気になるあの子

1話 夕日の輝き、彼女の影

彼女と初めて話したのは、誰もいない放課後の教室だった。

高校2年の6月上旬、多くの生徒が部活や遊びに精を出すなか、彼女は教室で一人ぽつんと座っている。

オレンジの混じった陽の光が、薄暗い教室の中にたたずむ彼女を照らしていた。


---


都心から離れた郊外にある、少しさびれた公立高校。

偏差値も課外活動もそこそこのありふれた学校を、俺は「家が近いから」という理由で何の迷いもなく選んだ。

これといって特徴のない学校だが、放課後に遊ぶ場所もないような田舎だからか、学生のほとんどが何らかの部活に半強制的に参加している。

かくいう俺もその一人で、昼休みと放課後はせっせと放送室兼部室に通う日々を送っている。

我が放送部の活動に非常に熱心…というわけではなく、校内で一番居心地が良い場所が部室というだけだ。


部員は俺一人。

昼の校内放送と行事でアナウンスを頼まれるだけの、あってないような部活。

放送部なんて正直気にも留めていなかったが、学校行事に欠かせないアナウンス役を押し付けるにはぴったりの部らしく、部員が何名だろうと放送部が潰れることはないらしい。

俺の入学した年でちょうど部員が0になり、どの部にも入るつもりがなかった俺に、担任が放送部を勧めた。それだけだ。

先輩のいない部活なら気楽だろうという消極的な理由で入ったが、校内で自分だけのテリトリーがあるというのは案外悪くなかった。


毎日の校内放送も運動会のアナウンスも、きっと誰一人聞いちゃいない。

”存在意義”なんてないに等しいが、それでも今日もいつも通り、リクエストされた音楽を流す。



『リクエストを聞いてくれてありがとう』



丁寧にたたまれた紙を開いて少しながめ、また折り目通りにたたんでファイルに入れる。


1年と少し放送部を続けていて、1通だけお礼の手紙が私書箱に入れられていたことがあった。

印刷かと思うほど綺麗な字で書かれたその手紙は、誰が書いたのかどのリクエストかも分からなかったが、俺の心を満たすのには十分過ぎる内容だった。


他人と深く関わるのが得意でない俺にとって、放送室は心から息抜きできる唯一の場所だ。

そしてこの手紙が、癒しだけでなく自己肯定感さえも与えてくれた。

それだけで、十分だった。



「…ふう。」

俺の放課後は、校内各所に設置した私書箱の中身を回収することから始まる。

昼の校内放送は至ってシンプルで、私書箱に寄せられたリクエスト曲を流して簡単なメッセージを読むだけ。

昔は学内アンケートを取ってみたりだとか、未◯年の主張みたいな心の叫びを集めてみたりしたらしいが、反響が少ない上に一人でまとめるには面倒すぎる。

匿名のシンプルなアンケートの方が、生徒たちは積極的に書いてくれる上に集計が楽なのだ。


ちゃんとしたリクエストのみを選り分け、明日の昼に流す曲を選ぶ。

今話題のJPOPをチョイスし、変わり映えのしない原稿に軽く目を通せば、本日の部活は終了。

時間を持て余していると知られては顧問に雑用を押し付けられかねないので、ある程度時間を潰してから家に帰ることにしている。


ぷらぷらと投げ出した足先のスニーカーを見て、俺の血の気がさっと引いた。

(今日、体育あったんじゃん…)

外で体育がある日はローファーを履き替えるのが面倒なため、大抵スニーカーで登校している。

しかし、それ自体が問題なのではない。

(体操服、教室に置きっぱなしだ)

今日は金曜日。夏場の汗を吸った体操服がどうなるか、母親にどれだけ怒鳴られるか想像しただけで身震いしてしまう。


「…うぅ、めんどくさ」


キーンコーン…

下校時刻の30分前を告げるチャイムが校内に鳴り響く。

運動部の連中はちょうど練習を終えたところだろう。

すれ違わないうちに回収して、さっさと帰ろう。

小さくため息をつきながら適当に部室を片付け、急いで教室へと向かった。



日の入りが遅くなってきた。

初夏の夕方は明るく、けれど空の向こう側から少しずつオレンジと紺色が混じり始めている。

青に混ざる異色は綺麗だが、妙におぞましい。



人気のない廊下を速足で歩く。

放課後の校内は人が少なく、すれ違うのは受験が始まってぴりぴりしている3年ばかりだった。

3階までの階段を1段飛ばしで駆け上がり、乱れた息を整えながら自分の教室の扉に手をかけた。


「あ、」


一瞬、時が止まったかのような錯覚に陥る。

そしてすぐに心臓がドクンドクンと脈打ち始め、扉に伸ばした指先がふるえ出す。

教室には一人の女子生徒しか残っていなかった。


百瀬晴(はる)。


肩まで伸ばしたつややかな黒髪と、ぱっちりとした子犬のような瞳が特徴の可愛らしい女の子。

目立つタイプではないが、常に明るく花の咲いたような笑顔を振りまく彼女は、誰からも好かれている。と、思う。


「…」


はっきり言い切れないのは、俺自身は彼女と一度も会話したことがないからだ。

百瀬さんとは1年から同じクラスだが、男友達としかつるまない俺と、女子に囲まれている百瀬さんでは関わるきっかけがなかった。

一言も会話を交わさないまま1年が過ぎ、2年生になった今も関係に変化はない。



百瀬さんは自分の席に座って宙を眺めている。



もう一つだけ理由がある。

彼女の底抜けの笑顔を信じきれない理由。


俺が放課後の教室で百瀬さんを見たのは、これが二度目だ。

彼女は1年前と同じように、一人無表情で机に向かっている。

少しだけ開いた窓から風が入ったのか、百瀬さんの髪がさらりとなびく。

それと同時に机の上にあった大量の紙切れが、ふわりと教室に広がった。


散ったのは、細かくちぎられた紙くずたちだった。

遠目では何を書かれていた紙なのか見当もつかなかったが、きっと近づいても分からない。

そのくらい小さく、執念深くちぎられていた。



ガタ、と百瀬さんが立ち上がる。

電気の付いていない薄暗い教室が、さぁっと差し込んだ夕日で黄色く輝いていた。

対照的に、窓を背にして落ちた紙を拾う百瀬さんの顔には黒い影が差す。


ごくりと唾を飲みこんだ。

彼女の美しい黒髪よりも、ノスタルジックな黄色の教室よりも、俺は百瀬さんの真っ黒な無表情を綺麗だと感じた。

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