第48バグ・出雲とエイル

「何のつもりですか?」


 出来る限り感情を抑えて喋る。


 上司であろうがこれは酷い。

 いくらなんでも、何の罪もないエイルを拘束するのはやりすぎだ。

 おまけにわめかれないように猿ぐつわまではめている。


「今言ったばかりじゃない。『ジャパルヘイムとエイル。貴方はどちらを望む?』と」

「なんでいきなりそんな話になるんですか!?」

「あらあら」


 僅かに心を乱した出雲を見て、女神が小さく嘲笑する。


「そんなのに決まってるでしょ」

「は?」

「何度も言わせないで頂戴。心の底から楽しめるなら私はなんだってする」


 物凄い理屈だ。

 ただ、自分が楽しむだけに行動されたらどんな言葉も太刀打ち出来ない。


「別に驚くことでもないでしょう。程度の差はあれど、誰だって喜びや快楽を求めるものなのだから」

「それはそうですがこれは」

「エイルは私のものよ。私が拾わなければ、役立たずのこの子は天界から追放される可能性もあった。そしてジャパルヘイムは私が作った。誰かに文句を言われるいわれは無い」


 強い。

 やっていることは滅茶苦茶なのに理論武装はしっかりしている。

 無駄な討論であるはずなのに無駄の無い根拠がそこにはあった。


「もし貴方がジャパルヘイムを選ぶなら、ジャパルヘイムに対して私はもう手出しはしない。今まで払った対価もそのまま。ただし、エイルにはもう2度と会わせない。記憶も消す」

「なっ!?」

「エイルを望むのなら、エイルは貴方に上げる。焼くなり煮るなり愛し合うなり好きにしなさいな。お望みとあれば人間にだってしてあげる。その代わり、ジャパルヘイムは削除する。稼いだお金も全部返してもらうわ」


「何でそうなる!」とは口にしなかった。

 そんなことを言ったところでこの女神様には通用しないのだから。


(ジャパルヘイムかエイルか、か)


 命という視点で考えれば前者一択だ。

 ジャパルヘイムを選んでもエイルが死ぬことはないのだから。


 考えるまでも無い。


 ……。


 …………。


 果たして本当にそうだろうか。

 ふと、エイルと過ごした日々を思い出す。


 2人で笑って、怒って、悲しんで、楽しんだ毎日。

 その日常はまず間違い無くかけがえのないもののはずだ。


 それをそう簡単に手放してよいものなのだろうか?


 考える。

 短い時間で必死に頭を働かせる。

 誰も不幸せにならない未来を得るために。


「答えは出た?」


 覚悟を決めたところで、性格の悪い女神が心底楽しそうな笑みを向けてきた。

 躊躇ためらう出雲をからかおうとする魂胆が見え見えだった。


 だからこそ、出雲はすぐに答えを出した。


「ジャパルヘイムで」

「え? それでいいの? しかもそんなあっさりと!?」

「あー、はい。全然構わないです」


 予想と大きく外れたのだろう。

 さしもの女神も焦ったような表情で腰を浮かせた。

 だが、出雲の淡白な態度は変わらない。


「だって貴方、二度とエイルと会えなくなるのよ! それでも良いの!?」

「構わないですよ。エイルなんて頭は悪いし単純馬鹿だし。それに、いびきと態度はでかいくせに全然役に立たないですからね」

「は、はぁ?」

「それにこの間ラーメン食いに行った時だって、食うだけ食って金も払わず出ていったんですよこいつ! しかも、エイルが奢るはずだったのにですよ!」


 女神が引き攣ったような顔をする。

 しかしながら出雲は構わず続けた。


「恋心があるなんて思われてたなら本当に心外。誰がこんな無能に恋するもんですか!」


 出雲が次から次へと言葉を並べると、不意に何かが切れるような音が聞こえた。

 それでも出雲は天使への文句は止めない。


「エイルとなんて死んでもお断りですよ」

「奇遇っすねぇ!! 私もっすよ!!」

「ぐっふぇ!?」


 出雲が最後の文句を口に出した時、突然何者かの飛び膝蹴りがもろに顎にヒットした。

 顎に手を当てた出雲が咄嗟に犯人に目を向けると、体を小さくした青髪天使が怒りの形相を浮かべて立っていた。


「よくそんなことが言えたもんっすねぇ! 自分だって無神経で暴力的なくせに!」

「おまっ!? 全部事実だろうが! つかこの前立て替えた金払え!」

「べーだ!」


 椅子の上に乗り、出雲と視線を合わせたエイルが舌を出す。

 たったそれだけで、はっきりと馬鹿にされているのが分かった。


「フラウ様もフラウ様っす!」

「はい?」


 エイルが今度はフラウへと指を差す。


「私の運命を私以外の人間。ましてや出雲なんかに預けないで欲しいっす!」

「あのねエイル。これは──」

「私のことはっ! 私がっ! 決めるっす!」


 上司の言葉を遮ってまで天使が断言した。


「クスッ」


 ふと女神から笑い声が漏れる。

 たったそれだけで、先程までの緊張した空気が抜け、場の雰囲気が一気に柔らかくなった。


「エイルが私に逆らうなんてね」

「いくらフラウ様のお言葉でも、私はものじゃないっすもん!」

「それもそうね」


 女神が全てを諦めたように蔦も地球儀も消滅させる。

 そしてゆっくりと天使へと近付くと、小さな天使の体を思い切り抱き締めた。


「ふわぁ!?」


 エイルごとこちら側の椅子に倒れこむ。

 そして、天使を抱えたまま反転した。


「本当に貴女は成長した。以前のエイルなら、文句を言うどころか私という殻を破ることも出来なかった。しようと思わなかった」

「フラウさま?」


 天使の頭を撫でながら、慈愛に満ちた表情で女神が言う。

 数秒前まで文句をぶつけていたエイルの方は、抱きつかれた時点で怒りを維持できなかったようで、申し訳なさそうに女神の抱擁を受け入れていた。


 続いて、女神が出雲の方に目線を移す。


「全部計画通りってわけ?」


 全てを見透かされてしまいそうなほどの透き通った瞳で女神が見てくる。


「だってフラウ様は面白いことを求めてましたからね」


 彼女は退屈を何よりも嫌がる。

 それなら展開がより面白くなるなら選択肢はないも同じだ。

 例えエイルを選んでいても、面白い回答をしていれば彼女は許しただろう。


「それにフラウ様も別に本気じゃなかったでしょう?」


 今度は出雲が意地の悪い質問をする。


 本気であれば、エイルが盾突いた時に言い訳を述べるはずがない。

『あのねエイル。これは──』なんて台詞は絶対出ないのだ。


「ふふふっ、だから人間は面白い」


 どうにか女神の機嫌を取ることに成功したらしい。

 ようやく解放される。


(これでやっと終わりか)


 出雲は胸に溜まっていた空気をゆっくりと吐いた。


 どんな形であれ、大事なものは守れた。

 それは彼にとって何事にも代えがたい事実だった。


「全然話についていけないんっすけど」

「貴女はそれで良いのよ。そういうところが可愛いのだから」

「フラウ様?」

「でも、ま、彼には――」


 女神が片側の口角を大きく上げる。


「言葉の責任は取って貰いましょうか」


 背筋が凍るほどの冷たい声がふりかかる。

 これから訪れるであろう辛い未来に、出雲は薄ら笑いを浮かべるしか出来なかった。

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