第7話

「えっ!ホント?!」


「うん。週末行こ?琵琶湖に一泊。」


…木曜日の京都地検の屋上。


佐保子から出た言葉に稔は瞬き、嬉しそうに顔を綻ばせる。


「良かった。宿…既に手配してて、ダメって言われたらどうしようって思ってたから…」


そうして、にこやかに笑う佐保子を抱きしめて、稔は囁く。


「やっと、佐保子の特別になれる。絶対、優しくするから…」


「うん…優しく、してね?」


そうして軽くキスをした後、急に佐保子が口を手で押さえたので、稔は瞬く。


「どうかした?」


「う、ううん。ちょっと、体調優れないだけ。大丈夫。週末までには、治すから。」


「そう?無理、するなよ?棗検事最近厳しいから、愚痴とかストレスなら、いくらでも聞くから。」


「うん。ありがとう。大丈夫。私、先、降りるね。急ぎの仕事あるから…」


「う、うん。」


心配そうに自分を見つめる稔から逃げるように屋上を後にし、佐保子は真っ青な顔で口元を再び覆う。


「…下半身が痛いのは仕方ないけど、検事にもらった薬の副作用かな?ムカムカして、気持ち悪い…」


そう呟きながら、身体を引きずりながら検事室に入ると、藤次は既に出る用意をしていたので、佐保子は慌てる。


「す、すみません私…直ぐに支度して車回して来ます。」


情を交わした後も、部下としての顔を貫け。


それが約束。


だから、こんな弱音、吐くわけにはいかない。


そう思い、痛む体と胸焼けに耐えながら仕事をしていると、急に藤次に手首を掴まれる。


「えっ?!」


瞬く佐保子の掌に何かを握らせると、藤次は彼女の鞄を取り上げ背を向けると、部屋を出ようとする。


「け、検事!」


「そないトロトロした仕事ぶりで待てるかい。急ぎの裁判や。手隙の事務官捕まえて行くさかい、ここで上がりの定時まで雑務しとき。…ほな。」


「検事!」


そうして藤次を追いかけるように入り口に行くと、うまい具合に影山を見つけた藤次が声を上げる。


「おう!影山!すまんけど地裁まで頼むわ。姐さん産休で暇やろ?まったく、女はエエよなぁ〜色んな理由付けて簡単に休めて。ウチの事務官も生理で辛い言いよる。使い物にならんさかい頼むわ。今晩奢るさかい。な?」


頼むわぁと、狼狽する影山の肩を叩きながらエレベーターホールに消えて行く藤次の背中を見送りながら、佐保子は手に握らされたものを開いてみる。


「あ……」


そこにあったのは、胃腸のむかつきなどに効く市販薬と痛み止めと、小さな走り書きのメモ。


−むかつきはそれで治るやろ。痛みは知らんけど。とにかく、おとなしくしとき。初めてなんやったんやから。−


「検事…」


自分を気遣ってくれる藤次の気持ちが嬉しくて嬉しくて、佐保子は早速給湯室へ行き、その薬を飲み下した。


「思い続けるだけなら、良いわよね…?」


鏡に映る涙目の自分に語りかけ、佐保子は

そっと、初めてもらった愛しい人からの小さな手紙を握りしめた。



その後、心配していた妊娠は事なきを得て、佐保子は週末稔と泊まりデートに行き、処女と偽り、彼に抱かれた。

血があまり出なかった事を稔は訝しんだが、絢音から教わった「個人差だから」と言う言葉で誤魔化し、その後も、藤次への思いを秘めながら、稔と愛を育んでいた。



それから月日は流れ2年。晩秋のある日だった。


榎戸事件が発生し、佐保子は抄子と藤次と共に、彼の子供…藤太と恋雪の眠る霊安室の前に来ていた。


霊安室から響いた藤次の…言葉では言い表せない慟哭を聞いた瞬間、佐保子の中で何かが切れた。


「(ワシ…この子等になら命差し出しても構わへんわ。そんくらい、愛おしいモンできるやなんて、ホンマ、幸せや…)」


そう言って幸せそうに見ていた写真立ての中の家族写真を一瞥して、佐保子は机の鋏を握ると、乱雑に自分のお下げを切り裂く。


「仇は、取ります。だから…部下としてはさよならです。検事…」


手帳に挟んだ、色褪せた写真と小さな手紙にそう告げて、佐保子は切り取ったお下げの片方を藤次の机に置くと、刑事部長室へと向かった。


榎戸を裁く検察官に白羽の矢が立った、稔の上司楢山賢太郎の部下になりたいと、直訴する為に…



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