第3話
こんなに明日が楽しみだと思えたのは、いつぶりだろうか。
家を出て、住宅街を歩く。何の変哲もない道を歩いて行けば、開けた道に出る。それが昨日私の居た街路樹の立ち並ぶ道だ。
その道には、たった一つだけ、ベンチがある。昨日私がいたのも、その場所だった。慣れた足でそこに向かう。
不思議なものだ。昨日はあんなに憎たらしかった赤や黄の葉が、今日の私にはとても素敵に見えるの。目の前で踊るのも、今の私を祝福してくれているみたいに。クルクル。落ちて。風で、舞い上がって。
私も踊ってしまいたい気分だった。
だから私は、ステップを踏む。目に見えない、私の頭の中の、適当なリズムに合わせて。自然と葉々も、私の音に乗っているような気がした。錯覚でもいい。今私の感じることが、私の全てだ。
……いつまでそうしていただろうか。ハッと私が気が付いて腕時計を見た時、既に待ち合わせ時間を三十分も過ぎていた。どうせ家の近くだから、と待ち合わせ時間丁度に着くようにのんびりと家を出たのが、裏目に出てしまったようだ。何たる不覚。あんなに楽しみにしていた待ち合わせに、遅れるだなんて。
今からでも走って行って、謝ろう。そう決めて顔を上げた私は、目を見開いた。
何故なら視線の先。彼がいたから。
とくん、と、胸が高鳴る。彼は真剣な表情でスケッチブックと向き合っていた。そこに困ったような眉は無くて。
凛々しい。
そんな言葉が似合うの。
……不思議。昨日は可愛い、だなんて思ったのに。今日はかっこいいと叫んでしまいたいほど思ってしまう。
彼は顔を上げ、私と目が合った。また、とくん、と心臓が小さな音を刻む。まるで電撃で攻撃でもされたみたいな衝撃。直立不動。私はその場から動けなくなってしまう。
「あ、あの」
「……あ、そのままでいいよ。そのまま、踊ってて」
彼は柔らかく微笑む。その表情に、発言に、全身の熱が一気に私の顔に押し寄せるのが分かった。
見られていた。あんな恥ずかしい踊りを。
しかも、そんな顔で「そのままでいい」だなんて言われてしまったら……。
恥ずかしいけど、断れるわけもなかった。私はさっきみたいに、腕を動かす。足を上げる。頭の中に音を鳴らす。そうしたらあっという間に私の時間。舞って、楽しくて、自然と笑えてきて。
ふふふっ。
たまらず声を出すの。
周りの景色が、こんなに愛おしい。景色だけじゃない。この肌を撫でる風が。鼓膜を揺らす音が。視界を埋め尽くす色が。楽しいと感じる心が。踊り続ける私が。
私を微笑んで見つめる貴方が。
──たまらなく、愛おしい。
「はーっ……」
気づけばまた、私は時間を忘れて踊っていた。終わった頃には息が切れて、肺が悲鳴を上げている。聞こえないけれど、「もっと酸素をちょうだい」と言っているのが分かった。だからその声に答えるように、ゆっくりと息を吸って。
「お疲れ様」
彼がそう言って、私に何か缶を差し出した。ありがとうございます、と言いながらそれを受け取ると……ほんのり温かい。あちっ、と声は出しつつも、思ったよりも熱くは無かった。人肌くらいの温かさになっていて、この人がいいところまで冷ましてくれたのかな、と勝手に想像した。
「勝手にココアにしちゃったけど、大丈夫だったかな?」
「は、はい、好きです!! あっ、ココアが」
「そっか。なら良かった」
ふわ、と彼は嬉しそうな笑みを浮かべる。そんな顔を見ていたら、もうココアなんて必要なくなってしまった。
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