ダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」――立浪万治郎の場合

立浪万治郎の場合 その1

 十二歳にして漫画新人賞の佳作に選ばれるのは、結構すごいことだと思う。何せ、当時のオレは小学生だったのだ。史上最年少の受賞だ。まあ、『その賞の』という但し書きは付くし、その賞は若手の発掘を目的としていて、応募できるのは十八歳以下だったし、オレが受賞したのは第二回だけど、細かいことは言わないでほしい。

 以来、編集者が付いてアドバイスをしてくれているが、三年以上経っても、未だに、連載どころか、読み切りでデビューすることさえできていない。

 編集者の新井さんは、オレが新作の構想を提出すると、毎回のように同じ指摘を繰り返す。

「立浪君。君は、絵が上手い。編集部としてはそこを見込んでいるし、君の画力は向上し続けている。しかし、ストーリーの質が低い。こちらは、残念ながら、あまり成長していない」

 小学生だった頃から、新井さんはオレを子ども扱いせず、厳しい指摘も平然としてくる。昔は悔しくて涙目になったこともあったが、それは構わない。

 考えてみれば、非常にありがたいことだ。世の中には掃いて捨てるほどの漫画家志望者がいるだろうに、三年以上も、一向に芽の出ないオレを切らずにいてくれるのだ。

 とはいえ、新井さんは、どうすればストーリーがよくなるか、という点に関して、分かりやすい解決策を示してくれはしない。

「頭を使ってよく考える必要があるのはもちろんだけど、そのための材料をたくさん持っていることが前提だ。だから、君はまず、色々なことを経験するべきだ」

と、結局は一般論でしかない言葉が返ってくる。

 確かに、オレは人生経験が豊富という訳ではないが、十代にして名のある文学賞を受賞する人もいる。その人たち全員が、他の人と比べて抜きん出た経験を積んでいるのかと言えば、必ずしもそうではないと思う。きっと、想像で書いている部分だって、少なからずあるはずだ。

 オレとそういう人たちとの違いは、どこにあるのだろう。オレがするべき経験とは、一体何なのだろう。


 高校生になり、オレは文芸部に入部した。漫画を描く方向性の部や同好会がなかったため、取り敢えずで選んだが、意外と面白い。一年ほど前から、足りない人生経験を補おうとして、人間観察と称して他人の言動を観察するのが習慣になっていたが、同じ本を読んで各々の意見を語るという活動内容は、それにうってつけだった。もっとも、度が過ぎてしまい、先日、しっかり怒られることになった。さすがに反省したし、オレは別に、人の輪を乱したい訳ではない。

 自分と同年代の人たちに人生や経験について尋ねるのは妙な感じだったので、ウグイ先生に相談した。ストーリー作りなら絵は関係ないし、国語教師は文章を作ることに長じているのではないかと考えた。

「なるほど。その理屈なら、僕は作家になって、多額の印税で優雅に暮らしていることでしょう」

 オレの話を聞いたウグイ先生の第一声だ。国語が教えられるからといって、物語を作ることに秀でている訳ではないらしい。

「とはいえ、君の役に立つかも知れない本を紹介するくらいなら、僕にもできないことではありません」

 その日の放課後、文芸部の部室に行くと、ウグイ先生は一冊の本を差し出した。ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』。

「シリーズ作品ですが、一作ごとに話は完結していますし、続きも全て部室の本棚にあります。気に入ったら、是非とも読んでみてください」

 本棚を見ると、同じ作者の作品が並んでいた。全部で五冊のシリーズらしい。

「ちなみに、別の作者の手によるシリーズ完結編もあります」

 そちらは、上下巻だった。つまり、合計で七冊のシリーズということだ。

 普段のオレなら、よく見ることもなく避けてしまうタイプの本だ。一冊だけならまだしも、そこまで大量の文章を読み切る自信がない。だが、せっかく紹介してもらったのだから、少なくとも最初の巻は読むべきだ。

 運良くと言うべきか、定期試験が近いため、文芸部は完全に自由参加になっている。日にもよるが、部室には誰も来ないことが多いようだ。みんな、勉強熱心なのだろうか。読書会は休止していて、他に読まなければならない本はない。時間は確保できる。

 ウグイ先生は、この作品で、オレに何を示してくれるのだろうか。


 二週間の試験期間の間、オレは勉強そっちのけで読み続けた。読み始めてしまえば、分量など関係なかった。面白ければ、そんなものは苦にならない。試験の成績は悪かったが、赤点だけは回避した。漫画を描き続けるに当たって、両親と約束した最低限の条件だ。赤点は取らない。高校は卒業する。

