7話 ボツ、ボツ、全ボツです!
『私を愛する人が誰もいなくなってくれたら、死ぬの。』
『あの、俺…何か力になれないかな』
百瀬さんと二度目に話したあの日から数日が経っていた。
彼女の言葉は俺の脳にこびりついたまま色褪せず、俺のまぬけな返事もまた、同時に思い出すはめになる。
あの時彼女を引き留めるために、何と言うのが正しかったのは未だ分からない。
けれど現に今、百瀬さんとの繋がりが残っていることを考えると、あの勇気は無駄ではなかった…はずだ。
夕食と風呂を終え、自室の机に座って真っ白のノートを開く。
シャープペンシルを取り出してみるも、書くことが思い浮かばず視線は天井へ向く。
彼女の望みは、「百瀬晴を愛する人がいなくなった後に死ぬ」ということ。そして、これは俺の推測に過ぎないが、恐らくその時は早ければ早いほど、良い。
百瀬さんにとって”愛する人”とはかなり明確な区切りがあるようで、普段親しげに話している友人たちはその対象でないらしい。両親の他に親しい家族がいるのか定かではないが、百瀬さんの言葉を聞く限り、親世代より下の家族はいないか、親しくないのだと思う。
「つまり、親が老衰まで生きるとしたら、少なくともあと3,40年…」
その間、何かしらの手立てを打たなければ、彼女は数十年間生き地獄ということになる。
考えただけで軽い吐き気をもよおし、左手で腹をさすった。
生きているだけで辛い百瀬さん。その途方もない苦しみを少しでも軽くするなんて、自分の面倒さえ見れていない俺にできるのだろうか。
「…とりあえず書き出してみるか」
考えても落ち込むだけなので、頭に浮かんだ案をノートに書き殴っていく。
・素を出せる友達をつくる
・何らかのコミュニティに属する
適当に書いた2行に、すぐ横線を引いた。
こんなありきたりな提案で百瀬さんが納得するはずない。
そもそも考え方が根本的に間違っているのだ。百瀬さんに死までの時間をより良く過ごしたいという思いはなく、彼女は自分の理想の死を遂げたい一心で、辛い現実を生きている。
自らを透明に近づけようと尽力している彼女に、付け焼刃の友人や恋人など邪魔でしかない。
「邪魔、かぁ」
少なくともこれまで見てきた百瀬さんは、人間関係を煩わしく思っているようには見えなかった。
むしろ誰よりも人との関わりを大切にしていて、誰と話していても彼女は屈託のない笑顔を振りまいていた。
「…あれが全部嘘の顔なら、百瀬さんは大女優だよ」
百瀬さんは少なくとも、相反する二つの顔を持つ。
しかしそのどちらかがまるっきり嘘だとは、俺はどうしても信じられずにいる。
「…」
一人で唸ったところでどうしようもない。俺は百瀬さんとは違う人間であって、彼女の心境を理解するには限界がある。
俺が思いつく限りの現実逃避案を書き連ねたのち、乱暴にノートを通学鞄に入れてベッドにダイブした。
---
「それで、色々考えてきてくれたんだ?」
放課後、誰もいない教室。
癖なのだろうか、手に持ったカメラをかちかちといじる百瀬さんを一瞥しつつ、少し離れた席に座る。
隣に座らないのは、万が一誰かが教室に戻ってきても、俺たちが話していることを悟られないようにするためだ。
それでもなお見られるのが嫌なのか、百瀬さんは教室の外からではほぼ見えないデッドスペースに立ってカメラを触っていた。
「一応…」
俺がノートを机の下でこそこそと開いていると、百瀬さんはおかしそうにくすくす笑う。
「この前の勢いはどうしちゃったのよ。あ、そのノートに書いてきてくれたの?」
「ちょ、見ないで」
「けちだなぁ」
首を伸ばしてノートを盗み見ようとする百瀬さんに慌てて背を向ける。
ただでさえまともな案が出ていないのに、本人に直接見られるなんて拷問に等しい。
姿勢を正してふうと小さくため息をつき、俺は意を決して昨日考えた精いっぱいの案を口にしてみる。
「例えば…一人でも楽しめる趣味を作るとか」
「うーん、暇つぶしならもうたくさんあるからなぁ。カメラもそうだし。
それに人と関わりたくないからって一人で過ごしすぎると、かえって目立って心配されちゃいそうで怖い」
