第3話

「さあ着いた。早速綺麗にしてもらいましょ?」


「あ、は、はい…」


水曜日の、京都市内のとある美容院。


藤太をベビールームに預けて、絢音は受付に行き、いつも自分を担当してくれてる美容師を呼ぶ。


「バッサリ切るのは嫌らしいから、整えて前髪作って、そうねー…軽く巻いてみましょうか。その後、こんな風に結って…」


初めてくる華やかな美容院にドギマギしながらも、今から…一晩限りとは言え、藤次好みの女に生まれ変わるんだと思うと、嬉しくて嬉しくて、佐保子はキュッと…絢音から借りた和風の牡丹柄のワンピースのスカートの裾を握り締める。


「じゃあ…決まりね。佐保ちゃん!こっち!」


「あ、はい…!!」


そうして髪を整えて、次にやって来たのはメイクサロン。


「華美じゃないけど、色っぽい雰囲気で。あとこれ、使って下さい。」


「?」


不思議に思い店員の手元を見ると、そこには「ayane」と金字で刻印された、一本の口紅。


「奥様…?」


不思議がる佐保子に、絢音はそっとウィンクする。


「藤次さんがくれた…魔法のリップ。絶対綺麗になるから、楽しみにしててネ。」


「は、はい…」


次に向かったのは、コンタクトレンズの店舗。


「眼鏡もいいけど、佐保ちゃんは裸眼の方が絶対可愛いから!!これかなぁ〜、うーん、でもこっちもなー。ねぇ藤太、どう思う?」


「ぶ?」


ベビーカーに乗って大人しくしている藤太に、絢音が真剣に問いかけるので、佐保子はプッと吹き出す。


「やだ奥様。藤太君、まだ赤ちゃんだし、男の子ですよ?」


「あら。藤太こう見えて、藤次さんの好みがわかる結構な目利きなのよー。そのワンピースだって、選んだの藤太だもの。私が着た時は、藤次さん凄く喜んでくれたの。だから間違いないわ。ねー?」


「きゃーー!!」


絢音に頬ずりされて喜ぶ藤太に、佐保子は戸惑いながらも顔を寄せる。


「ね、ねぇ、藤太君。私、あなたのお父さんの好みに、近づいてる?」


「あーー?」


くりんと小首を傾げる藤太を見て、絢音はクスリと笑う。


「もう一押しなのかな?じゃあ藤太。どっちかな?お父さんの好みで、佐保子お姉ちゃんに似合うコンタクトはぁ〜」


「あーあー」


藤太が反応したのは、黒目を大きく見せるナチュラルなコンタクトレンズ。


「うん!じゃあ、これね。お会計して、付けてみましょう?」


「は、はいっ!」


色々腑に落ちない選択だったが、佐保子は絢音と藤太を信じて、専門スタッフに説明を受けた後、近くのショッピングモールのパウダールームで、コンタクトレンズを装着する。


「わぁ…」


鏡に映るのは、いつも冴えないお下げに眼鏡。見せる姿の殆どがスーツ姿の自分からは想像できない、華やかだが控えめな美しさを湛えた、見たこともない自分。


緩く巻いた髪は頸の辺りでお団子に結い、化粧…特に唇は華やかな色気を湛えており、この唇で藤次と初めてキスをするのかと思うと、心臓がドキドキと高鳴って来て、佐保子は微笑む。


「じゃあ、完成ね。藤次さん、ホテルここを予約してくれてるらしいから。私、抄子さんに藤太預けて支度していくから。先に行ってチェックインしてて。棗藤次の妻ですって言えば、大丈夫らしいから。」


「つっ、妻って?!なんで?!私は…」


いきなりの事で狼狽する佐保子に、絢音はにっこり微笑み彼女を抱きしめる。


「今日一日だけだけど、あなたは藤次さんの奥さんで、私はあなたの姉。新婚ホヤホヤの妹夫婦をからかいに遊びに来た姉をもてなすために、ホテルで食事をして一泊する。それが、今日のホテルの従業員に藤次さんが言ったシナリオ。分かった?」


「で、でも…奥様を差し置いて、私が検事のつ、妻を名乗るなんて…」

 

暗い顔をして俯く佐保子の額を、絢音はピンと指先で弾く。


「お、奥様?!」


「「お姉ちゃん」の間違いでしょ。佐保子。迷わずホテル行きなさいよ?…義弟の藤次が、ホテルの従業員に頼んで、ちゃんと用意、してくれてるから…」


「奥………お姉ちゃん。分かった。」


「うん!よろしい!!じゃあ、また後でね!」


「ハイ。」


そうして自分に背を向け、抄子の家方面に歩いていく絢音の背中を見送りながら、佐保子は頬を染めて、ポツリと呟く。


「妻ってことは…「棗」佐保子って、名乗って良いんだよね?」


その瞬間、言葉では表現できない多幸感が溢れて来て、佐保子は絢音から渡されたホテルある住所に向かって、軽やかなステップを踏みながら向かった。

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