第33バグ・閉鎖水域
「何でお前そんな濡れてんの――って抱きつくんじゃない!?」
「だって! だってぇ!!」
上から下まで水を含ませたエイルが胸元に飛び込んでくる。
余程怖い思いをしたのか肩が震えていた。
「急に水がドンって! 吸い込まれてっ! 息出来なくてっ!」
「分かった、分かったから。一回深呼吸して落ち着け」
しがみ付いてくる天使を無理やり剥がして言い聞かせる。
しかしそれでも恐怖が消えないようで、出雲の妨害を突進で排除すると、腰を腕でホールドされた。
最早出雲の衣服もびっちょりと濡れてしまっている。
(もう、仕方ないな)
「あー分かったよ。負けた。落ち着くまでこうしてろ」
「うぅ、どうもっす……」
抵抗するのを諦め、仕方なくエイルのやりたいようにさせてやる。
そうして冷静になったところで、ふととあることに気付いた。
(そういえばこいつ胸でかいん……だよなぁ)
自分の胸の当たりに大きく柔らかなふくらみが当たっているのを感じる。
相手が好みから外れた馬鹿天使であると理解している。しかしながら、たったそれだけの事実に理性が大きく揺さぶられるのを感じた。
(落ち着け……落ち着け俺。相手はエイルだぞ。騒ぐんじゃない)
必死に遠くの海を見て気持ちを逸らす。
それでも煩悩のぶちかましは凄まじく、どれだけ過去エイルの残念なイメージを叩きつけても五分五分の戦いだった。
「……ありがとうっす」
10分ほど経過し、ようやくエイルが出雲から離れる。
どうやらエイルは落ち着くことに必死だったみたいで、自分が取っていた行為がいかに男を惑わせるかに気付いていないようだった。
彼女を性的に意識していない出雲であっても、あと数分くっ付いていられたら理性が爆発していたことだろう。
「で、何があったんだ?」
「分かんないっす。空を飛んでたらいつの間にか水の中にいて、必死にもがいて何とか抜け出したっす」
「水の中か……」
(考えられるのは海しかないが)
「もしかして、出てきたのは海の中からか」
「多分そうっす。無我夢中だったんで自信ないっすけど」
「と、なると空と海底が繋がってんのかなぁ」
しかし、海には当然水圧や水深がある。
本当に海の底と空が繋がってしまっているのなら、エイルが何事もなく出てこられたのは不自然だ。
大型船1隻が通れるほどの海域で水深が浅いとは考えにくい。
(そうくれば、だ)
「それかエイルの頭がおかしくなって、気付かないうちに海に落ちてたとかなぁ」
「急に辛辣っすね!?」
「でも酔ってたのは確かだろ?」
「それは認めるっすが、いくらなんでも急降下したら気が付くっすよ。飛ぶことに関しては無意識下でもに制御出来るっす」
「前は飛ぶことすら忘れてたのに?」
「……それ以上疑うと泣くっすよ」
「悪い、言い過ぎた」
女の必殺兵器を振りかざされ、押し黙る出雲。
大の大人に泣かれるのは面倒だが、エイルの場合は子供のように喚き出す可能性がある。そんな仕様もない対応に労力を割かれるのは時間の無駄だ。
「ひとまずエイルを信じて空と海面が繋がっていると仮定するか。それじゃあ検証のためにちょっと海に飛び込んできてくれるか」
「何が『それじゃあ』なんです!? 過程が誤ってたらただの濡れ損じゃないっすか!? 嫌っすよ!」
「俺だと飛び込んでも戻ってこられないし、仮説が合ってたら合ってたで空から落ちてくるだろうが。これはお前にしか出来ないんだよ!」
「私にしか、出来ない……」
(お、揺れてんなこいつ)
「そうだ。これはお前だけがこなせる任務だ。俺には到底出来ない」
「私だけが」
自己承認欲求の塊であるこいつには非常に効果的だ。
「何だったらもしこれがバグだったらお前の手柄にして良い。そうなるとお前の株も上がるんじゃないか?」
「本当っすか!?」
「勿論。報告書も敢えてフラウ様宛にしとくよ」
「マジっすか!」
段々とエイルのテンションが上がっていく。
船酔いとアクシデントによって死んでいた瞳に、すっかりとやる気が満ちている。
これなら落ちるのも時間の問題だった。
「ふふふ、そこまで言われたら行かないわけにはいかないっすね」
「それでこそ有能天使だ! いやー魅せてくれるねぇ!」
全力でよいしょする。
エイルの気分は最高潮まで達しているようで、軽い足取りで船の縁へと近付いていた。
そして、顔を乗り出しほぼ真下の見ながら呟く。
「いやー、うーん。でも、やっぱまた濡れるのは嫌っすねぇ」
「そこは行けや! って、あ――」
寸前で躊躇う天使の頭を軽く叩く。
瞬間、天使の体勢が崩れ船の外側へとずり落ちていった。
「出雲の馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!」
断末魔を上げながら海へとダイブする天使。
だが、彼女の身柄は海の中にはなかった。
「ひぃやああああああああっっっっ!!」
今度は上から悲鳴が聞こえ、咄嗟に顎を上げる。
視線の先には水滴を撒き散らしながら落ちてくエイル。全くと言っていいほど美少女とはかけ離れた顔を見せていた。
「いやああああああぁぁぁぁっっっっ!!」
出雲の横を通り、また天使が海面に叩きつけられていく。
そして、上から出てきては海に落ちていく。
長めのロープが災いしてか、そのループは3回にも渡って続いた。
(あらー)
最後には出雲からおおよそ1メートルほど離れた場所で止まり、謎の原理によって吊るされる形で落ち着いた。
見るも無残な姿を前にして、流石の出雲も罪悪感で一杯だった。
「ゆるさない……ぜったいゆるさないっす」
何処からともなくぶつぶつと呪詛が流れてくる。
出雲は拘束されている相棒を見つめながら、ひっそりと思考を働かせた。
縄を切って復讐されるか、それともそのままにしてより大きくなるであろう怒りを持ち越すか。
悩むこと15秒。
結局助けることを選んだものの、助けたことを後悔してしまうほどの運命が待ち受けていることに、今の彼は気付かなかった。
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