頭の中とインターネット

 スイスの心理学者のユングは「集合的無意識」という概念を提唱しました。ユングは人間の心理を研究するうちに、時間的、地域的につながりのない土地の神話や昔話、夢、宗教説話、さらには精神病患者の幻覚や妄想の中の共通のモチーフを見出しました (http://rinnsyou.com/archives/293)。そしてこれが集合的無意識から発せられるものと考えたのです。

 私はインターネットの中に広がる世界は、可視化された「集合的無意識」だと捉えています。企業や NGO などの web サイトのように社会向けのペルソナを着けてきちんとした側面もありますが、可愛らしいペットのビデオに始まって、日常のなんでもない出来事を呟いたり、違法な情報を載せたり、探したり、人間が頭で考えられるものはすべて見つけられるのではないかと思います。以前は、実際に本人が直接口にしない限り知り得なかった他人の頭の中が、無防備にごちゃっと大量にぶちまけられている――それが私の持つインターネットのイメージです。

 昔、子供にとって暴力やセックスはもっと遠いものでした。インターネットが普及する以前に子供時代を経験した方であれば、道端や空き地に捨てられているエロ雑誌の開いたページのショッキングな絵や写真に驚いたことがあるでしょう。それは日常の中に一瞬だけ現れる非日常でした。しかし、今日の子供が子供でいられる時間は、昔よりずっと短くなってしまいました。

 インターネットが全人類にもたらした恩恵は素晴らしいものです。こうして、私が個人的に書いたものを、北海道や九州でまったく異なる暮らしを紡いでいる人たちが同日中に読むことができ、考えを交わし合うことができる夢のような世界です。しかし、インターネットは同時にパンドラの箱を開けました。かつてはほんの僅かな人たちの間で交わされていた陰口がまたたく間に広がり、無関係な人たちも便乗して騒いだりする。ニュースとしてであれ、興味本位の覗き見としてであれ、ありとあらゆる形の暴力が画像として投稿される。大人の自分でさえも、今まで想像もしなかった人間の側面を知ることになりました。その上で思うことは、人間は力に依存し、酔う生き物だということと、立ち止まって考えることを知らない人たちがどんなに多いかということでした。

 これが顕著に現れたのは、2021 年 1 月 6 日に起きたアメリカ合衆国国会議事堂襲撃事件です。当時のドナルド トランプ大統領が、前年のアメリカ合衆国大統領選挙で選挙不正があったと自身の支持者を扇動しました。トランプ氏自身による選挙不正の主張も馬鹿げたものですが、それを心の底から信じて、議会を襲撃した人々の狂信的な態度は私には理解できないものでした。トランプ氏は繰り返し、Twitter で自分の主張を正当化し、人々にはっきりとした言葉ではありませんが襲撃を促しました。彼自身、まさか死者が出るとは想像していなかったとは思いますが、少なくとも怪我人が出るくらいの想像力が無かったとしたら正に浅慮、大統領になるべき人物ではなかったと言えるでしょう。

 同時に Twitter を代表とする即時的で単純化された言葉の情報がどれほど簡単に人に暗示をかけ、その行動を操作できるかという恐ろしい実証実験にもなったように思います。

 インターネットの中の世界が集合的無意識であるなら、そこから上ってくる言葉は敢えて「意識的」に捉える必要があるのではないでしょうか。例えば、紙の本であれば、その世界にのめり込んで読んでいても、その世界の外側には行けません。しかし、インターネットであれば、いまや無限とも言えるほどの情報が選り分けられるわけでもなく表示されます(正確には、検索エンジンの会社にお金を払った組織や人の情報が上位に選り分けられて表示されますが)。一箇所を読んでいても、その情報と一緒に表示されるリンクを辿って際限なく無差別な情報に晒される可能性があります。そうして目にした情報の何を信じるかは、最終的には恣意的なものですが、少なくとも情報元が信用に当たるような組織かどうかくらいは意識すべきだと思います。そして、単純化された言葉を字面だけで捉えるのではなく、その背景を考える努力をしてみてもいいのではないでしょうか。幸いにして、有象無象の情報の中には、大変有用な論文や論考も含まれています。自分一人では至ることのできない知識が惜しげもなく公開されているのはインターネットの良い点です。

 私たちそれぞれの頭の中も、正義に溢れる部分もやましい部分も入り混じっています。その中でどこに焦点を当てるのか、自分はどんな人間でありたいのか、それを意識することで自分の在り方を決められるはずです。インターネットで許される情報も、良い意味でも悪い意味でも制御の努力がなされていますが、手の届かない領域はいつまでも残るでしょう。だとすれば、やはり良い面に焦点を当て、自分はどんな情報をインターネットで発信したいのか、ひとつでもテーマがあれば、載せる言葉も変わってくるのではないかなと思います。



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