 両親はオレが漫画家を目指すことに反対する訳ではないが、積極的に賛成することもない。できることなら、普通に就職してほしいと思っていることは、想像に難くない。真っ当に育ててもらっている恩には報いなければならない。夢を追っていても、人は自由にはなれない。

 相当な時間を費やしたが、まだ五作目の途中だ。『銀河ヒッチハイク・ガイド』、『宇宙の果てのレストラン』、『宇宙クリケット大戦争』、『さようなら、いままで魚をありがとう』を読了して、今は『ほとんど無害』を読んでいる。

 読み終えた部分の筋書きは、地球人のアーサー・デントが、実は宇宙人だった友人のフォード・プリーフェクトに連れられて、破壊される寸前の地球から脱出し、宇宙を旅するうちに、地球の誕生や人類の起源にまつわる秘密に迫ったり、全宇宙の命運を左右する戦いに巻き込まれたり、神が被造物に対して残した最後のメッセージを見に行ったりする、というものだ。その後も物語は続くが、オレはまだ読んでいない。

 単純な感想だが、面白いと思った。すっかり引き込まれてしまった。

 オレは今まで、漫画ばかり読んできて、小説は避けてきたのだが、それはもったいないことだったのかも知れない。この作品と同じように楽しめる作品を、たくさん見逃しているに違いない。そう思うと、かなり悔しい。このシリーズを読み終えたら、取り敢えず、部室にある他の本も読むことにしよう。

 この『ガイド』シリーズは、基本的にはコメディだが、時折、深遠な問いが発されていて、何かと考えさせられる。こういうものこそ、他の人の考え方を聞いてみたいものだが、読書会で取り上げている訳ではない。シリーズ全体を通すと長大な作品だから、読書会で感想を話し合うとしたら、しばらく先になるが、オレはすぐにでも他の人の話を聞きたい。

 試験後、最初の活動日。当然ながら、次の読書会では何を読むのか、話し合うことになった。そこで、オレは読みかけの『ほとんど無害』を見せて、切り出した。

「実は今、ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』のシリーズを読んでいるんですけど、読んでいるうちに、他の人なら、どう考えるんだろう、という部分が色々と出てきて。できたら、みなさんにインタビューしたいです」

「私は構わないわ」

と、水瀬先輩が言うと、残りの三人も口々に同意してくれた。早霧先輩には、少し警戒するような顔をされてしまった。まだ、完全に許してもらえてはいないのだ。

「インタビュアー・タツナミが行く、ほとんど無害な突撃取材」

 真白さんが小声で呟き、フフッと笑った。

「何だよ、マッシー。笑うなって」

「インタビュアー・ロマンの方がよかった?」

 以前、冗談のつもりで真白さんをマッシーと呼んだら、ロマン君と返された。それ以来、お互いの呼び方として、時々使っている。

「仲良しね」

 水瀬先輩が、やや冷えた声で言った。急にご機嫌斜めになったようだが、なぜなんだ。

「普通ですよ」

 対する真白さんの返答も、地味に傷付く。それはまあ、特別親しいつもりはないが、突き放されているような感じだ。

 ともあれ、インタビューはできることになった。読書会で自分の意見を述べることに慣れているからか、このまま全員そろっている状態で行うことになった。

「それじゃあ、真白さんから」

 マッシー呼びは控えた。水瀬先輩の目が怖い。

「急に地球がなくなって、宇宙を放浪することになったら、どうする?」

「生命と宇宙とその他の色々についての答えを探す、かな」

 それは『ガイド』のストーリーそのままだ。

「ごめん、ロマン君。わたし、全部読んだことがあって」

「ネタバレはしないでくれよ。オレは『ほとんど無害』の途中なんだ」

「うん」

 真白さんは少し居住まいを正した。

「放浪ではないけど、わたしにとっては、読書が旅のようなものだから。宇宙に放り出されたとしたら、とにかく本のある場所を目指すと思う」

 つまり、趣味に生きるということだろうか。深いのか浅いのか、よく分からない答えだ。彼女は読書を旅に例えたが、それで言うなら、オレにとっては、漫画を描くことが旅だということになるだろう。

「むしろ、放浪しているのはオレの方か」

 思わず呟いていた。漫画家デビューという一つの目標に、いつまで経っても辿り着くことができず、その道筋も見えないままだ。彷徨っていると言うほかない。

「それでは、そんな放浪者ロマン君に、わたしから逆インタビューです」

 真白さんの唐突な宣言に、オレは「へ?」と間の抜けた返事をした。

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