第30バグ・決着
まったく予定になかった出来事に、出雲の頭はぐちゃぐちゃだった。
想定では、取引を挟んだことで警戒心を緩ませた相手を食事に誘う。
その後、例のマヨネーズを食べさせて殺害するという手はずだったのだ。
作戦ともいえないシンプルな内容。
だが、失敗する訳ないと踏んでいた。
何故なら出雲は間違いなく商人であり、同じ商人であれば他者からの施しを断るとは到底思えなかったからだ。
(違う違う。今は失敗していることを悔やんでる場合じゃない!)
止まってしまった思考を何とか動かし、テントの外へと出ようとする。
このままではプアがあのガタイの良い側近に殺されてしまう可能性がある。
何も出来ずに死んでしまうというのはいくら何でも可哀想だ。
「プアさん!」
しかしながら現実は、そう簡単に都合の良い方には動かない。
出雲がテントを出るなり、一方がもう一方に馬乗りになって激しく殴りかかっている光景が広がった。
「プアさん!!」
慌てて彼を助けようとして、拳を真っ赤に染めた人間に飛び掛かろうとする。
だが、違った。
2人に数歩近付いたところで、出雲はとんでもない思い違いをしていたことに気付いた。
やられていたのは側近の方であり、調子良く暴力を振るっていたのはプアの方だったのだ。
「プア……さん?」
恐る恐る彼を呼ぶが彼の耳には届いていないようで、顔への攻撃は一向に止まらなかった。
出雲が戸惑っているうちに、殴られている方から血の気と共に手の力が段々と抜けいく。
そして、彼が繰り出したパンチが20を越えた辺りで、とうとう側近はピクリとも抵抗しなくなっていた。
「これ以上は死んじゃいますよ!」
我に返りようやく止めに入ったが、思い切り突き飛ばされる。
それもそうだろう。
最初から彼等を殺害するために来たのだ。
それを土壇場で中止するのはプアには酷い裏切りでしかない。
口に付いた砂を払いながら、急いで立ち上がる。
しかしもたもたしている間に、我を失ったプアはテントへと突貫していった。
(あんな気弱だった人がこんな狂暴になるなんて)
「バグか?」と思わず意識してしまう。
ただ、火事場の馬鹿力という言葉があるように、土壇場での人間の力は計り知れないものがある。
決めつけるには早計である上に、こんなことを考えてしまうぐらい自分は焦っているのだと思い知らされた。
プアの後を追ってテントの中へと戻ると、既にもう一人の側近は倒されていた。
顔面が大きく凹んでいるところを見ると、既に命は無いだろう。
「来るなっ! もしそれ以上近寄ってみろ! こいつの命は無いと思え!」
「くぅ! 離すっすよ!」
男がエイルを羽交い絞めにする。
プアの変貌ぶりに凄まじい恐怖を感じているようで、たじろいでいるのが明らかに見て取れた。
だが、出雲からすればその行為に意味は無い。
彼女は死んでも生き返る、イレギュラーな存在なのだから。
しかしながらプアはそのことを知らない。知る由もない。
幼い女の子が人質に取られてしまえば、いくら暴走状態であろうとも怯まざるを得ない。
出雲はついそう思った。
で、また裏切られた。
「ぐっふぁ!?」
「ちょっ!?」
当然彼が首と手首をロックしていたエイルも一緒に吹き飛んでいった。
「エイル!」
咄嗟に叫ぶがもう遅い。
悪人と共にテントの布を下方向に引き摺り倒れ込んだ。
「おいエイル大丈夫か!」
「な、何とか」
急いで駆け込み彼女の手を引いて救出する。
男の脂肪がクッションになったおかげで、天使の方は大した怪我は無さそうだった。
「ぐへぇ!?」
そんな中、突如木霊する断末魔。
そして飛び散った血は出雲達の顔を、服を、手を紅く染めた。
目を見開きながらゆっくりと血が飛んできた方向を見る。
出雲の世界に映ったのは悪徳商人の喉を踏み潰したプア。
電池の切れた玩具のように動作を止めている。まるでやるべきことはやったと示さんばかりに。
「プア……さん」
声を震わせながらエイルが小さく放つ。
いくら何度も死んだことのある彼女でも、死ぬことが恐ろしくないわけ無い。
彼女の目線からだと、彼の足との距離は自分が潰されるのではないかと錯覚するほどの近さだったのだから。
(俺でもビビるわあれは)
普段気の弱い人ほどキレると怖いというが、これは変貌し過ぎだろう。
「バグであるとはっきりと明言することは出来ないものの、あとで報告だけはしておこう」と、出雲はひっそりと思った。
「……怖がらせたようですみません」
プアが久し振りに言葉を紡いだ。
先程まで猛獣に似た唸り声を上げていただけに、ギャップの差で頭が痛くなった。
「でも、ゴミは片付けないといけないんです」
「え、あ、何を」
「最後まで勝手で申し訳ありませんが、残った子供達を宜しくお願いします」
青白い顔でプアはそう告げると、部屋の入り口近くに落ちていた瓶を拾う。
そして彼は、瓶を自分の額に思い切り叩きつけた。
「っ!?」
甲高い音共にマヨネーズとガラスが飛び散る。
一拍置いて、異物が混じったマヨネーズを口に含んだ彼はゆっくりと倒れた。
残された若者と幼女は、何も分からずただ彼の遺体を眺めていた。
酢と卵と血の匂いが充満した部屋は何もかもが強烈で、2人は何も出来ずにただ思考を停止させていた。
そうして2人して固まっているうちに、ぽつぽつとテントを叩く音が鳴り始め。
その音は時間の経過と共に次第に大きくなっていった。
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