6. 喪失感

 宝石屋店内の一角、商談用の応接スペースで、佑は少しの間、一人にさせて貰っていた。

 カヤは色々と聞きたがったが、店主とリディアが首を横に振り、一旦落ち着いた方が良いと言ってくれたのだ。

 実際、昨晩から色々なことが立て続けに起こり過ぎていて、佑の頭の中はめちゃくちゃだった。元々、もの凄く頭が良いわけでも、物分りが良いわけでもない。ただ、目の前に起きていることを自分なりに整理して、ひとつずつ解決していく程度の、月並みな人間なのだ。


 異世界にいることも、本当は理解出来ていない。夢の中ならばいいのにと、今も思う。

 死んだ妻がルミールの人間で、しかも王女で、あらぬ疑いをかけられて自分のところに逃げてきていたなんて聞かされても、未だどこかで嘘だと思っている自分がいる。

 紗良が何も話してくれなかったのは、自分が頼りないからだと佑は思っていた。だから、頼り甲斐のある人間になりたいとがむしゃらに働いた。しかし、どんなに頑張っても紗良は何も話さなかった。話したくなったらと言った手前、自分から聞き出すのも格好悪いと思ったのは確かだ。


 訊けば、話してくれただろうか。

 こんな荒唐無稽な真実を突きつけられ、自分は笑わずに彼女の話が聞けただろうか。

 何もかも、自信が無い。

 竜樹が紗良の秘密を知っていた可能性が高いこともまた、佑を傷付けた。

 不甲斐ない自分より、血を分けた息子を信頼したのだろうか。

 竜樹には、王家の血が流れているらしい。……特別な力があったのだろうか。

 いつから知っていたのか。魔法とか、精霊とか、異世界とか。

 あの時、怒りを滲ませた理由は、本当はもっと別の意味で。佑が知らない、もっともっと深い事情があって、それで怒って家を出たのかと。


 頭を抱え、テーブルに突っ伏した。

 呼吸を整える。

 落ち着け。落ち着くんだ。

 あくまで状況から推測したことで、竜樹が自分に直接話したわけじゃない。

 紗良のことも、リディアの話と付き合わせた結果、そうなんじゃと仮定しただけであって、彼女に直接聞いたわけじゃない。

 佑は必死に考えを巡らせ、現実か、それとも憶測なのかを区別しようと試みた。

 しかし、それを確かめる術はどこにもなかった。

 息子は見つかっていないし、妻はもうこの世にはいない。

 声を殺して泣いたところで、何も解決はしないのだ。






 *






 フワッと、甘い香りが鼻を掠めて、佑はゆっくりと顔を上げた。

 いつの間にか、机に伏せて少し眠っていたらしい。


「落ち着いたか」


 テーブルの向かい側には、リディアが座っている。

 佑は顔を上げて、こくりと頷いた。


「目覚ましだ。飲め」


 ずいっと、リディアは陶器のカップをソーサーごと佑に突き出した。

 お茶だ。紅茶のような香り。砂糖とミルクも入っているのか、かなり甘そうな匂い。


「いただきます」


 カップを持つ手が、少し震えていた。

 ゆっくりと口を近付け、一口。ミルクティーに近い飲み物だ。


「さっきはすまなかったな。もう少し、配慮すべきだった」


 リディアは目を伏せて、ため息をついている。

 佑はもう一口お茶を口に含み、ゆっくりとカップを置いた。


「いや。俺が何も知らなかったのが悪いんです。知らされていないことすら気付かなかった。見ているようで見ていなかった。だから、こんなことになったんです。……今更、全部遅いですけど、色々と見えてきて、良かったと思います」

「思ってもいないことを口にして、苦しみをごまかそうとしているのが見え見えだぞ」


 リディアに言われて、佑は口を歪ませた。

 カヤと店主はカウンターの内側で、佑とリディアのことを遠目に見守ってくれている。カヤは何か言いたげのようだが、喋ろうとする都度、店主が口を手で塞いでいた。


「何もかも失ったものにしか分からない喪失感がある。お前は今その真っ只中にいて、周りが見えていないのだ。……正常な、反応だ。簡単に受け入れることも、理解することも出来ないだろう。それで良いんだ。冷静になんかなれない。何年経っても、それは続く。何もかも忘れて立ち直れなんて適当なことを言う奴がいたら、殴り飛ばせばいい。無理なんだよ。そんなのは。個々の事情も知らないくせに、無責任に言うべきじゃない。お前も私も、忘れた振りをしてるだけだ。頭の隅には常に失ったもの達が居て、ずっと贖罪を続けている。誰も……、責めんよ。責めても、何も変わらん」


 極悪人の汚名を着せられ、追われるリディアの言葉は重い。

 ぎゅうと胸が締め付けられて、佑は震えながら数回小さく頷いた。


「憶測だがな、息子はアラガルド王国に向かっているのではないかと思う」


 リディアの言葉に、佑は俯いたまま、目を見開いた。

 握り締めた拳が行き場もなく震えている。


「王女のブレスレットを受け継ぎ、タスクに魔法をかけ続けていたのだとしたら、息子はルミールのことも、王女の過去も知っていたはずだ。彼女は王国を救いたがっていた。その意志を、ブレスレットと共に引き継いでいたかも知れない。息子がタスクに何も言わなかったのは、王女がそれを許さなかったからだろう。絶対に息子を責めるなよ。いいな」


 佑はこくりと、俯いたまま頷いた。

 勿論、最初から、竜樹を責めるつもりなんてなかった。

 ただ、自分一人だけがあの家の中で疎外されていたのではないかと。……そんなことを考えてしまう。


「無理するな。お前はまだまだ若い。たった三十数年生きたくらいで、何でも乗り越えられるようになる訳がなかろうが。私なぞ、三百年以上生きてきても、まだまだ乗り越えられそうにないってのに」

「さ、三百年?!」


 ガバッと佑は伏せていた顔を上げた。

 リディアは目を丸くして、少し仰け反った。


「そんなに生きてるんですか。俺より年上なのは分かってたけど……!」


 顔を上げた途端に、リディアはプッと吹き出した。

 きょとんとする佑に、リディアはそっと木綿のハンカチを差し出した。


「顔。真っ赤だし、鼻水だらけじゃないか」

「あ! しまっ……!!」


 ティッシュは多分、存在しない。

 佑はリディアからハンカチを受け取って、慌てて顔を拭った。


「宝石をさっさと決めて、飯を食いに行こう。腹も減った頃だろう?」

「……はい。ありがとうございます」


 親切だとか、優しいだとか、そんな軽い言葉ではなくて。

 リディアのさりげない気遣いが、何よりも佑の心に沁みた。

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