自分なりに一番良いのではないかと思っていた案をさらっと否定され、思わず焦った声が出てしまう。
「で、でもさ。百瀬さんが一人でする趣味が好きだって周りに認知されれば、あの子は一人でも大丈夫だから…って良い意味で放っておいてもらえそうじゃない?」
「そう、ね…一理あるんだけど。同級生には理解してもらえても、親はなかなか難しいかも。
でもありがとう、ちょっと考えてみるね」
優しい微笑みに、ほんのりとした落胆が見て取れる。
彼女自身、生きる意味や苦しみを紛らわす方法なんて散々探したに違いない。さほど興味のなさそうなカメラを触っているのも、彼女がやっとたどり着いた”普通らしい趣味”だったからだろう。
自分の無力さに辟易しつつ、たった一つの案で腐るわけにもいかないので、他の提案をしてみる。
「あとはそんなに大したことじゃないんだけど…。
精神的に落ち着けるものを見つける、ストレス発散方法を探す、とか」
「テスト用紙をびりびりに破く以外で?」
はっと百瀬さんを見たが、いつもの明るい笑顔のままだった。
笑顔の裏の感情は分からない。”あの”彼女の姿を覗き見た俺を怒っているのか、焦る俺を見て面白がっているのか。
「…絶対に人に見られないところで、破くようにしたら」
「言ったでしょ。家じゃいつ母に見られるか分からない。教えてくれたシュレッダーも考えたけど、私の部屋のゴミ箱に突然シュレッダーゴミが増えたら、怪しさ満点でしょう」
「そっか…」
百瀬さんは思っていたよりかなり用心深い。
ゴミに対していくらでも誤魔化しがきく学校よりも、数人しか住んでいない家で出る音やゴミは、彼女にとっては脅威になり得るのだ。
「あとは…人間関係を、少し整理するとか」
「…」
ついに黙ってしまった百瀬さんに、俺は話を続ける。
「百瀬さんは友達がいないって言ったけど、百瀬さんのことを友達だと思ってる人は大勢いるよ。0にしたら逆に目立つから嫌なんだろうけど、もう少し仲の良い人を減らした方が、百瀬さんの気持ち的にも楽になるんじゃない?」
「女子と男子じゃ、友達の価値観って少し違うのよ。男の子は仲良くない子って『あんまり話したことない子』くらいにしか思わないけど、女の子はそうじゃない。
仲が良くない子への印象はゼロじゃなくて、少しマイナスなの。ほんのちょっとバランスが崩れただけで、簡単にドロドロの感情があふれ出す」
百瀬さんは笑っていたが、視線はどこか遠くを眺めている。
昔実際にあったことを思い出しながら話しているようにも見えたが、あえて触れる必要はないだろう、と俺は話をそらした。
「確かに、女子特有のドロドロ?ってのを、百瀬さんはうまく避けているのかもしれないけどさ。自分でも言ってただろ、毒にも薬にもならない人になりたいって。俺から見たら、少なくとも六見あたりは百瀬さんを特別に思っている気がするけど」
六見の話題を口にした途端、百瀬さんの目つきが変わったのが分かった。
「…やっぱり六見さんってちょっと浮いてるよね」
「ちょっとっつーか…正直百瀬さんみたいなザ・良い子と、不良っぽい六見が話してるのは、結構面白い」
「そうだよねぇえーー…」
はーっと大きくため息をつき、百瀬さんは壁に背をつけたままずりずりと床にしゃがみ込む。
あからさまに悩み事がありそうな百瀬さんを見て、俺は不謹慎ながら興味津々に顔を近づけた。
「え、何。六見と本当は仲悪いの?」
「いや、見ての通り普通にしゃべるくらいだけど…。後ろの席の子が目立つと困るし、悪い子でもなさそうだったから話しかけてみたら、ノートとかを貸す仲になったの」
「六見って授業中いっつも寝てるもんな…」
六見幸子。
俺は当然話したことはないが、茶髪に化粧をばっちりきめた、誰とも群れず寝てばかりいる彼女は、どう見ても不良にしか見えない。
そんな六見と、人畜無害な笑顔を振りまく百瀬さんが話しているのを見た時は、百瀬さんは怖いもの知らずだと恐れおののいたものだ。
「とにかく。あんまり愛想よくしすぎると、百瀬さんを大切に思う人が増えちゃうじゃん。それって、百瀬さんにとっては…」
