9話 キューピッド大作戦

「七谷くん!良いじゃない、私も話したことあるけど、すごく良い人だった」


あくる日の放課後、二村から提案された『七谷』という男の名前を出してみる。

俺が少し失礼な不安を抱えるなか、百瀬さんは花のように明るい笑顔を見せてくれた。


「なんだ、知ってたのか」

「少しだけね。1年生の2学期だったかな?委員会が一緒だったはず」


うんうんと頷きながら話す百瀬さんの顔は血色がよく、心なしかいつもよりも楽しそうに見えた。

百瀬さんもやはり女の子で、こういう色恋の話が好きなのだろうか。


「彼なら外見よりも中身を重視してくれそうだし、何より条件にぴったりね」

「頭がいいのは分かるけど、教えるのが好きかどうかは分からなくないか?」


そう尋ねると、百瀬さんは今にも破顔しそうなのをこらえつつ、くすくすと漏れ出る笑いを手で押さえながら話し始める。


「たぶん彼、相当の世話好きよ。

私ね、委員会が始まる前によく課題をしていたんだけど、数学の問題で悩んでた時かな。隣からこっそりヒントを教えてくれるの。私だけに聞こえる声で『そこは何とかの公式かもなぁ~』ってつぶやくの」

「…それ、仲良くなってからの話か?」

「ううん、それが初めましての会話」


ついにこらえきれなくなって百瀬さんがあははと笑う。つられて俺もふふっと声を漏らしてしまう。

どうやら七谷という人間はずいぶん変わった男らしい。悪い意味ではなく。

ひとしきり笑った後、俺たちは真面目な顔で向かい合った。


「こいつしかいないだろ」

「そうね、私も適役だと思う。バイトは…きっと彼女の内面を知れば、理解してくれるはず」


ターゲットは決まった。後はどうやって彼らを接触させるかだ。

授業をまともに受けない、放課後はバイトに明け暮れている不良風の女子生徒と、変わり者認定されるほど真面目で優しい、おせっかいな男子生徒。

クラスが違うこともあって、彼らを結びつけるのは相当難しいように思えた。


「…ごめん、俺何も思いつかないや。バイト先に無理やり連れて行っても、悪い未来しか想像できない」

「それは私も同感。第一印象の悪い2人が結果的に恋愛関係になるのは、正直フィクションだけだと思ってる」


うーんと考え込んだのち、少し自信なさげに百瀬さんが呟いた。


「…試験勉強のていで図書室に呼び出して、何とかして二人を合わせる、とか」

「あの空間で恋愛沙汰が始まるかな…。いや、ごめん、他の案は思いつかないんだけどさ…」


いつ訪れても静まり返っている図書室は、読書を楽しんでいるというより勉強に勤しんでいる生徒のほうが圧倒的に多い。

一度試験前に二村たちと勉強会をしに訪れたことがあるが、3人で教え合うといった雰囲気ではなく、ものの10分で息が詰まって図書室を出てしまった経験がある。


「そもそも六見は、放課後の勉強に付き合ってくれるような奴なのか?」

「…一度も誘ったことはないです」


バツが悪そうに百瀬さんは下を向き、ぶらぶらと足を揺らし始める。

日々バイトに明け暮れている六見の気を引くには、”勉強”という弱い理由では難しいような気がした。

六見の心を動かしそうなこと。父親や百瀬以外の、特別…。


「あ」

「え?」


突然まぬけな声を出した俺に、百瀬さんは少し驚いて顔を上げる。


「服だよ、服」

「え、服…?」

「六見は学校や睡眠時間を削ってでもバイトを頑張れるくらい、服が好きなんだろ?百瀬さんが『私に似合う服を選んでほしい』って言えば、簡単に呼び出せるんじゃないか?放課後は難しいだろうから、休日とかに誘ってさ」


