2. 簡単には
「息子が心配なのは分かるが、この季節だ。無理すると遭難する」
リディアは厳しい顔で佑を牽制した。
しかし佑は食い下がらない。
「い、色々と予定も立て込んでて。本当は、ルミールに迷い込んでる場合じゃないんです。私立の受験も直ぐそこに迫ってる。中学三年の大事な時期に、どうしてこんな……!!」
佑はとうとう立ち止まり、毛糸の帽子の上からグシャッと頭を掻いて、ブンブンと横に振った。
受験生。
中三。
竜樹は地頭が良い。
将来、どんな職業でも選べるように勉強はすべきだと、佑は竜樹が幼い頃からそう教えてきた。
中学に入り、反抗期になった竜樹は、殆ど佑と会話しようとしなかったが、紗良が死んでからは紗良にそれが加速した。
必要なこと以外、喋ろうとしない。お陰で、進路の話だってまともに出来なかった。
受験対策にと薦めた塾は、竜樹に断られた。
公立と滑り止めの私立をどうにか選び三者面談に臨んだが、その時だって竜樹は担任の前で無愛想に『それでいいです』と答えただけだった。
「かの地には、そう簡単には戻れんよ」
リディアは足を止め、冷たく言い放った。
「たとえ息子を見つけたとしても、簡単には戻れん。都合よく嵐の夜に二つの世界が繋がったり、あるいは私が魔法で無理矢理二つの世界を繋いだりするとでも思っているのか。……無理だ。第一、私は力の使い過ぎで身体が縮まっている。どうにかしてやりたいとは思う。魔法は万能ではないんだ。私も、自分なりに方法を探る。だが今日明日で解決出来ることじゃない」
淡々と現実を突きつけてくるリディアに、佑は反論出来なかった。
本当はそんな気がしていたのに、気付かない振りをしたかったのかも知れない。
やたらと多い食料品の買い込み。佑の旅支度に入念なリディア。とうとうルミールに戻れなかった紗良。どれを取っても、簡単に帰れる見込みのないことを示している。
「冷静になれ。焦るな、タスク。大丈夫だ。お前の息子は精霊に守られている」
「でも……!」
「焦れば焦るほど、悪い方に事が進むものだ。今やるべき事は、腹ごしらえ。飯を食いに行く。腹が減っては動けなくなるだろう。息子が心配過ぎて、優先順位が付けられなくなる気持ちはよく分かる。だからって無茶をしていい訳では無い。自分に何かがあれば、かの地に戻るどころじゃなくなることを忘れるな」
リディアは佑の熱を冷ますように、冷淡に言い放った。
そんなのは分かってる。佑は思った言葉をグッと飲み込み、両手を握り締めた。
「……すみません。取り乱しました」
佑が頭を下げると、リディアはふぅと力を抜いた。
「分かれば良い。ほら、行くぞ。人気で混むんだ、あの店は」
ニコッと小さく笑ってから、リディアはまたギルドの方へ向かって歩き出した。
通りには人が少しずつ出始めている。
町の住人はもとより、旅人や冒険者のような出で立ちの人間もちらほら見えた。
マントを羽織って剣を背負ったことで、多少なりとも冒険者風にはなった佑だが、防具屋にあったブーツはあまり履き心地が良くなくて、結局冬用長靴のままだ。格好は微妙だが、街ゆく人達はそんな佑の微妙な違和感なんか気にする素振りもなく、どんどん通り過ぎていく。
どこか空想上の、存在しないような世界に思えたルミールが、佑の中で徐々に現実に置き変わっていた。
色もある。
雪の臭い。
冷たい空気。
頬に当たる風。
溶けかけた雪を踏む感触。
屋根から雪が滑り落ちる音。
通行人の足音と、たくさんの話し声。
店の軒先で交わされる、挨拶や呼び声。
澄み渡る青空と低い屋根の家々が、佑の視界いっぱいに広がっていた。
人の営みが見えると、何故だか途端に気持ちが軽くなる。それこそ、さっきまで何を悩んでいたんだろうと思う程に。
「そういえばリディアさん。さっきから結構買ってますけど、お金、大丈夫なんですか」
先を歩くリディアに、佑は恐る恐る話し掛けた。
「変な心配するな。金ならたんとある。まさか、遠慮して安いものを食おうとしてるんじゃないだろうな」
リディアは半分振り向いてハハと笑った。
「……それも、ありますけど。さっきから、かなり買ってますよね。無理してませんか」
「無理なんかしとらんよ。使い道がなかったから、貯めっぱなしでな。ギルドにも預けてあるから、引き出して行くつもりなんだ。なにせ、悠々自適の辺境暮らし。こういう機会でもなきゃ、金も使わんからな。いいか、絶対に遠慮するなよ。遠慮なんかしたら、私が許さないからな」
「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく、リディアさんのおすすめを頂きますよ」
情緒不安定になりかけていた佑を、リディアは気にせず普通に接してくれる。
それが妙にありがたくて。
紗良が死んでから先、何もかもが灰色に見えて、悲観的になり、急に涙がこみ上げることが多くなった。物覚えが悪くなった気がしていたし、注意力も散漫な自覚があった。竜樹が何を考えているのかということまで、頭が回らなかったのが正直なところだった。
リディアがこうして適度に声をかけてくれなかったら、佑はもっと自分を責めていたかも知れないのだ。
縁あって、せっかくこうして出会えたのだから、助けて貰うばかりじゃなく、自分にも何か出来ないだろうか。
リディアの透明な美しさの奥にある深い悲しみのことを考えると、そう思わずにはいられなかった。
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