ゴースト・ストラグル
@miLy_ca
ゴースト・ストラグル
少し前の事を鮮明に覚えている。だからこそ今、目の前に倒れる矛盾に私は驚きすら失って、ただただ呆然としているばかりだった。私は確かに死んでいるはずだった。事実、私の目の前には私自身の死体が無惨に転がっている。数分前まで柵にもたれていた、数秒前まで宙を舞っていた、自らの足で自らの命を蔑ろにした私が、だらしない格好でぐちゃぐちゃになって死んでいた。その筈なのに、その現象を客観的に観測している自分への疑問が、溢れるように湧いて出た。しかし、いつまでたっても解決出来ないその疑問を程よく諦めた私はひとまず、自分の死体に触れてみようと試みた。自らの死体へと伸ばしたその細い手は、物理法則を無視する様に空を掻き、私の元へ帰ってきた。ここでやっと大元の疑問に対する解決の糸口が見えた気がした。そう、私は幽霊になったのだ。理由も意味もまるで分からないが、どうにかこの状況を飲み込むためにも、私は心の中でそう確信付けた。私はこの先の行動をどうするか少し悩んだ後、家に帰ってみる事にした。
家に向かっている間にいくつか新たな発見をした。一つ目は宙に浮かべた事。数メートル程であれば自由に浮かび上がる事が出来た。二つ目は、二、三秒程であれば、意識的に物体に触れられる事だった。壁や床は思い通りに抜ける事ができたが、やはり霊が何かに触れるとなると、それ相応の気力と集中力が必要となり、あまり頻繁に出来ない事までは分かった。
家の扉の前まで来た私は、しばらくその扉を通る事ができなかった。できなかったと言うよりかは、躊躇っていたと言う方が適切かもしれない。死んでもなお、これ程の恐怖心を残させるのは、一種の呪いと言っても過言ではないだろう。私は大きな深呼吸を済ませ、重い扉を静かに貫通した。その瞬間、小学生向けに作られた角張った玩具が私の眉間めがけて勢いよく飛んできた。反射的に目を瞑ったが私に当たるはずもなく、玩具は私の足元に転がった。パッと前を向き直すとそこには、床にうずくまる10歳の少年とその少年を怒りに満ちた顔で見下す男が居た。弟と義父だ。私と弟は毎日の様に虐待を受けていた。主に母の再婚相手の義父からで、母はそれを静かに眺めているだけだった。昔は優しかった母も、未亡人になってからは死んだような目をしていた。義父を再婚相手として連れて来たのはそんな時だった。最初は優しい笑顔で接していたが、同棲が始まった途端別人格の様に変わってしまった。何かあれば暴力を振るい、毎日酒をあおってばかり居た。そんな義父に母も騙された様な顔をしており、一度別れを切り出した事もあるが、離婚届けを差し出された義父は血相を変えて、私と弟をこれでもかと言うくらい殴り続けた。母が泣き叫びながら止めようとする手を振り払い、何度も何度も何度も何度も殴った。弟を庇った私は、顔も腹も容赦なく殴られ続けた。酒と煙草の匂いが鼻につく薄暗い部屋に、母の泣き叫ぶ声と弟の怯えながら啜り泣く声、そして痛みにもがく少女の声が、部屋中に響いていた光景を、嫌に鮮明に覚えている。私が自殺を決めたのもその時だった。そして今、目の前で弟がいつもの様に殴れられそうになっている、と思ったが何か様子がおかしい。義父の手には包丁が握られ弟は気を失っていた。しかも、義父は握った包丁を振り落とそうとしている様に見えた。最悪の事態を一瞬で想定した私は、義父に向かって思い切りぶつかった。しかしその力は弱く、義父が二歩程後ろへよろけただけだった。これだけじゃだめだ。私は自分の右手に集中力を全て掻き集め、突然何かに押された様な感覚に呆気にとられていた義父から包丁を奪い取り、喉を狙って力いっぱい突き刺した。包丁は見事に義父の喉を貫通し、義父は血反吐を吐きながらその場に倒れ込み、床一面を血で真っ赤に染め上げた。義父そのまま、自分に何が起こったかも理解する間もなく死んでしまった。人を殺した、殺してしまった。でもこうするしかなかった。弟だけはどうしても守ってやりたかった。守れなかった母の代わりに。気を失ったままの弟の顔を撫でようとしても、触ることができなかった。相当疲れてしまったのだろう。私が弟を優しく見つめている時、義父の死体から声が聞こえてきた。
「これは……一体……。」
