第11バグ・リセット

 何だかんだ毎日があっという間だった。


 最初は相変わらず何て退屈な仕事なんだろうと思っていたのに。

 ただ、『幼馴染みがいる』という設定を付け加えてしまったばっかりに、日々が目まぐるしいものとなってしまった。


 だが退屈はしなかった。


(いや、意外と面白かったな)


 出雲はエリスが管理している畑を見つめながら感慨にふけっていた。

 ぼんやりとした視界の中では女の子がすきを振るっていたが、これといって気に止まらなかった。


 出雲達デバッカーは5つの係をローテーションで担当することになっている。これはデバッカーの精神への負担や視点を変えるための処置である。


 ただの農民としてありきたりな生活を送る一般市民係。


 悪逆非道な振る舞いで欲望の限りを尽くす残虐係。


 商人として街から街へと移動し、とにかく人とコミュニケーションを取る商業係。


 未到達の海洋や山脈、無人島に赴く世界探索係。


 強者となり王族やギルドの依頼をこなしていく正義の味方係。


 明日がローテーションの日。

 つまり今日が一般市民係を終える最後の日だった。


(まさか一番苦手だと思ってた一般市民係でこんな思いをするなんてなぁ)


 正直に言えば色々あり過ぎて大変だった。

 しかし、同時に楽しくもあった。


 何せバグを修正すれば、次の日には新たな変化が起きているのだ。

『わくわくした』まではいかないものの、『面白かった』と言い切れる日常だった。


「ちょっと何サボってるんすか」


 いつの間にか手と頬を土色に染めた天使が接近してきていた。


「サボってない。休憩してるだけ」

「休憩時間長すぎません? かれこれ15分は休んでるっすよ」

「細かいなぁ。人のことを気にする前にもっと働いたらどうだ」

「お、言うっすね。フラウ様に報告したっていいんすよ」


 天使が意地の悪い笑みを浮かべる。


「へいへい、悪かったよ」


 小屋に立てかけていた鍬を手に取り、茶色の地面に振るっていく。

 耕すべき土地の三分の一に手を入れた頃には、腰と腕と手が悲鳴を上げていた。


「そろそろ休憩しない?」

「まだ昼には早いっすよ」

「うぇーい」


 やる気の無い返事をする出雲。

 エイルはというと、馬鹿だが愚直な性格がマッチしているようで、出雲の倍以上のスピードで作業を進めていた。見れば彼女が担当している範囲の8割が綺麗な土色に染まっていた。


 負けじと出雲も続く。

 それから作業を続け一段落した時には、すっかりと太陽が真上にあった。


「ふぃー。しんどい」


 小屋の影に座り込み、首にかけていた布で汗を拭きとる。

 太陽光と畑作業によって体に籠った熱は、何度息を吐いても中々放出されなかった。

 汗はだくだく。喉はからからだ。


「お疲れ様っす」


 突然後ろから水筒のコップを差し出される。


「さんきゅー」


 何者かが差し入れを入れてきたのだが、特に意識することなくコップの中の液体を口に入れる。

 乾いた大地に水が染み込むが如く喉が潤った。

 体も久し振りに取る水分に喜んでいるようだった。


「ふぃー生き返った」


 振り替えることもせずコップを返す。


「助かったよ。お前にしては気が利くな」

「それは良かったっす」


 透き通るような青空を眺めていると、不意にくすくすと笑い声が聞こえてきた。

 ここでようやく声の違和感に気付き、背中を後方に逸らしてみる。

 すると、見上げた先では女の子が微笑んでいた。


「どう? 似てた?」


 そのまま意地悪な質問をぶつけてくる嫁。


 馬鹿天使だと思って喋っていた相手はエリスだったらしい。

 少しでも違和感を覚えれば気付けたかもしれないが、疲労で鈍った頭では全く分からなかった。


「めっちゃ似てた」

「あははは、頑張って寄せた甲斐があった」


 引っ掛かけられたのが余程嬉しかったのか、彼女は出雲の前でくるくると回ってみせた。そして、ぺたんと夫の横へと座る。


「体調は大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。おかげさまで体力もかなり戻ってきたよ」


 言って、肘を曲げて上腕二頭筋を見せつけてくる。

 それほど筋肉が付いているように見えないのが少し面白かった。


 エリスを助けるために博打をうった日。

 出雲は見事に賭けに勝った。


 あれから更に一週間の時が流れたが、彼女は風邪を引いていたことすら知らない。

 その後の二度目の出産も順調だった。


 今の彼女は元気100パーセントの完全体というわけだ。


「赤ちゃんは?」

「エイルさんが見てくれてる」


 目線を我が家の方へとやる。

 手洗いを済ませたようで、綺麗な顔を手で赤ちゃんを抱きかかえる天使の姿があった。


「ねえイズモ」

「なに、エリス?」


 彼女が身を乗り出してくる。

 たったそれだけで、出雲の時間がほんのちょっとだけ停止した。


 唇と唇が触れ合う。

 意外な行動に何も考えられなくなった。


 名残惜しさを残しながら、頬を紅く染めた嫁が離れていく。

 見開いた目で彼女の顔を見ていると、脳が、頭が、心臓が、心がバグリそうだった。


「大好き」


 陳腐な言葉だ。


 バイトを始める前の出雲ならそう決めつけていたことだろう。


 しかしながら、今の彼はただただ嬉しく受け止めていた。


 例え明日には消えてなくなる関係でも、今この時間だけは正しく本当なのだから。


「エリス……?」


 不自然に硬直する嫁。

 不審に思い、手を顔の前でスライドしてみるがまるで反応がなかった。


「クスッ、最後まで締まらないなぁ」


 出雲はウインドウを起動して、彼女の最後のバグ報告を書いた。

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