14話 触らぬ神に祟りなし

二村は目の前の一条を見ながら、かつての三宅を思い出していた。


(俺はあの時気付けなかった。あいつが…拓海がいじめられてるなんて知りもせずに、いじめの主犯とギャーギャー騒いで、拓海とも変わらずつるんでた。何も、知らなかった。)



三宅拓海。

小学1年の時、別の市から引っ越してきた、大きな図体のわりにおどおどと不安げに目を泳がせている、気弱そうな男だった。

新しい友人だと二村は張り切って三宅に話しかけ、家が近かったこともあって、二人はすぐに仲良くなった。

…と、二村は思っていた。数年後、泣いている女子たちと教師に呼び出され、放課後の教室で尋問されるまでは。


『うっ、二村くんが、他の男子と一緒になって、うぅっ、三宅くんをいじめてます!』


女子が二村を指さしながら発した言葉は、想定外過ぎて反論すらできなかった。

(俺が、拓海を、いじめてる?他の男子…?)

心当たりがなさ過ぎてあんぐりと口を開けていると、当時担任だった女性教師は、こめかみを押さえながら二村を強く見つめた。


『二村くん、それは事実なの?』

『じ、え、いや…俺が拓海を?いじめてる?』

『って、クラスの子たちが言ってるのよ』


教師の後ろに隠れた女子たちは、いまだぐすぐすと泣いている。


(どうしてそうなるんだ?昼飯一緒に食って、一緒に帰って、お互いの家で遊ぶのがいじめだって?)


すぐに冷静さを取り戻した二村は、彼女たちの勘違いを解こうとヘラヘラと笑って見せる。


『いや、俺と拓海はめちゃくちゃ仲いいっすよ!放課後もよく遊んでるし、休日も…』

『ごめんなさい。そうよね、知ってるわ。…じゃあ、西城くんたちが三宅くんをいじめているのと、二村くんは全く無関係という事でいいのね』

『は、西城…?』


西城は今年クラスが一緒になった友人だ。

少しやんちゃでお調子者だが、話していて飽きないので、二村は西城のグループともよくつるんでいた。


『だから先生!違うんです!二村くんは友達のふりして西城くんたちと三宅くんをからかってるんです!』

『東堂さん、二村くんは三宅くんと1年生の時から同じクラスなのよ。ちゃんと本人たちにも確認しないと…』

『だって三宅くん、つらそうじゃないですか!二村くんと仲良くしてるの!』

『え、』


鼻水を垂らしながらみっともなく泣きわめく女子の言葉を聞いた瞬間、二村の視界がぐらっと揺れた。

拓海がつらい?

俺といるのが、つらい…?


気付くと俺はその場から駆け出していた。向かう場所はただ一つ、三宅の家で…


『おら、今頃ニム、先生にしめられてんぞ~』

『てめーのせいだな、おでぶちゃーん』


聞き覚えのある声に、二村の足がぴたりと止まる。

校舎裏から聞こえた鈍い音が、二村の心臓をぞわりとなぞった。

踵を返して校舎裏まで走ると、案の定西城とその取り巻きたちがいる。

3、4人が囲む中央には、見覚えのある体。遠くからでも分かる、三宅のうずくまった姿だった。


『てめえらあああああっ!』


二村が我を忘れたのは、後にも先にもその時だけだった。

気付くと保健室のベッドに横たわっていて、起き上がろうとすると腹がずきんと痛んだ。


『っつ…』

『二村くん!』


視界の端に捉えた三宅は、泣きはらした目をしている。

顔に少し傷があるが、それよりも真っ赤に腫れた目のほうが、よっぽど痛々しく見えた。

先生を呼びに行こうとする三宅を、二村は待て、と止める。


『拓海、いつからだ』

『…え、何が…?』

『あいつらにやられてたの。いつからだったんだよ』

『……今年からだから、全然大丈夫だよ』

『…そうか』


三宅はぐったりと疲れ切った表情をしていた。大丈夫とは真反対の顔だった。

何と声をかけたらいいか分からず、二村はパクパクと口を開閉したのち、ふーっとため息をつく。


『…すまん。俺が、気付くべきだった』

『や、それは…』


三宅が今にも泣きそうな顔でうつむき、膝の上に置いていた拳をぎゅっと握りしめる。


『…謝るのは、僕の方だよ。僕、僕…』

『お、おい。何で泣くんだよ』


今までずっと我慢していたのだろう、何か話そうと口を開くたび、三宅の瞳からはぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。

二村が慌てて起き上がろうとして、またずきりとした痛みを思い出し、横腹を抑えた。


『ぼ、ひぐっ、ぼぼく、ずっと、ひっ、怖かった』

『そりゃそうだろ、あんなに暴力受けて…』

『違う!…二村くんが、怖かったんだ』


二村は、背すじに冷たいものが走るのを感じた。

(俺が、怖い?)

