逃走 ──前半──

 神オーディンが愛用したと言われる神器、神槍グングニル。

 神話を語る上では外せない、神の槍である。

 その槍に模した雷が大地を穿ち、土煙を上げる。

 並大抵な生物では、グングニールから生き延びる事はほぼ不可能だろう。

 神々の譜面指揮者ディバインズコードオーダーであるミカエル=エスカリヴォルグもそう考える一人である。

 

「……ふん、いったか」


 彼女は宙からグングニールが落ちた先。

 反逆者達が足を下ろしていたセメントの大地が粉塵で見えなくなると、天使らに指示を飛ばし始める。

 

「よし、では撤収せよ。 驚異は去った。

我々も次の段階に移るとしよう」


「はっ」


 ミカエルから勝利の言葉をもたらされた天使達は続々と亀裂を通り抜けていく。

 そして最後の一人が消え、誰も居なくなった神の柱周辺を一通り見渡した彼女は……。


「…………くだらぬ世界だ。 人も大地も空も……我々も、本当に下らない。 そうは思わぬか……舞鶴六花。 世界を終わらせる可能性を秘めし男よ」


 粉塵で覆われた世界を最後に一度だけ一瞥し、寂しげな表情で亀裂へと姿を消した。

 誰も居なくなった日比谷公園から。


「……行ったか? 行ったよな?」


「うん、行ったね! 敵影無し! もう安心してよさそう!」


 まあ俺達以外は、なのだが。


「六花! イエーイ!」


「はいはい。 いえーい」


 瓦礫から頭を少しだけ出してミカエルが居なくなったのを確認した俺達は、なんとか生き残れた喜びをハイタッチで表現する。


「いやぁ、なんとかなるもんだねー意外と」


「ほんとにな。 一時はどうなるかとヒヤヒヤしたけど……」


「偶然飛ばされた先に瓦礫があって助かったよ! ほんと神様に感謝だね! おっと、神様は敵なんだっけ。 なら……自分の運のよさに感謝しとこ!」


 そう、俺達はあのグングニールから生き延びる事に成功したのだ。

 本当に運が良かった。

 まさかグングニールが起こした雷撃の爆発で弾き飛ばされた先に瓦礫があって、咄嗟に隠れたら気付かれずに生き延びれたなんて奇跡も良いとこだ。

 もう二度とこんな偶然はないだろう。

 これがもし本当にだけならば。


「ありがとー、わたしの運! これからもよろしくね! ほらほら、六花もわたしに祈っていいよ! 次もこのスーパー美少女なわたしの運が味方してくれるかもよ?」


「うーん……んなわけないよな、やっぱり。 だとしたらあいつはなんで……」


「どしたの、六花。 うんこしたいの?」


 こっちが真剣に悩んでいるのに、こいつはいきなり何を言い出すんだ。

 

「違うわ、この状況でもよおす訳ないだろ。 俺が悩んでんのはミカエルの事だ」


「ミカエル? なんで?」


「なんでって……ちょっと考えたらわかるだろ。 あいつなら殺そうと思ったらいつでも殺せた筈だ。 なのにミカエルはわざわざ直撃を避け、俺達を吹き飛ばすだけに留めた。 まるで逃がすかのように、瓦礫のそばにな」


 おかしいと感じているのはまさにそこだ。

 あいつほど実力がある奴が、格下を殺せなかったどころか生きている事に気付かない筈がないのだ。

 なのにミカエルは去っていった。

 そこがどうにも引っ掛かる。


「たまたまじゃない? そういう時もあると思うけど。 六花は考えすぎだと思うなぁ」


「そうか? ……そうか」


 まったくもって釈然としない。

 が、答えの出ない問題に悩むのもバカらしいのも確か。

 今は疑問を置いておくしかないか。


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