私が咄嗟に振り返ると義父が私の様な、いわゆる幽霊となった状態で、目を見開いていた。
「俺が……死んで……でも…じゃあ今喋っている俺はなんなんだ……。」
私はゆっくりと立ち上がり、義父の方へ体を向けた。
「お前……!いつからそんなとこに居たんだ……。」
「あんたは死んだんだよ。私が殺したんだ。残念だったね。」
「お前が俺を?殺しただって?」
「そうだよ。ほら、そこに死体が転がってるでしょ?だらしなくさ。」
「俺は死んだ……?ふざけるなふざけるな!なんで俺が死ななきゃいけないんだ!」
少しは状況を理解したのか、義父の表情が徐々に怒りを露わにして行った。やがてじっとしていては抑えきれない怒りに呑まれながら、いつものように私の首を掴もうとした手が私に触れる事はなかった。
「触れないに決まってるじゃん。あんた死んでんだから。」
「くそ!くそ!くそが!!」
義父はしばらくそう叫んだまま床に項垂れていた。
「良い気味ね。嫌っていた人間に殺されるなんて。」
義父は何も言い返してこなかった。
「どんな気持ちなのよ。ねぇ、人を殴るってどんな気持ち?人を騙すのってどんな気持ち?人に殺されるのってどんな気持ち?いつまで泣いてんのよみっともない。ほら、はやく教えてよ。ねぇ、ねぇ!」
これだけ言っても義父からの返答は何一つ帰って来なかった。
「はぁ……。やっぱりクズの考えは最後まで分からないわ。」
そう吐き捨てて家を出ようとした時、
「待ってくれ。」
「何?まだ私を不幸にしたいの?」
「お前どこに行くつもりなんだ?」
「そんなの何処だって良いじゃない。あんたには関係無いわ。」
「どうせ行く場所なんて無いんじゃないか?」
「だったら何?」
「少しだけ、俺の話を聞いてくれないか?お願いだ。」
義父から何かを願われるなんて思っても見なかった。
何秒か迷って私は話を聞く事にした。確かに、どうせ私にはこの後行く場所なんて無かったし、それに正直この男は世界で一番嫌いだが、嫌い故にどんな話をするのか、死んだ後にどんな話をするのかが気になったからだ。義父から少し離れた所に座った私に対し、義父はありがとう、と静かに呟いた。一呼吸分の間を置いて義父が話し始めたのは過去の事だった。
「俺は幼い頃は幸せだった。両親も仲が良くて誰から見てもほんと幸せな家族だったんだ。みんな幸せに暮らしてこの生活に満足しているものだと思っていた。でもそう思っていたのは俺だけだった。父親が不倫をしたんだ。同じ会社の若い女だった。母はそれに激怒し、言い争いの果てに母は父を刺し殺したんだ。俺の目の前でだ。その時、死んだ父の死体の前で母は泣いたんだ。泣きながら父の死体を抱いてずっと愛を叫んでいた。その光景を目の前で見ていた俺は不思議で仕方なかった。自分が殺した相手を抱いて、その亡骸に向かって何故あんなに愛を叫び続けるんだろうってな。この時の俺はまだ、その意味を理解できなかった。そして母が逮捕され両親を失った俺は、孤児院に入れられた。誰も人殺しの子供なんか引き取りたくなかったんだとよ。でもその孤児院では案外充実した日々を過ごせたんだ。昔に比べて不自由な事は多かったがみんな優しかったし、親が居なくなったもの同士だから気を遣う必要も無い。俺は環境に恵まれていたんだ。運が良かった。俺も周りに優しくするよう心がけたし、周りはそれに応えてくれてそれが当たり前だと思っていた。そんなだから、俺が成長して孤児院を出た後は地獄そのものだったさ。孤児、人殺しの子供、そんな理由で誰も寄り付かなかった。それどころか毎日の様に酷い仕打ちを何度も受けた。殴られたり奪われたり、一通りのことはやられたよ。身も心も限界だった。それでも俺は優しさを捨てることは絶対にしなかった。これだけは捨てちゃいけないと思ったんだ。そして俺が十八の時にその女と出会った。こんな惨めな俺に話しかけ手を差し伸べてくれた。俺はものすごく嬉しくて疑う余地もなくその手を握った。今思えば、これが最大の間違えだったのかもな。彼女とは直ぐに恋仲になった。毎日が一気に色付いてほんとに幸せな日々ばかりが流れた。しかも彼女と出会ってから、嫌がらせは無くなった。やっと俺の不幸な人生は終わったんだってそう思った。そんな毎日が一年続いて俺はすっかりその幸せに慣れきっていた。