「いやだよ」
俺の言葉をさえぎってまではっきりと言い切った百瀬さんが、いつもの雰囲気と違いすぎてうろたえてしまう。
「六見さんは悪い子じゃない。むしろすごく良い子だから、絶対皆と仲良くなれるのに。六見さんが『自分なんかと話してくれるのは百瀬しかいない』なんて思い込みをしてそうで、すごく怖い」
「…正直、周りもそう思ってるよ。『六見みたいな不良と話せるのは、女神の百瀬さんだけだ』って」
嘘なんかじゃない、むしろ少し抑え目に言った六見の悪口を聞くと、百瀬さんはあからさまに顔を曇らせた。
「六見さんの魅力を、もっとみんな知ってくれたらいいのに…」
「俺だったら席が近くても話しかけらんないよ。どうやって仲良くなったの?」
「放課後尾行して、六見さんのバイト先に突撃した」
「…え」
突然百瀬さんの口から飛び出した”尾行”という物騒な単語に、俺は思わず目を見開いた。
百瀬さんは顔色を変えず、淡々と続ける。
「話しかける前に、本当に悪い人だったら怖いから尾行して確かめたの。彼女、お小遣いとかをほとんど自分で稼いでるみたい」
「…六見も大概だけど、百瀬さんも単純に不審者だな」
冗談を言ったつもりで乾いた笑い声を出すと、百瀬さんはまったく面白くないと言った顔で口を曲げて反論した。
「私は不審者だけど、六見さんは違うよ。
バイトは校則違反だけど、父子家庭であんまりお金なくて『小遣いくらい自分で稼ぐんだ』って働いてるんだから、偉い子なの」
「…へえ、知らなかった」
意外な六見の一面に、思わず声が小さくなる。
六見がいかに良い子か語ったのち、百瀬さんはふっと寂しそうな表情を見せた。
「…そんな六見さんをみんなに知ってもらいたいけど、難しいよね。彼女自身嫌がるだろうし」
「そうだなぁ。男子はまだしも、女子は話しかけにくいだろうなあ」
俺が何気なく口にした言葉に、百瀬さんはぴくりと反応する。
「どうして男の子のほうが話しかけやすいと思うの?」
「え、だって六見って『顔は可愛い』ってよく男で話すから…」
思わず漏れた言葉を聞いて、百瀬さんの顔がぱあっと輝いていくのが目に見えて分かった。
「や、ちが、今の『可愛い』は一般的な意味の可愛いで、別に俺は…」
「やっぱり六見さんって可愛いよね?!」
慌てて言葉を訂正する俺に目もくれず、百瀬さんはなぜか大興奮しながら詰め寄ってくる。
「可愛いんだよね、六見さん。顔も可愛いし、中身もすっごく可愛いし。
私以外とも仲良くしてくれたらいいんだけど…」
「そんなに六見と話したくないの?」
何気なくした質問が六見に失礼であることに、俺は気付けていなかった。
百瀬さんはふるふると首を横に振り、ぐったりと疲れ切ったような表情をしながら答えてくれる。
「話したくないわけじゃないの。ただ、六見さんがいつかずっと先、高校生活を振り返った時、私のことを覚えていてほしくなくて…」
「ああ…」
沈んだ空気のまま、二人は黙り込んでしまう。
百瀬さんは、相手が『六見だから』悩んでいるわけではない。
自分が誰かの特別になるということに恐怖していて、六見がそうなってしまうのではないかと恐れているのだ。
「…」
しばらく沈黙が続いた後、ふうと先に息を吐きだしたのは俺だった。
ぼんやりと宙を眺めていると、百瀬さんは申し訳なさそうな顔でほほ笑んだ。
「ごめんなさい、私イヤイヤばっかり言ってるね。これ以上一条くんに迷惑はかけたくない…」
「迷惑ではない。俺が望んでやってるから、むしろ百瀬さんが嫌になったらいつでもやめてくれて良い。
ただ、六見は…こう言っちゃ失礼かもしれないけど、正直女友達を作るよりも彼氏の方が簡単に見つかりそうだよな」
「…それだ!」
百瀬さんがすくっと立ち上がり、ぴっと俺に指をさす。
漫画みたいなポージングに思わず笑ってしまったが、そんな俺を気にも留めず、顔をピンクに染めた百瀬さんは、楽しみでたまらないといった表情で、その場でステップを踏み始めたのだった。
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