この数年間の二人の仲をばっさりと否定された気がして、二村は心臓をぎゅっと掴まれたような気分になる。

三宅は真顔になった二村に怯えつつ、話を続けた。


『どうして二村くんみたいな人気者が僕と仲良くしてくれるのか分からなくて、ずっと申し訳なかった。僕なんかと一緒に居させて、って』

『そ、んなこと…』

『だから、今年西城くんたちに、二村くんと仲良いからって調子乗るなって言われて、…いじめられて、やっと分かったんだ。僕なんかが、二村くんと一緒に居ちゃ…』

『黙れよ』


二村の低い声に、三宅は大きく肩を震わせる。


『ごめ、ごめん、ごめんなさ』

『…頼むから、これ以上、怖がらないでくれよ。俺を友達だって、認めてくれよ…』

『え…』


二村の声色の変化に気付いた三宅は顔を上げる。

そして、目の前の様子に目を見開いた。

あの怖いもの知らずの、けんかっ早くて上級生すら泣かせるような二村が、嗚咽も上げずに涙を流していた。


『俺、拓海がこっちに越してきてから、ずっと一番仲良いと思ってた』

『え、えぇ…そう、なの』

『でも怖がらせてたんだな。俺は自分勝手にお前を振り回して、いつも…』

『違う!違うよ!』


今度は三宅がぼろぼろと涙を流しながら、二村にしがみつく。

三宅の重い体は、どこかの骨にヒビが入っているであろう二村の体に応えたが、ぐっと痛みを堪えた。


『嬉しかったんだ、僕、二村くんと友達になれて、ずっと嬉しかった』

『…でも怖かったんだろ』

『だって僕なんかじゃ二村くんに釣り合わないから…』

『”なんか”とか、二村”くん”とか。やめようぜ』


三宅に掴まれた腕にはあざがあって、ずきずきと痛んでいたが、二村はその手を振りほどかなかった。

その代わり、三宅にへらっと笑って見せた。


『ニムで良いよ。俺とお前は友達。対等。そうだろ』

『…うん』

『俺は、拓海を裏切らねえよ。友達が困ってたら助ける。でも鈍感だし、気付けねえこともあるから、その時は教えてくれ』

『……うん、』


三宅は下を向き、ぼたぼたと涙を落とす。

二村は静かに拳を握り、決意する。


(ちゃんと気付ける人間になるんだ。友達の危機に、すぐ駆けつけてやれる人間になるんだ)



目の前には、氷点下の笑みを浮かべる一条がいる。

ぼさぼさの髪、しわくちゃのシャツ、目の下の真っ黒のクマ、少しこけた頬。

二村はかつて誓ったあの日のように、強く拳を握りしめた。


「一条。病院に行こう」

「は?いや、だから元気だって…」


きょとんとする一条の細い腕を掴み、無理やり椅子から立ち上がらせる。


「お前が拒否するなら良い。俺が今すぐ連れて行く」

「な、ちょ」


ガタリと音を立てて机が揺れ、その反動でノートがばさばさと落ちる。

それを気にも留めずに二村が一条を引っ張っていき、ぐしゃ、とノートを踏んだ瞬間だった。


「あああああああああああああ!!!!!!」

「うわっ、なんだ…ぐふっ」


一条が突然奇声を発し、それに驚いて一瞬ひるんだ二村の腹に、拳を叩きこんだ。

崩れ落ちる二村を無視して一条はノートをかき集め、大事そうに抱え込む。

あまりに非日常的な出来事に、クラスメイトたちは誰一人として声を発することができなかった。


「い、いちじょ…」

「…5,6,7…よし、全部あるな。…あっ!二村!」


我に返ったように、一条はひどく申し訳なさそうな顔をして二村に駆け寄った。


「大丈夫か?怪我してないか?」

「あ、ああ。全然大丈夫だって…」


まだ一条に人を心配する優しさが残っていた、と二村が安心した瞬間だった。

一条はにこりとほほ笑み、優しげにつぶやいた。


「そうか、良かった。じゃあ、今日のことは先生や親には言うなよ。ただでさえ、家でも邪魔されること多いんだからさ」

「…あ、あ、」


それだけ言い残し、一条は自分の席に置いてあった本やノートをまとめ、すたすたと教室を出て行く。

恐らく図書室にでも行くのだろう。少なくとももう、一条が昼休みの間この教室にいることはないだろうということを、二村を含めたクラス中の人間が察知していた。

膝をついた状態で止まっていた二村はゆっくりと立ち上がる。

その手のひらに力は入っておらず、だらりと体の横に垂れているだけだった。



二村が一条を諦めた。

それは、このクラス全体が一条を諦めた、ということに等しかった。

もう誰も一条のことを構おうとはしなくなり、日々やつれていく一条をただ空気として扱うようになっていった。


「…」


そんな一条を頬杖越しにちらりと盗み見て、すぐに百瀬は視線を戻す。

非日常が日常になっていく。腫れ物だった一条が、空気になっていく。


(…そんなに難しくないのかもね。空気みたいになることって)


ふぅ、と小さくため息をつき、百瀬はいつも通りの日々を過ごすため、授業を聞きノートを取り始めた。

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