壊れるなんて思っても見なかった。ある日突然、彼女に言いたい事があると言われ人気の少ない場所に呼び出された。結婚の事かもしれないなんて呑気な事を考えながら、俺は直ぐにその場所へ向かった。呼ばれた場所に着いても彼女は居なかった。その代わりに居たのはいつも俺を好き勝手にしていた奴らだった。その時はまだ何も状況を理解できていなかった。俺は直ぐに彼女の居場所を問い詰めた。奴らはくすくすと笑ってこう言った。「お前は騙されたんだよ」ってな。そして奴らの後ろから俯いたままの彼女が出てきた。その時俺は全てを理解したさ。それからの事はあまり覚えていなくて、気が付くと周りには何人も倒れていて、腕の中にはナイフが刺さった彼女を抱えていた。俺が状況を理解しきる前に彼女は「ごめんなさい、愛してあげられなくて。」そう言って息絶えた。俺は泣き叫びながら冷たい彼女を抱きしめている内に、あの日の母の気持ちが解った気がした。きっと母は、その失った愛をあの瞬間に最大限愛していたんだろうな。それから俺は何も信じなかった。誰とも関わらなくなった。毎日毎日酒ばかり飲んで気を紛らわそうとした。でもいつまで経ってもそれを忘れる事などできるはずが無かった。そんな時にお前の母親に会ったんだよ。俺と同じ愛する誰かを失った目をしていたから。そんな時でも俺は心の中でずっと思っていた。本当の愛は失う事なんだと。」
話が終わったのか、しばらくの間沈黙が続いた。
「それで?その話が私にどんな関係があるのよ。今更そんな話に同情して今までの事を許すなんて無理よ。」
「許して欲しいなんて思っていない。俺はお前たち家族をぐちゃぐちゃにした。絶対に許されることなど無い。地獄で償えるだけ償うさ。ただ俺は、お前たちを大切に思っていた。失う事が怖かったんだ。今まで失ってばかりだったのに、失う事が愛だなんて思っても最後までその恐怖に耐える事ができなかった。本当にすまない。俺はお前たちを愛していた。今思えば、俺はずっと心のどこがて死を望んでいたのかもな。今だって自分の死体を見つめても涙も後悔も出てこない。これが本望……いや、こうなるべきだったんだなきっと。俺が言いたいのはこれだけだ。この後の事なんてどうだっていい。」
「愛してたって今更……そんな無責任な事言わないで!!」
突然、話を終えた義父の体が見るからに薄くなり始めた。そうしてあっという間に消えてしまった。自分だけ好き勝手言って、逝ってしまった。どうしてあいつは消えても私は残っているんだろう。分からない。でも、もうここに居ても仕方がない。そう思った私は音を立てずに家の外へ飛び出した。
行くあてを失った私は、目的も無く住宅街をふらふらと彷徨っていた。昔よく遊んだ公園や見慣れた並木道を眺めて感傷に耽っていた。その時、一人の女を見つけた。同じ学校のクラスメイトで、私を虐めていたグループのリーダー的存在の女だ。見たところ学校終わりだろう。何やら憂鬱そうな顔をして歩いてる。私を虐めている時とは正反対の表情だった。何処にも行く所が無い私はその女に付いていってみる事にした。
女は常時憂鬱を浮かべた顔で何処に行くのかと思ったら、そのまま家に入っていった。数秒遅れて私も家に入ると、女は階段を登っていった。女は自分の部屋らしき場所に入り、鞄を置いてベットに座り込んだ。さっきまでの顔は何だったのだろうと思っていると、いきなりその女を呼ぶ声が下の方から聞こえた。女は怯えた様子を一瞬見せ、早足でリビングに向かっていった。リビングには女の父親らしき男が、ソファに深く座ってテレビを見ていた。
「お前、塾はどうした。」
「ちょ、ちょっと気分が悪くて。」
「気分が悪い……具体的に言ってみろ。」
「生理なの。」
「そうか……生理か……なるほど。」
納得したように頷いた男に女は安堵のような表情を浮かべた気がした。しかし、男はおもむろに立ち上がり女の前まで来ると、勢いよく女の腹を殴った。鈍い音を出し呻き声と同時に倒れ込む女に、男はこう言った。
「お前は誰のおかげで今日まで生きてこれたんだ?」
「おとう……さんの…おかげ…です。」
苦しそうに声を捻り出す。
「そうだよなぁ?俺のおかげでお前はここまで育ったんだ。学校も塾もお前の為に俺が行かせてやってるんだ。それなのに俺に無断で勝手に塾を休むのは、俺の金をドブに捨ててるようなもんだ。違うか?」
