立浪万治郎の場合 その2

 前々から、真白さんは一見すると大人しそうに見えるだけで、何か裏があるんじゃないかと思っていた。この悪ふざけのような行動は、それが表出したのだろうか。

「こうして今、インタビューなんてやっているのは、漫画を描く上で参考にしたい、というのもあると思うんだけど、それは合っている?」

「うん」

「時々、何かを描いているのは見かけたけど、今はどんなものを描いているの?」

 答えたくない質問だ。が、インタビューを受けてもらっている手前、自分は聞かれたことに答えないという訳にもいかない。

「簡単に言えば、宇宙を旅する主人公が、行く先々で事件に巻き込まれて、その解決のために戦うことになる、というようなストーリーだ」

「何だか、『ガイド』にものすごく影響されてそう」

 もちろん、分かっている。だからこそ、言いたくなかった。模倣したのではなく、着想を得ただけだが、自分の考えることの安直さに、我ながら呆れたものだ。

「まあ、旅が作品のテーマの一つになっているのかな。というところで、ロマン君はよく旅行に行くの?」

「いや、全然。修学旅行とか、そういう学校行事くらいかな」

 あまり家族旅行に行く家庭ではないし、中高生くらいの年齢で一人旅をしてまわるのは、費用や何かからして、難しいだろう。

「そういう意味では、ろくに経験のないことをテーマにして話を作ろうとしている。それは認めるけど、そこは想像力で補うものだと思っている」

「わたしは、ロマン君は、漫画だけに集中し過ぎて、視野が狭くなっているんじゃないかと思う」

「そんなことはない、はずだ」

 本当のところは分からない。何年も漫画中心で生活して、あまり他のことに見向きしてこなかったので、視野狭窄だと言われても、強く否定できない。

「ふーん。まあ、何でもいいけど。せっかくだし、完成したら読ませてね」

「分かった」

 釈然としない感じが残ったが、真白さんからの逆インタビューは終了した。

 次は本郷先輩に質問する。

「ある日、突然、自分が世界の命運を担うことになってしまったら、どんな風に感じると思いますか?」

 この質問は、三作目の『宇宙クリケット大戦争』に由来する。アーサーたちは、かつて、宇宙から自分たち以外の存在を消し去るべく、大戦争を起こした末に封印された惑星クリキットが解放されるのを防ぐために、奔走させられる。特に終盤は、全宇宙の運命がアーサーの手に委ねられる事態になる。

「大変なことになったと感じると思う」

 本郷先輩の回答は実にシンプルなもので、あまりの簡潔さに拍子抜けしてしまったが、さすがに続きがあった。

「だが、同時に、自分の存在意義を感じて、自分が生きているという実感を得られるんじゃないかと思う。それには、状況がどうであれ、否定しようのない価値があるはずだ」

「世界の命運がどうとかは極端な例えですけど、本郷先輩は、どういうことに対して、そういう価値を感じるんですか?」

 オレにとっては、漫画を描くことが、生きる価値だ。決して低俗な生き甲斐だとは思わないが、本郷先輩は、もっと立派なことに価値を見出しているんじゃないだろうか。

「……俺には、何もない」

 歯切れの悪い口調で、絞り出すような答えだった。

 意外だった。本郷先輩は、自身の存在の意義を見出せないというのか。簡単に言ってしまえば、目標ややりたいこと程度のことなのに、それが何もない?

「それじゃあ、本郷先輩は、いつか意味のある瞬間が訪れるといいと思いながら、ただ待ち続けることに人生を費やすんですか? そんな生き方で、本当に生きているって言えるんですか?」

 言った瞬間、しまった、と思った。また、相手に配慮しない発言をしてしまった。本郷先輩は怒ることなく、苦しそうに表情を歪めている。

「すみません。言葉が過ぎました」

「気にするな。お前が悪い訳じゃない。俺の問題だ」

 本郷先輩が何を抱えているのか、オレは知らない。分かったことは、熱い心を持っていそうに見えて、本当は虚しい生き方をしているということだけだ。

 質問を重ねづらくなったので次に移った。

「次は、早霧先輩、お願いします」

「ええ」

 早霧先輩は、何となく固い声で答えた。

「神様がいて、どんなことでも教えてくれるとしたら、何を知りたいですか?」

 これは四作目の『さようなら、いままで魚をありがとう』を読んでいて思い付いた。作中では、神のメッセージの内容そのものは特に重視されていないが、神がメッセージを残しているということに違いはない。

「あたしは、何も知りたくないわ。知らずにいれば、そのせいで失望することもないでしょう」

 きっぱりと言い切られたが、これまた意外な答えだった。早霧先輩は、物事をはっきりさせておきたいタイプかと思っていた。

「どういうことですか?」

「答えを得ず、結果を知らなければ、現状に留まっていることができるわ。あたしには、そうしておく方がいいことが多いというだけ。何かおかしい?」

「いいえ。オレも、結果は知らずにいたいと思っています。自分が漫画家として成功できるかどうか。上手くいくとしても、失敗するとしても、予め結果を知っていたら、挑戦のし甲斐がないですから」

 もっとも、オレは現状に停滞したいとは思わない。

「成功できるって分かっていれば、安心して挑戦できるとは思わないの?」

 早霧先輩は、不思議そうに尋ねてきた。まあ、オレは大概、楽天家だと思われているのだろう。

「結果の分かっている挑戦なんて、面白くありません。オレは、自分の描く漫画で真剣勝負をしているつもりなんです。例え負けるとしても――当然、そんなつもりはありませんが――卑怯な真似はできません」

