早霧玲花の場合 その3
鶯谷家を再訪した。おばさんは明日、旅行から帰ってくる。英一くんと二人で話す機会は、今夜しかない。渋々といった様子で玄関先に現れた彼に、あたしは詰め寄った。
「あんなに冷たい言い方をするなんて、酷くない?」
「君が微妙な話題を持ち出すのが悪いんです。まあ、あの二人は勘が鋭いようですが、君には、そもそも話をしない選択肢があったはずです」
「あたしは――」
英一くんが好き。ちゃんと卒業まで待つから、どうか受け入れて。破れかぶれに想いを打ち明けようとしたが、彼に遮られた。
「君が僕をどう思っていようが、僕にとって、そんなことには意味がありません。校内で不適切な言動をしない限りは見逃そうと思っていましたが、もう、家に来るのもやめてください」
彼は知っている。英一くんは、あたしの気持ちを知っている。分かった上で、拒絶している。あたしは、消え入るような声で反論した。
「嫌……」
「玲花。いつまでも子どもでいられる訳じゃないんだ。最後に一つだけ、話をしよう。昔、君が好んでいた『星の王子さま』のことだ。王子と飛行士が別れたところで物語は終わるけれど、小さな王子もいつかは大人になって、子どもの頃に出会った飛行士やキツネのことは忘れてしまうだろう。バラのことだって、思い遣らなくなるかも知れない。君も、いつまでも昔の思い出に執着するのはやめるんだ」
それは、耐え難い、完全な、拒絶だった。
あたしは自宅に戻り、自分の部屋に籠って、明かりを点けずにシーツを被った。声を出さずに涙を流した。どれくらいの間、そうしていたのか分からない。気付けば涙は枯れて、無性に人恋しかったけれど、今の状態の自分を他人に見られたくない。
あたしは半ば衝動的に、真白さんに電話をかけた。彼女は、ある程度の事情を理解しているはずで、電話なら、顔を合わせる必要はない。幸い、彼女はすぐに応答した。
「どうしたんですか?」
何を話すか、全く考えていなかった。あたしが黙っていると、真白さんが話し始めた。
「水瀬先輩はポンコツで頼りにならないかもですけど、後輩に恋愛相談するのも、なかなかですよね。ウグイ先生と何かありましたか?」
「……どうして」
あたしが電話をかけた理由が、聞かなくても分るのは、どうして?
「今日のことを考えれば、大体の想像はつきます。わたしでよければ、聞きますよ」
小学生の頃に英一くんと出会ったこと、高校で再会したこと、今夜で全てが終わってしまったことを話した。
話を聞き終えた真白さんの反応は、淡白なものだった。ただ一言、「失恋ですね」と言っただけだった。
「そうよ。何もせずに諦めるべきなんだって、思い知らされた。英一くんは、結局、あたしのことなんて見てくれないのよ」
「早霧先輩。同じ人を十年も想い続けるのは、誰にでもできることじゃありません。そんなに一途でいられる人が、自分を卑下しないでください。あたしなんて、じゃないです。胸を張って、誇ってください。ずっと同じ気持ちを持ち続けられるのは、すごいことなんですから」
真白さんの言葉は、温かく胸に沁み込んだ。
それから一転して、真白さんは険しい口調になった。
「それにしても、ウグイ先生には一言、言いたいですね」
「な、何を言うつもり?」
「『星の王子さま』のことです。確かに、あの作品は色々な解釈ができます。でも、それを利用して他人を傷つけるようなことを言ったのは、よくないです。それに、わたしも最近、知ったことですが、『星の王子さま』には続編として作られた映画があります」
「その映画、見たことあるの?」
「はい。ウグイ先生は意地の悪いことを言ったみたいですけど、ちゃんと希望の持てる話が続きます。早霧先輩は、気に入ると思いますよ。せっかくなので、今度、文芸部で鑑賞会をしませんか?」
「文芸部って、何の部だったっけ……」
あたしと真白さんは、しばらく他愛のない話をした。気持ちが楽になったので、お礼を言って電話を切ろうと思っていたら、彼女は元の話題に立ち戻った。
「実際のところ、ウグイ先生も、早霧先輩のことを憎からず思っているんじゃないでしょうか。そもそも、先輩がずっと慕ってきた英一くんは、平然と先輩を傷つけたりできる人ですか?」
あたしには、もう、彼のことは分からない。
「先生にとっても、今日のことは、苦渋の選択だったんじゃないかと思います。一年以上、先輩が会いに来るのを許していたんですから。本当なら、今になって強く拒絶する必要はないはずです。第一、先輩が子どもの頃に好きだった本を、今でも覚えているんですよ」
「記憶力が良いだけじゃない?」
「かも知れません。ところで、話を聞いた限り、先輩は、自分の気持ちをちゃんと言葉にして伝えていませんよね?」
「迷惑になるだけよ」
「それは先輩が、自分で自分を説きふせて、勝手に決めつけた結果として、そう思うようになっただけです。ウグイ先生の方は教師に相応しい振る舞いをしようとしているだけなのに、先輩が拒絶されたと思い込んでいるんじゃないですか? そんなのは、高慢には程遠い単なる職業倫理と、偏見というほどでもない勘違いですよ」
何も言うことができないまま、真白さんの言葉を聞き続けた。
「人と人が分かり合うには、言葉が必要なんです。思い出してください。ダーシーもウェントワースも、意を決して自分の気持ちを伝えました。エリザベスもアンも、相手のことを理解しようと努力しました」
「でも、彼らは元々、惹かれ合っていて……」
「『たんぽぽ娘』のジュリーはそうじゃありません。都合のいい道具はあったかも知れませんが、思い切って行動を起こしたのは、彼女自身です。そして、マークはちゃんと、彼女の真実に気付きました。
早霧先輩は、結果を知らなければ、希望を残しておけると思っていませんか? 自分の想いを伝えることさえしなければ、いつまでも希望があると思っていませんか?」
真白さんの言う通り。あたしは、叶わない恋だとしても、せめてもの希望を残しておきたい。しかし、こういうときの彼女には容赦がない。
「それは、ただ逃げているだけです。本物の希望に背を向けて、偽物に縋り付いているんです。とにかく、本当に先生のことが好きなら、愛しているのなら、その想いをきちんと言葉にして伝えてください。まだ、何も終わっていませんから」
通話を終えて、考え込んだ。例え、想いが叶う望みがなくても、気持ちを伝えないままでは、あたしはこの先、前に進むことができないだろう。十年越しの恋心だ。どんな結末が待っているとしても、悔いは残したくない。
面と向かって伝えようとしても聞いてもらえないかも知れないので、手紙を書くことにした。
真白さんからの受け売りになってしまうけれど、結果を知らなければ希望が残るのではない。人の心に希望があるのは、その人に希望を持つ気持ちがあるからだ。その気持ちを忘れなければ、いつだって希望を持っていられる。
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