11話 偶然と必然
ぎゃあぎゃあと喚いていた男が、今は床にしりもちをついて女の子を見上げている。
二村も取り巻きの男たちも、その様子をただ見ている事しかできない。
倒れた男を見下ろす女は、化粧と服装によってひどく大人びて見えたが、どう見ても同じクラスの六見に違いなかった。
「…」
男は蹴り倒されたにもかかわらず、なぜか黙りこくっている。
ちらりと彼の顔を盗み見ると、少し上気した頬と男の視線の先で、何を思っているのか分かってしまった。
六見はぴっちりとした皮のミニスカートをはいていて、恐らく下から見ると、彼女の下着が見えてしまっているのであろう。
「…立って頂いてもよろしいでしょうか?」
男の浅ましさにうんざりしていたのは、俺だけでなく七谷も同じだったようで、さっさと立ち上がれと言葉で促す。
だが男は七谷の声を聞く気はないようで、にやりと口を歪ませて六見をねっとりと見つめた。
「…おいおい、強気に見せかけてえっろい下着見せつけてんじゃねぇよ。お前、痴女だろ?」
頭の悪そうな言葉を六見にぶつけるも、彼女は顔色を変えずにハンと鼻息を鳴らした。
「そんなに性欲余ってんなら、無害な人間に喧嘩打ってないで帰って私のパンツでしこれば?」
「なっ…おま…」
「ほら、おかず手に入れたんだからさっさと行けよ。喧嘩とエロしか脳ない猿ども」
「てめっ…!」
我を失った男が六見にとびかかった瞬間、誰もが彼女を守ろうとした。
しかし同時に、自分が殴られるのではないかと躊躇し、一瞬体が止まった。俺も二村も、百瀬さんでさえも。
ドカッ。
鈍い音と、カランと何か軽いものが落ちた音が響く。
六見の目の前に立っていたのは、七谷だった。
眼鏡を失った七谷の瞳は、殴られたことも相まってゆらゆらと揺れており、六見を助けたいというよりかは反射で体が動いたように見えた。
「なっ…」
「バカお前、殴るのはやべぇよ!人来る前ににげっぞ!」
「あ、あぁ…」
殴ったほうの男は呆然としつつ、取り巻きの男たちに引っ張られるようにこの場から立ち去っていった。
しばしの沈黙が流れた後、最初に動いたのは二村だった。
落ちた七谷の眼鏡を拾い、割れていないか確認してから七谷に渡す。ありがとう、と呟いて、七谷はゆっくりと眼鏡をつけた。
「だ、大丈夫、二人とも…。ごめんね、私見てることしかできなくて…」
「百瀬は何も悪くないじゃん」
おろおろと六見と七谷を見る百瀬に、ぴしゃりと六見が言い放つ。彼女の口調は冷たかったが、先ほどまでの悪意は感じられなかった。
「んじゃ、邪魔して悪かった。眼鏡くんもすまんね、私の代わりに殴られちゃって。百瀬、行こう」
「えっ、あっ…」
「ま、待ってくれ…」
さっさとその場を立ち去ろうとする六見に、まだ少しふらついている七谷が呼びかけた。
「あの、さっきは、ありがとう」
「は?あんた殴られた側じゃん。お礼はおかしいっしょ」
「それは僕が勝手に…いや、そうじゃなくて。君に救われたから」
「はぁ?」
わけがわからないといった顔をする六見に、少し照れくさそうにしながら七谷は続ける。
「僕は…自分なりに努力しているつもりだけど、どうしても服装や自分の見た目についてのコンプレックスが拭えなくてね。聞いていたかは分からないけど、母親が買ってきた服をそのまま着ているのも事実だし、…正直私服だと少し浮いていることくらい、分かっている」
隣に来ていた二村が、ごくりと唾を飲んだ。
おそらくだが、初めて七谷の弱い部分を見たのだろう。今まで自分が口にした軽口を思い出しているのか、表情から自責の念がにじみ出ている。
対して六見の表情は変わらぬままで、じろじろと七谷の服を見て、笑いもせず言った。
「良いじゃん」
「…お世辞は良いよ、君のような子が一番好きじゃないファッションだろう」
苦々しい思いを吐き出すように話す七谷の言葉に、六見は初めて七谷にきつい睨みの視線を向けた。
「何で決めつけんの?勝手に人の好み、査定してんじゃねぇよ」
「…すまなかった」
「私はあんたを助けたつもりは一ミリもない。ただ、生地の良いシャツや綺麗な深い色のジャケットを小ばかにしてたのが、ムカついただけ。それが親から貰った大切なもんだってんなら、なおさら」
七谷の瞳がきらりと光った気がした。六見は七谷の目をまっすぐ見て、ほんの少しだけ笑って見せた。
「好きなんでしょ?マ…母親のこと。だからあんなに顔真っ赤にして怒ってても、何も言えなかったんでしょ」
彼女の言葉を聞いて、やっと気づいた。
二村の思いやりのこもった軽口に対して、七谷は確かに照れて顔を赤くしていたかもしれない。
けれど先ほどの男たちの無遠慮な言葉に対して耳を真っ赤にしていたのは、恥ずかしさだけでなく、怒りの感情もあったのだろう。
七谷は核心を突かれたようにはっと目を見開き、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ。ほとんど女手一つでここまで育ててくれて、僕には不相応なほど高い服を買ってくる母には、感謝している。…服のセンスは、僕と同じでずれているんだろうけどね」