「……謝るわ。立浪のこと、ちょっと誤解していたと思う。そんなに真剣に漫画を描いているとは思ってなかった」

「気にしないでください。先に失礼なことをしたのはオレなので」

 オレは、最後の一人に向き直った。これが戦いだとしたら、一番の難敵だ。

「最後に、水瀬先輩に質問します。もしも、自分の存在が全く無意味なものだったと証明されてしまったら、どうしますか?」

 これは、一作目と二作目で描かれる、地球の誕生や人類の起源にまつわる秘密に関わる質問だ。図らずも、先ほどの本郷先輩とのやり取りに基づいて考えた問いのようになってしまったが、そうではない。

「どうもしないわ。私がいることに意味があるとかないとか、そんなことを他人に決めてもらう必要はない。自分の価値は、自分で決めるわ。それでも、他に何か必要なら、友人の一人もいれば、それで十分よ」

 それは、オレの質問に答えているが、本郷先輩に聞かせているようでもあった。自分の価値、存在意義。本郷先輩の問題は、その辺りにあるのだろう。

「正直言って、予想していなかった答えです。どうしてそういう風に思うんですか?」

 水瀬先輩は、もっとふわふわした人かと思っていたが、だいぶ硬派な答えだった。オレには、人を見る目がないんじゃないだろうか。全員から、想像とは違う答えを返されている現状を見るに、それは認めるしかない。

「前に、モリエールの『人間ぎらい』で読書会をしたでしょう。そのときに瑠璃ちゃんが言っていたわ。人間社会から逃れようとするアルセストにとって、それでも社会に残る価値があったとしたら、それはフィラントという友人の存在なのよ。そして、考えてみれば、私にとっても同じことだったわ。自分で自分を認められなかったとしても、友人でいてくれる人がいれば、生きていくのに不足はないわ」

「友人はそんなに重要ですか」

「まあ、いなくても生きられると思うわ。いた方が生きやすいというだけよ。自分の存在価値が、という話でいくなら、別の見方をしやすいのが利点ね。自分を客観的に見るよりも、他の人に確認してもらう方が簡単だもの」

 自分と言わず他人と言わず、オレは人や物事の表面しか見られていないのではないだろうか。水瀬先輩の話を聞いていると、どうにもそのように思えてくる。そう言えば、真白さんから、オレは視野が狭いんじゃないか、と言われたばかりだ。

「瑠璃ちゃんは『星の王子さま』のときにも、物事の見方の話をしていたでしょう。さっきも立浪君の視野が狭いって言っていたし、何か有益なことが言えるんじゃない?」

 水瀬先輩が真白さんに言った。真白さんは、ジトっとした陰険な目つきで水瀬先輩を眺めてから(水瀬先輩の方は、面白がるような表情だった)、喋り始めた。

「有益かどうかは分からないけど、ロマン君は、自分の見たいものを、自分の見方でしか見ていないんじゃないかな。経験不足を想像力で補うと言っても、相応の見識がないと、できないことだと思う。取材は大事だと思うけど、インタビューして聞き出そうと思う時点で、他の人の見方や考え方は想像できていない、とも言えるんじゃない? 視野が狭いって言ったのは、そういうこと。まあ、わたしも人のことは言えないんだけどね」

 オレが色々と話を聞くうちに、ようやく思い至ったことを、真白さんは始めから見抜いていたということだ。オレは肩を落とした。

「ものすごい敗北感が……」


 後日、『ガイド』シリーズを全て読み終えたオレは、ウグイ先生に話を聞きに行った。とうとう分からず仕舞いのことがあった。

「結局、先生はこの作品で、オレに何を教えてくれるつもりだったんですか?」

 元はと言えば、ストーリー作りに悩むオレに、役に立つと言って紹介してくれた作品だ。自分でその答えに辿り着くべきなのだと思うが、どうしても分からない。

「特に何もありませんよ」

「ええ?」

 開いた口が塞がらない、という状態を実際に経験するのは初めてだ。

「でも、面白かったでしょう?」

「それは、もちろん」

「編集者さんから、色々な経験が足りないと言われたことを気にしていたでしょう? 君は、これから先の人生を送る中で、否応なしに多くのことを経験するはずです。それに加えて、面白い本をたくさん読んでおけば、その経験もまた、君自身の人生経験として蓄積されます」

「それは、単なる読書経験なのでは……」

「読書は大事ですよ。国語教師として、その点は譲れませんね」

 ウグイ先生は、少し改まった口調で話を続けた。

「分かりやすい答えが存在しない問題というものは、どこにでもあります。『ガイド』では、答えだけが存在して、それに対応する問いが分かりませんが、それも本質的には同じことです。何かに迷ったときは、いい本を読んで、それを楽しめばいいんです」

 それから、ウグイ先生はダグラス・アダムスの別作品、『ダーク・ジェントリー』シリーズを薦めてきた。読まずにはいられないな。

 読書をした経験が何かの役に立つときが来るのか、今はまだ分からない。ともすれば、人生最後の瞬間まで、何の役にも立たない可能性もある。しかし、そうなったとしても、面白い本を読んだという経験だけは、間違いなくオレの中に残るのだ。

 それがいつか、オレをどこかへ導くガイドになるのかも知れない。

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