第7話

 息が苦しい。

 水の中に沈んでいるみたい。

 とても激しい水流に巻き込まれて、流されてしまっているみたい。

 踊りながら、私は必死に手を伸ばす。決して届かない、あの人に。もしこれがおとぎ話なら、愛が伝わってハッピーエンドだろうか。……いや、そんなありきたりなお話、きっとブーイングが飛んでくる。

 私たちには、こんな結末がお似合いよ。……いえ、きっと違う。

 あの人は、舞台にすらきっと上がっていない。彼は私を見る人。初めから私と貴方は、交わらない運命なの。

 ……分かってはいるけど。

 ああ、苦しいよ。

「……はぁ」

 いい加減呼吸が苦しくなって、私は踊りを止める。目の前に、赤と黄はもうほぼ無い。本当に一人ぼっち。……踊った後、とはまた違う苦しさが、私の心を締め付けるようだった。

「お疲れ様」

 いつものように、彼がココアを差し出してくれた。微笑んで、それを受け取る。……返事は出来ない。息が詰まってしまって、上手く声が出せる自信が無かった。

 ココアを飲むと、その息苦しさが不思議とどこかに行ってしまう気がした。……固まった心が解される感覚……と言えばいいだろうか。

 温かくて、また泣きそうになってしまう。

 ……泣き虫になってしまったなぁ、私は。

「もうすぐ、絵が完成しそうだよ」

 その時ふと、彼がそう言った。前触れなど、一つも無かった。だから私は驚いて、弾かれたように顔を上げてしまって。

 彼は私を見なかった。ただ凛々しい、強い瞳で……先を見ている。その横顔に、そう、思った。

 分かってしまう。

 ああ、やっぱりこの人は、私を見てくれている。そして、私を挟んだ、そのもっと先の景色を見ている。この人は、未来を見ている。

 可愛くて、ちょっぴり気が弱くて、困ったような八の字の眉が特徴のお兄さん。

 彼は、とても強い人だ。

「約束通り、完成したら、貴方にお見せします」

 そこで彼が、ようやく私を見てくれる。優しく、微笑んで。その表情が、私の目の前にあって。

 また、泣いてしまいそうだよ。

 でも私も笑い返す。

「……はい、楽しみにしています」

 だってこの人には、笑顔の私を覚えていてほしいから。


 秋が終わろうとしている。

 私を置いて、周りは先へ先へと続いていく。



 恐らく、今日が最後なのだろう。私には、そう分かっていた。

 一緒に踊ってくれる赤と黄は、もう完全になくなってしまった。ここで踊るのは、私一人だけ。葉の無い大樹が、私にはとても悲しく映ってしまった。

 それでも、一人でも私は、精一杯、踊るよ。

 だから……見ていてくださいね。


 ステップを重ねて。

 鼻歌を歌って。

 ゆっくり吸って。

 そうしたら、吐いて。

 右足を軸に、ゆっくり回転。


 足元の赤と黄が、ふわふわの絨毯の様だった。柔く、私の足を、全体重を受け止めてくれる。

 だから私も、安心して踊れる。

 ……この人と初めて会った日、貴方たちのことを、「鬱陶しい」だとか言って、ごめんね。

 そう言ったら、彼らは許してくれるだろうか。今こうして私を受け止めてくれるということは、許されたって考えてもいいのかな。……それとも、「仕方ねーから受け止めてやるよ」、くらいのノリかなぁ。

 赤と黄が、そんな風に私に語り掛ける光景を想像して、私は笑った。


 笑うの。

 ここにいる誰よりも、目立てるように。

 一時も、目を逸らしてもらわないように。

 ここは私の舞台と、証明するの。


 息が切れる。苦しくて、息が詰まって……でもその踊りは、今までで一番、楽しかった気がする。

 私は今、一人で踊っている。

 孤独の中、孤独を感じずに踊っている。

 ああ、私って、とても幸せ者ね。

 笑みが零れる。雫のように、小さくか細く集まって……弾けて。

 きっと人はそれを、「美しい」と言うのね。


 顔を上げると、彼と目が合った。

 笑う私に、彼は笑い返して。


「完成したよ」


 その言葉に合わせるように、私は自然と足を止めて。

 スカートの裾を摘み、ゆっくり腰を落として、頭を下げた。

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