「いいえ。」
「なんで分かってるのに休むんだ。ん?」
「数ヶ月ぶりだから……生理が酷くて……それで…。」
「つまりそれが無かったらお前は塾に行ってた訳だ。わざと休んだんじゃないんだな?」
優しさを混じらせて問いかける男に、女は必死に頷く。
「それじゃあ要らないな、そんなもの。」
女の顔が怯えとか絶望とか、そういった負の感情を全て合わせた様な表情をした途端、 男はまた、子宮を狙って強い力で腹を殴った。二発、三発、何度も殴った。女が床に倒れ込むと、今度は脚を大きく振り上げて何度も蹴った。
「やめ……て……。また……生理が……来なくなる。」
「俺の金を無駄にするようなものは、もう一生来なくていいさ。良かったな。これでちゃんと塾に通えるぞ。」
絶望の二文字で表現するには、あまりにも軽薄な程の歪んだ顔をした女を、笑いながら殴り続ける男を、私は自分と同じ人間と信じる事ができなかった。しばらくそうして、あの日の記憶に似た光景が続いていた。
「これで良し。もう塾を休むなんて事はするなよ。分かったな?」
男はそう言って、再びソファに深く座りテレビを見始めた。
「ごめん…なさい……。」
必死に涙を堪えながら、純度の高い苦しみと痛みに悶え、女はよろけながら苦しそうな呼吸をし、何とか二階の自室に戻って行った。あまりの予想外過ぎる光景を目の当たりにした私は、しばらくの間思考が追い付かなかった。知らなかった。この女も虐待を受けていたなんて。学校ではあんなに生き生きと私を虐めていたのに、家ではあんなに弱く死んだ目をしていたなんて。女の自室へ向かうと、扉の前から女の啜り泣く声が聞こえた。入ってみれば女が制服を着替えながら涙を流している。下着姿になった女の体には無数の痣と、所々に切り傷が見えた。全て服を脱がないと分からない場所にだ。見ていられなかった。虐められていた私ですら同情を覚えてしまう程だった。私はこの女に対する虐められた憎しみと、自分と同じ境遇に居たことへの哀れみとの葛藤に耐え切れず、女の家を後にした。
女の家から出てみると、何やら街が騒がしかった。パトカーが数台私の前を通り過ぎ、後から救急車も通り過ぎ去った。進行方向を見てみると丁度私の家の方面だった。恐らく義父の死体が弟、あるいは他の誰かに見つかったのだろう。となるとやはり、弟の事が気になって仕方なくなってきた。私は少し急いで家に向かった。
家の中には、知らない大人達が沢山居た。父親の死体があった場所にはブルーシートが覆われており、大量の血はほとんど片されていた。警察らしき人間が手袋をはめ、家の中を物色している。
「包丁で首を刺されて亡くなったそうです。近くに倒れていた少年は気を失って目覚めたら死んでいたと言っていますし、自殺の線が確かかと思われます。しかもこれ、首を貫通する程に深く刺されていたそうです。あの少年にこんな事できるとは思いませんし、嘘をついている素振りもありません。あ、今鑑識からの結果が来ました。包丁の持ち手には父親の指紋しかなかったそうです。つまりこれは自殺の可能性が限りなく強まりました。」
警察達が忙しなく家中を動き回っている。どこにも弟が居ない。そう思い他の部屋を探すと、私と弟が一緒に寝ていた部屋で、一人の優しそうな女性警官の隣に座っていた。弟の体は震えていて、部屋にあったぬいぐるみを力強く抱き抱えている。私が弟の誕生日にあげた物だ。
「大丈夫よ、落ち着いて。心配する事は無いわ。ところで、あれはお父さん?それとも知らない人?」
「お父…さん…。」
「そう、お父さんなのね、何があったか覚えてる?」
「お父さんに殴られて…気を失って…起きたら死んでた…。」
「殴られ…虐待を受けていたの?」
弟は小さく頷いた。
女性警官は悲しそうな目をして弟の背中をさすっていた。
「お姉…ちゃん…早く…帰って来て…。」
弟が掠れた声でそう言った。
「お姉さんが居るの?」
弟が頷く。
「どんな人?」
「優しくて、強くて、いつもご飯を分けてくれて、いつも守ってくれる大好きな人。」
「そうなの?良いお姉さんなのね。」
弟が力強く頷いた。
「お姉ちゃんに…会い…たい…。」
「早く帰ってくるといいわね。」