七谷の言葉を聞いて、全員がはっと彼を見た。恐らく誰も、二村でさえも、七谷が母子家庭ということを知らなかったのだ。
六見の表情は読めなかった。大きな目をさらに大きくして、じっと七谷を見つめていた。
「すまない、同情されるほどの事じゃないんだ。母は家事は苦手だが仕事はできるらしくてね、家事代行まで雇ってくれている。たくさん稼いでたくさん使う!が彼女のモットーらしい」
はははと笑う七谷に、確かに黒い影はない。
誰がどう見ても、親の愛情を一心に受けてまっすぐ育った、たくましい大木のような男だった。
「同情なんて、してない」
六見が小さな声でつぶやく。
「そうか、それは邪推してしまった。すまない」
「私もそうだから」
そうつぶやいて、六見は着ていたニットのすそをぎゅっと握りしめて下を向いた。
七谷は少し驚いた顔をしたが、すぐに元の表情に戻り、六見に優しく語りかけた。
「君の言葉が僕の心に深く届いた理由は、そういう事だったのかもしれないね。君も同じように…親御さんのことを、本当に好きなんだね」
「…違う。私は、恥ずかしくて隠してた。うちが貧乏なのも、私が頭悪いのも、バイトしなくちゃ服も買えないのも、全部パパのせいにして隠してた。私はあんたとは違って、ダメな…」
「ダメな子なんていない!」
急に大きい声を出した七谷に、六見はびくんと肩を揺らし、前を向く。
周囲を歩いていた人も驚いてこちらを振り向き、百瀬さんが慌てて頭を下げながら、俺たちを通路の端へ誘導した。
七谷はみんなに謝りながら、再びまっすぐな視線を六見に向けた。
「君は今年で、17歳だろう」
「…あ?」
突然の質問に、六見はわけがわからないといった表情で七谷を見上げる。
「君が生まれて、17年が経った。小さくて何もできなかった君が学校へ通って、校則で禁じられているとはいえ仕事もして、自分の好きな服を買って人生を楽しんでいる。そして、一人の非力な男の心を救ってくれた」
「…」
「こんなに素敵な娘が、他にいるだろうか?」
「…んぬあああむずがゆいわ!よくそんなこっぱずかしいセリフ言えんな、お前!」
顔を真っ赤にして七谷を殴る六見。見た目のわりに痛くなさそうなパンチを受けながら笑う七谷。
ちらりと横目で百瀬さんを盗み見ると、ぱちりと目が合った。
「んじゃまあ、七谷の服は六見が見てやれば?」
二村の提案に俺は心の中で大きくグッジョブを送る。
そんな、と遠慮する七谷に対して、六見は少し強引に彼の鞄を引っ張った。
「任せろ。お前をいちからプロデュースしてやる。…あ、でも今日は、」
「私は大丈夫!七谷くん見てたら、来週数学の小テストがあるの思い出しちゃったし、帰るよ~」
百瀬さんは快活に笑い、六見にパタパタと手を振った。
「なぜ僕を見て、テストを思い出す…?」
「あは、何でもないよ。せっかくなら六見さん、七谷くんに勉強教えてもらったら?」
そのセリフは少し展開を急きすぎなのではないか、とひやりとしたものを感じつつ七谷を見ると、意外にも彼の顔はとても嬉しそうだった。
「六見さんは勉強が好きなのか?」
「好きなわけねえだろ…。え、てか何で私の名前知って…」
「僕は学年全員の名前を憶えているからな」
「…キモ」
肝…?と首をかしげる七谷を、六見が4階へと引っ張っていく。
俺と二村は目を見合わせて、くっくと意地の悪い笑みをこぼした。
「俺らはどうするよ?」
「うーん、そうだな…百瀬さんは?」
振り返ると、すでに百瀬さんはいなかった。
皆であれやこれや話している間に帰ってしまったのだろう。
驚いたものの、まあ百瀬さんならやりかねないと心の中で苦笑していると、二村が怪訝そうな目つきでこちらを見ていることに気付く。
「お前、百瀬さんと仲良かったっけ?」
「…いや、全然?」
「だって今の感じは明らかに、”俺ら”のなかに百瀬さんも含まれてただろ」
ごくりと唾を飲む。絶対に悟られてはいけない、俺たちが人には言えない計画を遂行していることを。
最近二人でよく話していたからつい名前を呼んでしまったが、教室では一切関わりのないただのクラスメイトなのだ。
「や、今の感じ、完全に二人に気を遣ってた感じだったじゃん。百瀬さん一人でこれからどうすんのかなって、純粋に気になって」
「ふーん?まあ、確かに。てかあの人帰るん早、おもろ」
俺の心中を知ってか知らずか、二村はすぐに話題を変えてケラケラと笑いだす。
目的のものは買ったし、少し疲れたから今日は解散しようということになり、俺と二村はそれぞれ家路についた。
二村と別れた途端、ブブッとスマホが震える。
『二村くんと別れた?これから会える?』
百瀬さんだった。明らかに俺の様子を見ているとしか思えないタイミングに、思わずあたりをキョロキョロと見渡す。
またしてもブブッとスマホが通知を鳴らした。
『ごめんごめん。少し遠くから見てただけ。もし予定がないなら、○○駅裏の公園で待ってる』
少しそっけない、”あの”百瀬さんの文章だった。
予定なんてあるわけがないし、あったとしても百瀬さんを優先するに決まっている俺は、迷わず目的地へと駆け出した。
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