自分としてはかなり良い意見を出したつもりだった。

しかし百瀬さんの目はゆらりと泳ぎ、先ほどまで明るかった表情が少しずつ曇っていくように見えた。


「え、ごめん。良くない案だったか?」

「いや、すごく、良いと思う…。六見さん、口にはしないけど将来ファッションに関わる仕事に就きたいだろうから、人の服を選んだりとか好きそうだし…」


じゃあ、どうして。

彼女の顔はまったく嬉しそうではなく、むしろ不安げに手悪さしながらかすかに体を揺らしているのか。


「人と出かけるの、好きじゃない?」

「い、いや、出かけたことはある。大勢で遊園地に行ったり、遊びに行ったりしたことも、ある」

「…2人きりは、ないのか」


彼女の顔がどんどん白くなっていくのを見て、俺はそれを肯定と捉えた。

百瀬さんがどうしてこうも人との深い関わりを避けるのか、正直まだわからない。

いくら友達になったとしても、学校を卒業してしまえば関係を断つのはそう難しくないはずなのに。

まだ俺は、彼女をまったく理解し切れていない。彼女が今、俺の目の前に垂れ流してくれている感情について、どれだけ目をこらしてみても彼女の底が見えない。


「…絶対、成功させてくれる?」


絞り出したような震えた声で、百瀬さんはつぶやいた。


「絶対なんて、言えないよ。どんなことであっても」

「じゃあ無理。協力できない」


彼女の視線は下を向いたままで、目を合わせられない。

ただでさえ鋭くない俺に、彼女の所作や声色だけで何かを判断することは難しかった。

それでも俺は、ガチガチに固められた百瀬さんの心に、何かしらの方法でひびを入れるしかないのだ。


「分かるよ。今まで百瀬さんは、自分の決めた理想を叶えるため、一人でひたすら努力してきた。耐え続けることだけが正解だって信じて、何年も我慢してきたんだから、今更何かを変えるなんてすげぇ怖いよな」

「…」

「成功しなかったら、六見と七谷が上手くいかなかったら、『百瀬さんと六見が仲良く出かけた』って事実だけが残る。もしかしたら六見にとって、それが高校生活の中で唯一”友達”と遊んだ経験になってしまうかもしれない」

