それぞれの想い ──前半──

「それじゃわたしは上に行くね。 準備が出来たら合図するから、後よろしく」


「おう、頼んだぞ」


 別れを告げると、咲は適当な小石を拾い、垂れ下がっているシートを潜り抜ける。

 カンカンカンと小気味良い音を聴くに、建設工事中の建物に備え付けられた梯子を登っている所なのだろう。

 俺達はその音を聴きながら、表通りと裏路地の境目である壁に身を潜ませる。


「春風さん、身を屈めてくれ」


「うん」


 中腰になりながら、俺は野良犬に気付かれないようこっそり覗く。

 今は野良犬然とした感じでアクビやらじゃれあいやらしているが、もし姿を見られたらと思うと気が気じゃない。

 元祖返りとでも例えるべきか。

 異形と化した生物は最早俺達の知る愛玩動物ではない。

 人を襲い、食らう。

 自然の摂理に従って本能のまま生きるようになってしまった猛獣なのである。

 しかも異能まで持った。

 ゆえに最初の計画を頓挫するに至った。


「やっぱり見つからずに行くのは無理だな」


 当初の計画では、まず俺が車列に隠れながら目的の車まで移動。

 近づいて小石を投げるか、ドアのノブを引っ張りブザーを鳴らそうと考えた。

 鳴らした後は簡単だ。

 音に釣られてやってきた野良犬達を尻目に咲が春風さんを連れ、俺もスーパーに向かうという作戦だった。 

 だが、三人で相談するうちにある不備が見つかった。

 俺の身体能力では辿り着ける訳無いし、ブザーを鳴らせるほど小石に威力を持たせられない、という点だ。

 更に言えば、鳴らした後どうすんだよ、という……。

 仮に上手くいったとして、見つからずに移動するのは至難の技。

 咲ならなんとでも出来るだろうが、俺はきっと死ぬ。

 そんなこんなで作戦は頓挫。

 改めて考えたのが、今実行している作戦。

 『人形乙女の演奏会ヴァルキリアコンサート』である。


「成功するかなぁ、大丈夫かなぁ……」


 不安でまたしても涙目になる春風さんの手を握り、俺は不敵な笑みを見せる。


「大丈夫だ、俺達に任せてくれ。 あいつは絶対やってくれる。 そういうやつだからな」


「……信頼してるんだね」


 あまり意識した事はないが……。


「かもな……それがどうかしたのか?」


「う、ううん。 なんでもないよ」


 どこか物悲しい空気を春風さんから感じた。

 俺は何故かその時、何かを言わないといけないような感覚に囚われ。


「……春風さん、何かあるんなら言ってくれ。 俺でよければ話を聞くよ。 頼りないかもしれないけどさ」


「六花くん……。 ふふ、ずるいなぁ。 そんな風に優しくされたら、まだ出会ったばかりなのに気持ちが動いちゃうよ」


 手を更に強く握ると、春風さんは熱を帯びた瞳で、左手を俺の頬に──


「え?」


「六花くんはとても頼りになる男の子だと思う。 だって六花くんがいなかったら今頃私は……」


「春風さん……?」


 不思議な引力に逆らえず引き寄せられる二つの視線。

 それは徐々に目の前まで迫り、彼女は俺の唇を自分の唇を重ねようとしてきた。


「六花くん……」


 が、そこで咲からの合図が届く。


 カツンカツンカツン。


 空から降ってきたのは小石だった。

 合図とはこれの事らしい。

 見上げると不機嫌な顔をしている咲がこちらを見下ろしていた。


 優柔不断というか、隙だらけというか。

 咲が好きな癖に、なにを受け入れようとしてるんだ、俺は。


「……ごめん、春風さん。 俺、実は……」


「……うん、知ってる。 何が言いたいのかわかるよ。 でも言わないで……ごめんなさい」


 


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