第3バグ・青髪の天使エイル

 異世界ジャパルヘイム。


 それが出雲が働く異世界の名前だ。

 時代や生活レベルは産業革命前のヨーロッパに近いだろうか。

 ただジャパルヘイムという名前だけあって、所々現代日本らしさが混入しているが。


 ここ、ジャパルヘイムでは元の世界の常識が通じないこと、もといバグが多々ある。


 重力が逆転している場所。

 触れただけで自分という存在が消滅する草木。

 逆関節で行進する王族、と様々だ。


 だが、こんな狂った世界にも過ごす利点はある。

 それはジャパルヘイムで過ごした時間だけ金が貰えるということだ。


 時給1250円に24時間を掛ければ3万円にもなる。

 一介の高校生が1日で稼げる金額ではない。

 

 勿論全く仕事をしなければ女神からの痛い罰が待っているだろう。しかし、たまにはベッドの上で天井の染みを数えるぐらいなら怒られることも無い。


「何サボってるんすか?」


 しばらく呆けていると、透き通った声と共に青髪の女子が視界に入ってきた。


「サボってねーよ。見りゃ分かるだろ」

「へー。日本人の中ではベッドの上で寝てることを働くっていうんすねー。勉強になりましたー」

「ジャパルヘイムでは言うかもなー」


 彼女が放った嫌味を軽やかに打ち返す。

 人間何もかもどうでも良くなり、出雲と同じ行動を取る時が少なからずあるはずだ。その可能性が少しでもある以上、天井を見続けることはデバッグ作業と同意だ。


「出雲が働かないと私の評価に響くんっすよー」


 少女が出雲の腕を掴んで引っ張ってくる。

 だが、非力な彼女の力では男子高校生をベッドから引きずり下ろすのは困難だったようで、出雲の体はピクリとも動かなかった。


「お前の評価なんて既にマイナスレベルだろ。俺のせいにするな」

「はぁ!? そんなことないっすから!!」

「嘘つけ。お前が役に立ってる姿を俺は見たことがないぞ」

「出雲が見てないだけでしょう! 私はベストを尽くしてるっすよ!」

「先月の報告書のデータを消したのは誰だっけかなー?」

「ぐ!?」


 少女の上半身がわずかに後ろに下がる。


「何故かモザイクで表示された宝石を海に落っことしたのは誰だったかなー?」

「ぐぅ!?」

「他のデバッカーにお茶運ぼうとして盛大にぶっかけたの誰だったかなー? 教えて欲しいなー!!」

「もう出雲の意地悪っ!!」


 とうとう出雲の嫌味に耐えきれなくなったのか、少女がベッドの上へとダイブしてきた。


 彼女の名前はエイル。

 いわゆる天使という奴である。


 見た目は清楚系で可愛らしい。

 天使を象徴する羽は無いものの、煌びやかな青髪が非常に白い肌とマッチしていて華があった。


 性格も真面目なのに加えて積極性もある。

 出雲のところに来たのも新米から這い上がろうと自ら志願したためらしい。


(でもこいつ。馬鹿でアホでドジなんだよなぁ)


 容姿も性格も悪くないが基礎能力が致命的に終わっている。

 最初に作業を共にした時は、デバッグ報告でエイルのことを書いてしまったぐらいだ。


(能力がバグっているという意味ではこの世界に相応しいとも言えるが)


 寝ている出雲を叱りに来たというのに、いつの間にか隣で天井を見ているのが良い例だ。

 エイルという存在は根本的に残念なのである。


「たまには天井で寝っ転がるのも良いっすねー」

「だろ? 人間働いてばかりじゃダメってことよ」

「そうっすねー」


(お前は天使だろ。気付けよ)


 とは言え、出雲はエイルに能力を求めている訳では無かった。


 周囲の人間とまともに話すことすら難しい可能性があるこの世界では、正常な精神状態でいることは難しい、と最初の1ヶ月で痛いほど分からされた。人が居るはずなのに一人ぼっちという感覚は孤独で居るよりも辛かったのだ。


 だから出雲は雇うことにした。

 時給1250円のうちの1000円を用いて能無しの天使を。


 どれだけ馬鹿でアホで間抜けでドジであっても、ただ会話が出来るだけでエイルという存在は出雲にとってかけがえのないものだった。


(まさか何もかもが従量課金制なのは落とし穴だったけどなぁ)


 元の世界から物を持ってくるのも、仕事であれば便利だと思える道具の用意も全て金が掛かるのだ。


 さっき出雲が死んで復活するのにもサービス料が発生している。

 今日はどれだけ熱意を出したところで、稼げる額は100円が関の山だろう。


「そりゃやる気もなくなるってもんよ」

「? 何か言ったっすか?」

「いや、エイルの金で焼肉食いたいなぁって」

「時給100円の天使にたかるほど貧乏なんっすか、出雲は?」

「お前俺より貧乏人なのかよ――!?」


 出雲が勢いのままに上半身を起こした時、二時間以上見上げていた天井の壁に急に亀裂が走った。

 そして、木材が割れるけたたましい音と共に幼馴染みエリスがの尻が降ってきた。


「ぐっふぇ!?」


 尻が顔面にめり込む。

 まるで空から降ってきたと思えるような衝撃に、出雲の意識は遥か彼方に飛んで行った。


「あー、マジで仕事だったんっすね。報告は私がやっておくっすよ……」


 エイルは壊れたベッドと鼻血を吹き出す出雲を見て、憐みの表情を浮かべて呟いた。

 出雲の今日のバイト代がマイナスを突破したことを悟ってしまったから。

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