キムチ食べるから醤油とって

おきち

#1 まるでキムチのような

「おはよう、ニッポン!」ぱしん。


ドンジュンの声と後頭部への衝撃で僕の一日は始まる。


「ニッポン!」ぱしん。


「ニッポン!」ぱしん。


「ニ〜ッポン!」ぱしん。


「ニ〜〜〜ポンッ!」ぱしん。


ドンジュンの仲間たちによって衝撃は4度続き、それぞれが自分の席に着いた。僕は彼らに応じるでもなく、痛がるわけでもなく平然を装う。他のクラスメイトは気にも留めていない。これが高校入学から4ヶ月間続いている毎朝のルーティンだ。


僕は開いていた文庫本の続きを読み始めた。石田衣良の「池袋ウエストゲートパーク」シリーズの4作目だ。作中では主人公・マコトが気持ちを整えるためにクラシック音楽を聴いている。クラシック音楽か、僕も聴いてみようかな。一瞬そんなことを考えたが、そもそも音楽自体に興味がないので読み飛ばした。


しばらくすると、安っぽいメロディのチャイムが鳴り始める。やたらと長く、聞き馴染みのないこの音色を耳にする度に、校舎から「お前はもう日本にはいないんだよ」と言われているようで不愉快だ。


チャイムの終わりと共に担任の“ガーガメル”が扉を開け入ってきた。

すると、それまでわいわいと騒がしかった音は消え、生徒達が一斉に姿勢を正す。ドンジュンをはじめとする不良たちも例外ではない。


“ガーガメル”が教卓の前に立ち、数冊の教材と1本のドラムスティックを教卓に置くと、それを合図に学級委員のミノが立ち上がり号令をかける。


「気をつけ!先生へ敬礼!」

「「おはようございます」」


「おはよう。出席をとるぞ」


小気味よく点呼が続き、流れるように出席をとり終えると“ガーガメル”はクラスの端から持ち物チェックを始めた。タバコやケータイなどを取り締まる時間だ。


皆この時間を心得ているため、タバコを吸う生徒は靴下の中に隠したり、ケータイを持っている生徒はロッカーの中に隠していたりする。そのため現物を抑えられることはほとんどないが、物証がなくてもほぼ毎日2〜3人が捕まるのは、指先にこびりついたタバコの臭いを嗅がれるからだ。


今日もドンジュンとその仲間が捕まり、二人は黒板に両手をついて立つようにと指示を受ける。すると“ガーガメル”は教卓に置いていたドラムスティックを手に取り、淡々とした口調でドンジュンに何発がいい?と尋ねた。


「5発でお願いします」と返すドンジュン。


“ガーガメル”は何も言わずドラムスティックを大きく振りかぶり、50代とは思えない力強いスイングでドンジュンの太ももを叩き出した。


ぱん!ぱん!ぱん!ぱん!ぱん!鈍い破裂音が教室に響く。

確実に痣になるであろう衝撃を受けても、ドンジュンは眉一つ動かしていなかった。


もう一人にも同じく5発。ぱん!ぱん!ぱん!ぱん!ぱん!

こちらは太ももを擦りながら顔を真赤に歪めている。正常な反応だ。


“ガーガメル”とは生徒間で使われる担任のアダ名で、アニメ『スマーフ』に登場する悪役の名。担任の冷酷さとキャラクターの悪さを結びつけているのだろうが、見た目が驚くほど似ているので秀逸なアダ名だと思う。


何よりも信じがたいことは、この学校では教師による体罰が当たり前で、“ガーガメル”は優しい部類とされていることだ。全校生徒に恐れられる二大暴力教師、生物学の“マジンガー”と体育の“レイザー”が担任でないことを幸運に思う。




朝礼後、体罰を受けたドンジュンの苛立ちが僕に向かないか気にしながら午前中は息を殺すように過ごした。昼休憩の時間だ。クラスに友人などいない僕はいつも一人で学食へと向かう。


最近気づいたのだが、この国では一人でご飯を食べることを異常と捉えているようで、ただでさえ言葉が通じにくい僕を皆変人のような目で見てくる。学食の列に並びながら、冷ややかな目を避けるように前の踵だけを追いかけるのが僕なりの処世術だ。


学食では海外映画の刑務所で見るような食器を使う。ごはん、汁物、おかずを区切れるように、規則正しく凹んだステンレス製の食板。箸とスプーンもステンレス製だ。日本で木製の箸に慣れていた僕にとっては食事ひとつとっても違和感だらけ。


特に、洋食だろうが中華だろうが毎日必ず食板の中央に鎮座するキムチが違和感でたまらない。こんなに節操のない食べ物は他に見たことがない。


辛くて、臭くて、血のように赤い、

僕の心を表したようなこのキムチを、恨むように口へと運ぶ。

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