世界探索係編

第32バグ・海上探索

 地平線上に何処までも続く青い海。

 工業分野が未発達のジャパルヘイムにおいて、海は美しさの比喩に使われるほど綺麗だった。


 それは大型船の甲板の上からでもはっきりと分かった。


 濃い青色は眺め続けていれば、意識が呑まれてしまいそうでもある。

 しかし、それ以外は良いところしか見当たらない。

 甲板の先で腕を伸ばして立っているだけで、潮風の気持ちが伝わってくるのだ。


「おえぇぇぇぇ!!」


 前言撤回。

 耳障りな音と微かに酸っぱい臭いが流れてきた。


「ちょっと折角浸ってるんだから、吐くなら向こうに行ってくれ」

「そんなこと言われてもウップ!?」


 エイルがまた船から身を乗り出し嘔吐する。

 見た目が可愛いという数少ない取り得も見事に台無しだった。


(酷い顔してんな)


 何も言わずに隅に置いていた水筒を手に取り彼女に渡す。


「脱水症状になるから気持ち悪くとも水は飲んどけ」

「ぁ、どうもっず」


 ぶるぶると腕を振るわせながら水筒を受け取るエイル。

 明らかに弱っており、この世の終わりのような顔をしていた。


「そのまま吐き続けてれば新しいバグも見つかるかもな」

「ぞのまえにじんじゃうっずよっ!」


 ちょっとした軽口に天使が強く反応する。

 だが、水を飲んだ直後に大声を出したせいでまた吐き気を催したようで、再び海へと向き合っていた。


 この船は絶賛南西へと航海中である。

 しかしながら何処かの街に行くために海を進んでいる訳では無い。


 目的はただ一つ。

 地図を見ながら、他のメンバーがまだ到達していない地点をただひたすら彷徨うのだ。


 世界探索係が行ったことのある場所は地図が淡く黒くなるようになっている。

 今回は陸に比べて海の黒塗りが甘いので、こうして航海を行っているというわけだ。


(水無月さんや御手洗さんもあんまり海が得意じゃなかったのかな?)


 世界探索係の移動記録を見ながら顎に手を添える。

 直近の前任者である2人は陸地ばかり移動したようで、海には全然出ていないようだった。


 と、なればバランスを取るためにも今回は海の探索をメインにしたいのだが、


(相方がこんな調子じゃなぁ)


 流石に船酔いに支配されている天使をこのまま連れ回すわけにはいかない。

 無能であろうと相方は相方なのだ。


(あ──!)


「いっそのこと飛んでれば良いんじゃないか。船のマストか何かに紐で腰を繋いでおけば、置いてかれることも無いだろうし」

「あぁ、それは名案かもしれないっすね……」


 今にも死にそうな表情でエイルが背中から羽を出す。

 心なしか服を貫通して飛び出た羽も元気がなかった。


 甲板に置いてあったロープの端をエイルの腰に結ぶ。

 あまりのウエストの細さについ胸がざわついてしまう。これでゲロ臭くなければ、ときめいてしまっていたところだ。


「じゃあ行ってくるっす。何かあったら手招きでもして呼んでください」

「おう。元気でな」

「今生の別れみたいに言わないでくださいっすよ……。じゃあ」


 ふらふらと飛んでいく天使を見送る。

 徐々に上昇していっているが、前見た時よりも遅い気がした。


「ま、これであいつも元気になるだろ」


 出雲といる時は普段飛び回ることは無い彼女だが、エイルの本質は天使である。

 鳥と同じで恐らくずっと空にいることは出来ないだろうが、船上で吐いているよりかは遥かにマシに違いない。


「しかしまあ」


 エイルが飛ぶ姿は何度見ても幻想的だ。

 例えよれよれであっても、船に紐で繋がれているとあっても、神秘的なことには変わりない。

 彼女が船の上を飛んでいるだけで、何だか守られているような気がした。


 ふと彼女から一瞬視線を外して、地平線の遥か彼方に目を向ける。

 波は穏やかで、風や太陽にも妙な点は感じられない。


 バグは無い。

 断言出来る。


 少々ほっとして再び首の角度を上げた時だった。


(あれ? あいつ何処行った?)


 彼女が飛んでいた場所を次々に目で追うが見当たらない。

 まるで最初から存在していなかったようにエイルという存在が消えていた。


「いや、紐あるな」


 マストに繋がれたロープは空へと昇っている。

 しかし、天使に繋がれているはずの先は空へと至る一点で消えていた。


「視覚的に見えないだけ? それともエイルが透明になってる?」


 現実に起こりうる可能性を次々思いつくだけ思い付いていく。そして、否定はしない。

 結局この世界の事実を、元の世界の常識で当てはめることなど到底無理なのだから。


「おーいエイル―!!」


 取り敢えず叫んでみる。

 返答は無い。


「エイルううううっっ!!!! いるかぁぁっっ!!」


 今度は手ぶりを交えた上で更に大きな声で。


「いじゅもぉぉっっ!!」


 そして反応は思わぬところから返ってきた。


 急いで声がした背後へと振り向くと、何故か全身びしょびしょに濡れた天使がいた。


 それも子供のように大袈裟に泣きじゃくりながら。

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