは、俺たち2人の、せめてもの絆の証や。せやからな?ええやろ?」
「藤次さん…」
戸惑う佐保子の前に出されたネックレスを見つめて、藤次はその中の一つ、小さなエメラルドの輝くネックレスを取る。
「俺の誕生石や。ダイヤは買うてやれんから、これで、堪忍してや?」
「は、はい…」
そうして会計を済ませると、チェックインの時間になり、藤次と佐保子はホテルに向かい、レストランで食事を楽しみ、ラウンジで軽く酒を飲んだ後、2人の思い出の部屋へと向かう。
シャワーを浴びて、化粧をし直し、藤次が出てくるのを待っていたら、浴室の扉が開き、バスローブ姿の藤次が現れる。
ベッドの前で見つめ合い、いよいよこれが最後なのだと俄に涙を浮かべていたら、藤次が件のネックレスを差し出し、掛けてくれと言わんばかりに頭を差し出したので、首にかけてやると、今度は藤次が、佐保子の首にネックレスを掛けてやり、肩を抱いて、キスを交わす。
「これが、俺等2人だけの…秘密の結婚式や。今夜だけ、精一杯愛したる。好きや…」
「わ、わたしも、す……ん!」
好きと言おうとした唇を塞がれて、ベッドに押し倒され着ているものを脱いで脱がされ、揃いのネックレス以外は一糸纏わぬ姿で睦み合っていると、藤次は自分の股ぐらを見やる。
「あの精力剤…ホンマええ仕事してくれるわ。どうやら、最後までしてやれそうや。せやから、もう泣きなや…」
「でも…」
これが最後、最後なのだと思うと、辛くて、苦しくて、涙が止まらなくて、声を殺して泣く佐保子に藤次は何度もキスをして、甘えて縋る彼女をただただ優しく抱いて、最後は、互いに顔を見合わせる正常位の姿勢で、佐保子の中に自らを放った…
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