第10バグ・グリッチ

 ゲームには『グリッチ』と呼ばれる技がある。

 ゲーム内の不具合やバグを利用して、優位な状況を作り出す技法のことだ。


 グリッチの是非については開発者やプレイヤーによって様々だ。だが、決して全てのグリッチが黒ではないし白というわけでも無いだろう。


 出雲が閃いた案はまさしくグリッチと呼ばれるに相応しいものだった。


「赤ちゃんを利用するぅ!?」


 エイルが素っ頓狂な声を上げた。

 彼女が驚くのも当然で、出雲のグリッチには赤ん坊の協力が必要不可欠なものだった。


「ああ。具体的に言うなら時を遡る力を利用する」

「どういうことっすか」

「簡単だ」


 ジェスチャーを交えながら説明していく。


「まず赤ん坊を左回転させて生まれた直後へと戻す」

「ふんふん」


 天使が勢いよく首を縦に振る。


「出産直後はへその緒が繋がったままだ。エリスと赤ちゃんは謂わば一心同体。この状態で赤ん坊か、もしくはエリスごと左回転させてやればエリスの体も過去の状態に戻るはずだ。風邪は体調に左右されるからまた引くとは限らない」


「おぉー」とエイルが感心した声を上げる。

 だが、すぐに何かを思いついたようで、すぐさま反論が飛んできた。


「ちょっと待つっす」

「何だ?」

「理屈は分かったっすが、その方法には穴があるっす。もし赤ちゃんと繋がった状態のエリスさんの体が過去のものに戻らなかったらどうするんすか?」

「その時は今度は赤ちゃんを右回転させて元の状態に戻す。で、素直にエリスの生命力に賭けるさ」

「体の外に出た赤ちゃんが胎内に戻らずその場で胎児になる可能性もあるっすよ」

「その場合も諦める」

「上手くいったとしても、赤ちゃんもまたお腹の中に戻ってしまうっすよ」

「承知の上だよ。またエリスに頑張ってもらうだけだ」


 エイルが口に出したことは既に想定済みだ。


 元より絶対に上手くいくとは思ってない。

 生きる可能性が数パーセント上がるだけで充分だ。


「失敗した時も織り込み済みっすか。で、方法もこの世界のバグを行使してるだけ。それなら反対する理由はないっすね」

「じゃあ早速やろう。赤ん坊のバグ報告はもう送っちまったから、もたもたしてたら修正されちまう」

「そうっすね。じゃあ赤ちゃんを連れて来るので先に行っててください」


 赤ちゃんが眠るベッドへと駆ける天使。

 

 出雲の方はというと、再び寝室へと戻った。

 そして、手が届く範囲内まで嫁に近づいた。


 苦痛が強くなっているのだろう。

 昼に彼女の看病をしている時よりも発汗が激しく、呼吸も荒かった。

 医者の言う通り容体は悪化しているようだった。


「エリス、もう少しの辛抱だからな」

「出雲!」


 どたどたと大きな音を立てて、エイルと彼女の腕に包まれた赤ちゃんが入ってくる。

 よっぽど天使の腕の中がお気に入りなのか、赤ん坊の方は随分とご機嫌だった。


「俺がやるよ」


 エイルに強い眼差しを向ける。


「任せたっす!」


 彼女は出雲の意志を読み取ってくれたようで、文句も言わずに赤ちゃんを差し出してきた。


「ごめんな。またお母さんのお腹に戻るかもしれないけど許してくれよ」

「イズモ……?」


 赤ん坊に謝罪の言葉を投げかけた時、非常に弱々しい声が耳に入ってきた。


「イズモ、そこに居るの?」

「うん、いるよ。赤ちゃんも一緒だよ」

「あはは、嬉しいなぁ。私幸せだなぁ」


 どうやら意識が混濁しているらしい。

 目も虚ろでまともに喋るのも難しい体調だというのに、エリスは薄っすらと笑みを浮かべていた。


「うん。でも、俺がもっともっと幸せにしてやるからな。負けんなよ」


 胸の内から込み上げてくる励ましをぶつける。


「あぁ、ぅん」


 またエリスの瞼がゆっくりと落ちていく。

 最早生きているだけで精一杯といった様子だった。


「エイル、彼女の上着の裾をまくって」

「合点!」


 威勢の良い返事と共に、天使が汗で湿ったエリスの服の裾をまくり、へそを露出させた。


「お願いだから上手くいってくれよ!」


 願いを口に出しながら、彼女の腹部の真上へ赤ちゃんを持っていく。


 そして自分の運を強く信じてから、赤ん坊を左回転させた。

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