そんな会話を目の前で聞いていた私は、とてつもない罪悪感に襲われていた。今すぐに弟を抱きしめたかった。ただいまと言ってやりたかった。優しく微笑んで頭を撫でてやりたかった。弟を一人残して私だけ死んでしまうなんて、なんて身勝手な事をしたんだ。莫大な後悔と自責の念が押し寄せてきて、涙すら出なかった。だけど私はもう、何一つ弟にしてやれる事は無い。あの時あいつを殺さなければ、弟が死んでいたかもしれないんだ。そう自分の中で理由付けても、弟に謝りたい気持ちで胸が張り裂けそうだった。
「ごめん、お姉ちゃん…もう会えないや。ごめん…ごめんね…。」
届くはずないのに、もう今更遅いのに、私は何も出来なかった。ずっと私があげたぬいぐるみを抱き抱える弟の頭を優しく撫でて、私は家を出た。
「今頭を撫でられて…そんな事ないよね…。」
去り際に弟はそう言っていた。私が死んだ事で悲しむ人間が居るなんて思っていなかった。きっと弟は私が自殺した事を強く悲しむだろう、そして悲しみが尽きた時にこう思うはずだ。最低な姉だと。自分一人を置いて身勝手に逝ってしまった姉に、激しい憎悪を抱くだろう。だけどそれでいい。それが弟の生きる活力になるのならば、好きなだけ恨めばいい。何よりも大切だった弟に誰より恨まれても、それが弟の為になるなら、それで十分だ。少なくとも私は、そう思うしかなかった。
気が付くと私はまた、私だった物の前に立ちすくんでいた。無意識のままにここまで来てしまったらしい。知らなかった。私を殺した人間があんなに苦しんでいたなんて。不思議だった。現実苦を人一倍味わっていながら、何故他人にこうも惨い事ができるのか。確かに、自分が苦しんだ分誰かを苦しめない様に考えるのは、世間が押し付けた一般論であり、高すぎた理想論に過ぎないのかもしれない。むしろ人間を醜いと揶揄するメディアに従って言うならば、自分が味わった苦しみをそのまま、もしくはそれ以上の形で他者へと与えるのは、人間の本質に携わる現実論としては一番的を射ているのかもしれない。例えそれがどんなに残酷な事でも、誰かを殺してしまう事だとしても、誰であろうとそれを否定する権利みたいなものは、持ち合わせていないのだろう。なんて残酷な世界なんだ。ただでさえ不条理や不平等が馬鹿みたいに溢れているのに、それを否定する事すら許されないなんて、地獄とまるで変わらない。それでも、幸せな人が沢山居て、笑顔に暮らす人間がこんなに多いのは、きっとそれが愛に限り無く近いからなんだ。不条理を突きつけ、不平等を押し込み、悲劇に笑って、幸福に嘆くその姿がどこか愛おしく、捨てきれないと思えてしまうんだろう。そんな悪魔よりも最低な生物を、神は愛してしまったのかもしれない。私が今日死んだ事も、誰かには愛しいと思えるのかもしれない。だとしたら、私もこうなるべきだったのかも。
「私は……。」
誰も居ない場所で、誰にも聞こえない声で静かに呟く。
「死にたくなかった。」
自分を見つめながら微かに漏れたその言葉に、私は涙が止まらなかった。とっくの昔に切れたはずの涙腺が、急速に繋がって離れなかった。馬鹿だ。なんて馬鹿な事をしたんだ。自殺なんてするんじゃなかった。死という恐ろしく不可逆な物に自ら飛び込むなんて、誰から見ても正気じゃなかった。今更そう思っても遅いのは誰にでも分かる。私の体が徐々に透け始めた。私は透けていく体で冷えた自分を抱きしめる。強く強く骨が軋むほどに。泣き叫ぶ声が虚空に響く。薄れていく意識の中で、叫び続けたその声は、誰にも届く事はなく、独りでに消えていくのだった。
巡り巡った命の中で、自らが残した無理難題が、重く重くのしかかり、あなたの声を抱きしめる。嗚咽の止まらぬその問いに、あなたは答えを絞り出す。
死とは何か、生とは何か、出会いとは、別れとは、男と女、終わりと始まり、そんな神秘か惨事か曖昧なものと向き合い続け、果てに一体何を想うのか。思いもよらない邂逅が、あなたという存在に出くわした時、あなたは答えを導き出すだろう。彼女にとってそれは、
希望であり、絶望であり、野望であり、失望であり、つまるところ、全てであると。
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