4. 金貨の価値

 マスターは一旦部屋から出て、それからもう一度小さな袋を持って部屋に戻ってきた。

 テーブルの上に置かれた袋は、手のひらサイズ。四角い箱のシルエットが袋の外からも何となく見て取れた。


「見たことのない素材の箱だ。金属でもない、木でもない。つるつるしてて、硬くて軽い。穴が数カ所あって、そこから金属のようなものが見えたから、中身は金属なんだろう。つるつるした変な紐もくっついてた。かといって、蓋もないし、一体何のための箱なのか、サッパリ見当が付かない。扱いに気を付けないと、高値で買い取って貰えないぞと念を押された。こんなものを高値でなんて、頭が狂ってるとしか思えない」


 随分小さい箱だった。

 紐付きの箱。

 分かるような、分からないような。


「み……、見せて貰っても?」


 佑はテーブルの上に手を伸ばし、恐る恐るマスターの顔を見た。

 マスターは無言でタスクに袋を渡す。

 巾着状の袋に入ったそれは、かなり角張っている。重さ、形。袋の上から触ってみると、知っている何かに似ていた。

 巾着の紐を緩め、中を覗く。


「……あ」


 プラスチック。

 摘んで取り出し、中身を確認する。


「も……、モバイルバッテリー……!!」


 思わず大きな声を上げた。

 手が、震える。


「竜樹だ」


 息子の名前を呟くと、リディアは目を見開き、佑の顔を覗き込んできた。


「息子か」

「そうです。竜樹です。あいつ……、紗良が死んでからよく、フラフラと外に出掛けることが多くなって。スマホの充電、切れないように、モバイルバッテリーを予備含めて二つ、渡してたんです。……これは、その、一つ。充電……、フルだ。充電ケーブルも付いてる。どういうことだ、一体……」


 佑はガックリと頭を下げ、そのままテーブルに伏した。

 全身が、制御しきれないくらいガタガタと震えていた。

 ギュッと手を握り締め、高ぶる感情を必死に逃がした。

 バッテリーは、秋頃竜樹に買い与えたばかりのものだった。

 紗良が死んで、不安定だったのは竜樹も同じ。ピリピリして声を荒げたり、外に飛び出したりすることが多くなった。夜中、外に出たまま帰らない竜樹を捜し回ったこともあった。

 スマホの位置情報も、以前は親子で共有していたのに、竜樹の方から切ってきた。

 電話しても繋がらないときは、佑も町中をうろうろと歩いて回った。

 捜して欲しいのか、そうじゃないのか。行き場のない怒りと憤りを、竜樹はそうやって紛らわしていたんだろう。責めることは出来ない。だからせめて、いつでも連絡を取れるよう、スマホの充電はしっかりしておきなさいと買い与えた、予備のバッテリーだった。


「マスター、金貨二枚。払わせて貰う」


 佑の様子を見たリディアは、躊躇いもなく言い放った。


「り、リディアさん」


 ガバッと顔を上げる佑だったが、リディアは目線をマスターに向けたまま。


「そんな高いものじゃありません! タイムセールで数千円の」

「ルミールでは手に入らない。タスクはそれを必要とした。金貨二枚の価値はある」

「確かに、ルミールには存在しないですけど」

「金貨二枚。預けていた私の金庫から、あとできっかり払ってやる。マスター、代わりに情報を寄越せ。金貨を貰った少年は、どんな様子だったのか、どこへ行ったのか。珍しくマスターが日中あの時間、あんなところでスキアに捕まっていたのも、さてはその少年と関係があるんだろう?」


 リディアがそこまで言うと、マスターは両手を挙げて降参のポーズを取った。


「さすが辺境の魔女。隠し事は出来ないねぇ。大当たり。あの少年、金貨で馬を買ったんだ。馬の餌の人参を山盛り、それから当面の食料、生活用品、武器と防具。朝イチでギルドにやって来て、この箱を突き出してきた。金貸しはしないし、買い取りもしてないって話したんだけど、『普通の店には売れない、信用のあるギルドでないと渡せないような代物だ』って凄まれてな。……辺境の魔女はあの少年のこと、どこまで知ってるんだ? アレはちょっとした大物だぞ? 身分の不確かな人間との取引はしないって言ったら、とんでもないものを見せて来やがった」

「五連の石の付いたブレスレット」

「そう、五連の。……って、本当に知り合いか?!」


 前のめりになるマスターに、リディアは淡々と答えた。


「そのブレスレットの前の持ち主が、私の仕えたアラガルドの王女。そして、ここにいるタスクの妻だ。――長い間、私を王国の追っ手から守ってくれたこと、感謝しかない。ギルドには、王国から何度も依頼が来ていたはずだ。逃亡した王女と、逃がした魔女を捜せって。町中みんなで、私を隠してくれた。本当に、ありがとう」

「な、何を言い出すんだ」


 マスターの頬に冷や汗が垂れる。

 佑も、リディアの横顔に唾を飲む。


「追加で十枚金貨をやろう。町の人間に、上手いこと分配してくれ。今まで協力ありがとう。私のことを、そしてその少年のことを、誰にも言わない口止め料として、この町にくれてやる」

「金貨の価値が分かってるのか! 幾らなんでも多過ぎる!!」


「多くない。少な過ぎるくらいだ。私はそれくらい感謝しているんだ。……王国の兵が、私を捜しているらしいと聞いた。とうとうこの近くまで来てしまったと。迷惑をかける。私を突き出せばそれで終わるのは知っているが、私は生き長らえなければならない。あの方の息子を……、支えねばならない。王国を、見捨ててはおけないのだ。もう、ここに戻ることはないだろう。金庫は空にしていく。これまで本当に、ありがとう」

「あの小屋には、戻らないの?」


 左腕にしがみ付いたまま、スキアはゆっくりとリディアの顔を見上げた。

 リディアは不安そうな目を向けるスキアの頭を、右手で丁寧に撫で回した。


「悪いな、スキア。私の我が儘に付き合っておくれ。お前と過ごしたあの小屋も、庭も、いずれ野に還るだろう」


 しゅんとするスキアと、表情を崩さないリディア。

 呆然とするマスターと佑。

 しばらくの間、全員が、テーブルの上のモバイルバッテリーをじっと見つめていた。

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