第9バグ・死
新しく生まれ行く命があれば消えゆく命がある。
それが自然の摂理であり、人類には抗いようのない決まりだ。
どちらも非日常であることには変わりない。
だが、後者はなるべく起こって欲しくないイベントだった。
「今晩が山場でしょうな」
医者が放つどうしようもない事実に出雲は頭が真っ白になった。
「何とか、何とかならないんですか!」
突っかかるように町医者である老人の両裾を掴む。対して老人は、毅然とした態度ではっきりと口を開いた。
「彼女の体力に掛けるしかありませんな」
「薬で何とか出来ないんですか!」
「勿論必要な薬は処方しています。ですが、薬はあくまで補助であり、病気に打ち勝つのは患者自身です。患者が極限まで弱っている状態では私にはどうしようもありません」
医者の言っていることは正論に聞こえる。
だが、人1人が亡くなるかもしれない状況下では納得出来なかった。
「でも――」
「止めるっす。落ち着いてください」
見かねたエイルが間に入ってくる。
出雲はエイルの言葉で我を取り戻すと、老人の上着を握る手の力を解いた。
「お医者さんに当たっても仕方ないでしょう」
「……申し訳ありません」
「いや、良いよ。それでは私はこれで」
最後まで冷静な様子で部屋を後にする医者。
反対に、丁寧な言葉を取り戻しても出雲の心はまだまだ沸き立っていた。
エリスは重い風邪に罹患してしまったらしい。
普通ならそこまで心配することではない。
薬を飲んで寝ていればあっという間に回復するだろう。
だが、彼女はつい先日出産したばかりだ。
ただでさえ体力の最大値が減っているところに夜泣きと風邪。
彼女が体を壊す条件は十分過ぎるほど揃っていた。
「今はエリスさんを信じるっす」
「……うん」
医者が座っていた椅子を更にエリスへと近付け腰を下ろす。
そして、苦しそうに荒い息を吐く彼女の汗を真新しい布で拭き始めた。
「エリス……」
たった1ヶ月の付き合いだ。
しかしながら、あまりに濃すぎる彼女の毎日の変化は出雲の脳内に深く刻まれた。
彼女が居ない生活など、それこそバグだと思うぐらいには。
「なぁエイル」
「何っすか?」
「世界がリセットされる時って、死者も復活したりするのか?」
「いや、リセットされるのはあくまでリセット時点の設定だけっすね」
「やっぱそうか」
つまり、彼女がこの場で死ねば未来永劫亡くなったままということになる。
「私達の存在や周囲の関係は、世界の都合に合わせた内容へと変更されるでしょうね。出雲という存在はただの村民に。赤ちゃんはその村民の子供。私は――、そうっすね。家政婦さんといったところっすかね」
定期的に行われる世界のリセットも万能ではない。
あくまで大幅にバグを修正した世界を円滑に動かすための措置でしかないのだ。
(世界の力が駄目なら俺の力で何とか出来ないだろうか)
例えば女神の能力で彼女の容態を少しでも良く出来るのは無いだろうか。
恐らく時給はまた減ることになるが、人命にはかえられないだろう。
「出雲。エリスさんを助けたい気持ちは分かるっす」
エイルは中腰の体勢を取り、こちらと目を合わせてきた。
まるで心を見通しているかのように、慈愛に満ちた瞳をしていた。
「でも、深い干渉はダメっすよ。変なことを考えているなら止めた方が良いっす」
「そんなこと考えてない」
「嘘。私はエリスさん以上に付き合いが長いんっすよ。それぐらいは分かるっす」
「じゃあ、どうすれば――」
唐突にエイルが唇に人差し指を当ててくる。
どうやら静かにしろというサインらしい。
「叫んじゃ駄目っす。エリスさんが起きちゃいますよ」
慌てて嫁の顔へと視線を向ける。
息遣いは激しくとてもではないが目覚める様子はなかったが、怒鳴り声で彼女を刺激するのは本意ではない。
「ひとまず落ち着いてください」
「悪い。まさかお前に諭される日が来るとは」
「馬鹿にしてんすか。まあ、軽口叩いている方が出雲らしくて良いっすけど」
「はぁ」と、肺から重い息を吐き出しながらエイルが立ち上がる。
「赤ん坊の様子を見てくるっす」
「あ、俺がやるよ」
エイルに続いて立ち上がろうとしたところで制止される
「いえ、出雲はエリスさんの傍に居てあげてくださいっす。一応夫なんですから」
「エイル……」
「ついでに病人でも食べられそうなものを作ってくるっすよ。まだ死ぬと決まったわけじゃないっすからね」
そう言い残して、天使は寝室から出ていった。
何だか無性に自分が情けなく感じ、頭ががくりと下がる。
(あいつの言ってることは珍しく正論だ)
彼女の汗で湿った布をバケツの中に沈める。
そして、何も出来ない怒りをぶつけるように水を絞り取ると、そっと布を嫁の額へと乗せた。
「エリス……」
この世界の人間じゃない出雲が無理して生かそうするのが間違いだと、エイルは言う。
しかしながら世界が異なっても命は命だ。
助けられる命を見殺しにするのは、それこそ間違いなのではないだろうか。
「っあ!?」
「エリス!!」
うなされる嫁の手を反射的に握ってしまう。
皮膚を通して伝わってくる体温はマグマのように熱かった。
「せめて出産前ならまだ何とかなったかもしれないのに」
つい有り得ない妄想を口に出してしまう。
どんなに辛いことがあろうとも過去に戻れることなど出来ないのだ。
(違う――あるぞ!)
何気なく発した一言から閃きが走る。
(あるぞ。いけるかもしれない!)
深い干渉はしない。
身を切ることもしない。
出雲のアイディアはデバッカーの流儀に沿ったものだった。
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