「分かってるなら言わないでよ!」


金切り声を上げる百瀬さんに、俺は動じなかった。声を出す前から、彼女は今にも狂って叫び出しそうなほど、苦悶の表情を見せていたからだ。


「いやよ、いや。私なんかと仲良くなったら、いつか死んじゃうのに、あんなに良い子を悲しませちゃう。嫌なの」

「いや、君は死なない。六見さんが百瀬さんの友達になってしまったら、君は死ねない」

「うるさい!うるさい、うるさい!」


半狂乱になって百瀬さんはしゃがみ込む。

そうだ、彼女は死ねない。

自分の死で困る人、一生引きずって悲しみ続ける人がいる限り、優しい百瀬さんは死ねないのだ。

こんなにもつらそうなのに。生きているだけで、今存在しているだけで苦しいのに、その世界を壊したくなくて死ねない彼女はひどくわがままで、愛くるしい。


床に手をついて嗚咽を漏らす彼女を、俺は見下ろしていた。

顔こそ見えないが、いつかの教室で見た、真っ黒の百瀬さんがそこにいた。

溜まった黒を隠そうともせずボタボタと垂れ流しているのは、無表情でも泣いていても同じだった。

彼女を、救いたかった。


「信じて」


そうつぶやいた声は彼女に届いたのであろう、鼻をすすり上げる音が小さくなる。

彼女の目線と合わせるようしゃがみこむと、少し腰に負担がかかる姿勢になる。百瀬さんは、とても小柄だった。


「俺は、百瀬さんの力になりたい。それだけは、絶対だ」

「…言葉だけよ」

「言葉でしか表現できない。六見と七谷が上手くいく可能性だって低い」

「じゃあ、やっぱり…」

「それなら俺が六見を連れて駆け落ちするよ」


脳で考えるより先に、言葉がするりと零れ落ちていた。

歪んでいた百瀬さんの顔が、あどけない子どものような、毒気のないきょとんとした表情に変わる。


「いや、六見は別に俺のことを好きじゃないから、誘拐か」

「何言って…」

「俺が六見を誘拐して、万が一成功して結ばれても、失敗して俺が少年院にぶち込まれても、とりあえず六見の高校の記憶にはべっとりと”一条”だけが残るだろ?」

「…」

「いくらでもやりようはある。手段は一つじゃない。だから、まずは一番可能性がある方法を試してみよう。それがだめでも、俺が必ず次の手を探すから」


こくり。百瀬さんの首がゆっくりと縦に振れる。

ようやく百瀬さんを説得できた俺は、脳をフル回転させて計画を練る。

この田舎で高校生が洋服を買う場所は、大抵決まっている。色んなブランドや小売店がごみごみと詰め込まれたショッピング施設だ。

そして七谷。彼のお節介を利用すれば、二村づたいに休日、参考書選びに付き合ってもらうことも可能かもしれない。

この町で一番大きい本屋はやはり、そのショッピング施設内にある。


「百瀬さん。六見を誘えたら、すぐに日にちを教えて。六見より男性陣の方が都合つきやすいだろうから」

「わ、わかった。でも、どうやって…」

「駅前のでかいショッピング施設あるだろ。あそこで買い物したいって六見を口説いてくれ。俺も二村を通じて、参考書探しに付き合ってくれって七谷を誘ってみる」

「…」


百瀬さんの顔に少し色が戻り、考え込むようにあごに手を当てる。


「確かに、そこまで持って行ければ、私が本屋に寄りたいっていうのも言いやすいね」

「だろ?逆に俺たちが七谷を服売り場の階に連れて行ったっていい。俺と百瀬さんとで連絡し合っていれば、鉢合わせする可能性は格段に高まる」

「…成功するかしら」

「言ったろ、分からん。会ったところで二人がどうなるかも想像つかないけど、それは百瀬さんと二村の力でどうにか二人の連絡先を交換させてくれ」

「あは、一条くんのコミュニケーション能力は頼りにならないってことね」


ようやく生気のある笑顔を見せた百瀬さんに、思わず俺はほっとした。


「よし、そうと決まれば後は実行に移すだけだ。百瀬さん、焦らなくていいから六見を誘えたら教えて」

「分かった。学校では難しいだろうから、バイト先にでも顔を出してみる」


決意が固まったところで、おなじみのチャイムが鳴る。

いつもはここで百瀬さんがさっさと帰り支度を始めるのだが、今日はなぜかすぐに帰ろうとしなかった。


「あれ、帰らなくていいの?」

「ううん、帰る。…あの」


俺よりも教室のドア側に立っていた百瀬さんがこちらを振り向くと、差し込んでいた西日がまぶしかったらしく、きゅっと目を細めた。

オレンジに光る彼女の顔は、いつもより少しだけ、恥ずかしそうに見えた。


「今日は、大きな声を出したり泣いちゃったりしてごめんなさい」

「そんなこと、テスト破ってた時と比べたら全然驚かなかったから大丈夫だよ」


少し茶化すと、もう、と百瀬さんは怒ったように頬を膨らませた。

しかしすぐに笑顔に戻り、百瀬さんは女神のように優しい顔で俺に話しかける。


「ありがとう、一条くん。私の夢のお手伝いをしてくれて」

「…うん」

「じゃあ、また明日」


そう言って、いつもよりゆっくりとした動きで彼女は教室を出て行った。

彼女の足音が完全に聞こえなくなってから、俺は大きなため息をついて近くの椅子にどさっと座る。


『それなら俺が六見を連れて駆け落ちするよ』


よくもまあ、あんな言葉がするすると出たものだ。好きな女の子を目の前にして、全く興味のない子と駆け落ち宣言をするなんて、気が狂っている。


(それでも、それが俺の愛のかたち…だと思う)


信じてほしかった。

死を切望し、その夢をひた隠して必死に生きる彼女をどうにかして救いたいと、本気で思っているのだと。

俺の行動で彼女が孤独になって、周囲からどれだけ責められようと、百瀬さんの心が穏やかになってくれるのなら、何でも良かった。


(俺の愛は、少しだけ歪んでいるのかもしれない)


だって彼女の夢を応援するということは、愛する人の死を手伝う、ということだから。


自分の考えが正しいのか信じきれないまま、少しずつ賑やかになってきた校内から逃げ出すように、俺はひっそりと教室を後にした。

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